リトルカーは、庭の迷路に入りこんでしまいました。
これまでも仲間のねずみたちがここに迷いこんで出られなくなったことがありました。
そのたびにリトルカーは、クックと目を細めて笑っていました。笑っていると、耳のうしろの首のところが寒くなってきて、ぶるっと肩をつぼめてしまうのですが、リトルカーには、これが愉快でたまりません。
鼻のヒゲなんか、ぞわぞわっとかゆいくらいにしびれてきて、ピンといっせいに逆立つのです。
迷路に入ってしまった当初、リトルカーには余裕がありました。こんなところ、すぐに出られると自信たっぷりに思えたのです。いや、本当は怖じ気から出た強がりだったかもしれませんね。
角を三回曲がったところで引き返そうとしたのですが、どこをどう曲がったのか、かえって複雑なところに入りこんでしまったようです。
焦れば焦るほど深みにはまってしまい、とうとう行き止まりに行き詰まり、そこでピクリとも動けなくなってしまったのでした。
助けを呼ぼうにも、カッコわるくてできません。そして、それ以上に、孤独がこころにやってきて、ガタガタ、ガタガタ震えてしかたがないのです。リトルカーのうつろな目がまんまるく開き、奥歯はガチガチ音を立てて鳴ります。
(こまったことになってしまった)
リトルカーが、どれだけ大声をだそうと思案したか、わかりますか? もう、なんどもなんども口を開きかけては、のどまででかかった声を飲みもどしたのです。
さて、みなさんは、庭の迷路にまよいこんだ別のねずみたちが、どうやってそこから出たか知っていますか。
簡単なことなのです。この方法は、親から子へ、仲間から仲間に受け継がれた、いわば常識のようなものでした。
もちろん、リトルカーもじゅうぶんに知っています。
この方法を使わなかったねずみがどうなるかというと、あとあとずいぶんあとになってから、カラカラにひからびて発見されるのです。そんなことになったら、同情されるより、どんなに物笑いの種になってしまうことか、ねずみの世界は非情なのでした。
けれども、いまのリトルカーには、迷路にまよいこんだ上に、そこから出られなくなった自分を誰かに知られてしまうのが、なにより屈辱に思えていたのでした。
(どうしようかな)
リトルカーは思いました。
いろんな考えが頭に浮かんできたのですが、ぜんぶ首をふって打ち消してしまいます。他のどんな方法でも、誰かの手を借りることになってしまうからです。そんなことになったら、すぐに仲間ぜんいんに知られることになってしまうでしょう。なんとかして、自分だけで抜け出す方法を思いつかなければなりません。リトルカーは、悲しくなってしまいました。
*
この茂みに、ねずみは近づきません。
バッタもそのことをじゅうじゅう承知しており、ここに集まって隠れ住んでいたので、いろんな種類のバッタがたくさんいました。まるで楽園のようなところだったのですが、ネズミたちはだれ一人手を出せないでいたのです。
この迷路の茂みは、おおきなお屋敷の庭にあったのですが、ときどき、裏の日陰で見つけたバッタを追いかけている内に夢中になってしまい、気づくと入りこんでいる、というのがこの禁断の楽園にまよいこむ、いつものことでした。
リトルカーも同じです。いままで、注意に注意をかさねていたので、決して入りこむことはなかったのですが、きょうばかりは、大好物のコオロギをみつけてしまったのが運の尽きでした。
その時です、隣のしげみでガサガサッと音がします。アッ! とリトルカーは思いました。
助かった!
嬉しさが胸からこみあげてきました。この時のリトルカーの顔をみなさんにお見せできないのが残念です。
たしかにねずみなのです。隣のしげみから聞えてくる音は、ねずみが立てている音にちがいありません。
リトルカーは、いっきに、いつものこずるい顔にもどりました。しょうしょう歯をむき出しにした耳まで届く細い口。それから、パラフィン紙よりも薄く閉じられつりあがった目。
顔にぺったりつくようにはね上がったヒゲを小刻みに動かして、リトルカーは隣のしげみの様子に聞き耳を立てました。
ガサガサっと行ったり来たりする音がして、静かになりました。その位置は、ちょうどリトルカーのいるところから、いっちょくせんに横に移動したあたりでした。
(しめしめ)
リトルカーはほくそ笑みました。これで自分は、誰にも知られずにここを出ることができる!
実は、隣のしげみも迷路になっていたのです。
隣の馬鹿なねずみは自分の同じように迷路に入り込んで、自分と同じようにそのまま前に進んだけれど、やっぱり引き返そうとしておなじ角を間違えて、自分と全くおなじところで動けなくなったのだ、とリトルカーには思えました。
(あとは待つだけだ)
しばらくすれば、隣の馬鹿なねずみは、恥も外聞もなくあの方法をこころみるだろう。
そうすれば、自分も難なく外に出られるにちがいない。リトルカーは、そうタカをくくったのでした。まるで、鼻に木をくくりつけたようです。
「オーイ!」
あんのじょう、隣のねずみは声をあげました。
するとそこに、SOSを聞きつけたスズメが飛んできたのです。
「どうしたんだい?」
スズメがたずねました。
「出られなくなったんだ」
ねずみが言いました。それを聞いたリトルカーは、馬鹿なねずみだ、と笑いました。もう、クックという声があたりじゅうに響きやしないかと気が気ではありませんでしたが、笑わずにはおられないのです。
両手でちからいっぱい口を押さえてもリトルカーは笑いをかみ殺すことができません。指のすきまから、もれ出してしまうのです。猫に追いかけられた時のことを思い出した終しまいに、リトルカーはやっとのことで深呼吸をすることができたのでした。
「それじゃあ、うしろを向いて」
スズメは一番近くの木の枝にとまって指示を出しました。そうです、ねずみたちはこうして迷路にまよいこんだとき、スズメに助けを求め、迷路の上から正解を教えてもらうのです。
こんなことが時々はあるので、ねずみたちは先祖代々、スズメに人間からせしめた食べ物のおすそ分けを欠かしません。
「そしたら、右にだけ道があるでしょう? そこを行くの」
スズメがさえずるように言いました。
リトルカーは確信しました。やっぱり、隣の迷路はこっちとまるでそっくりなんだ。ここもうしろを向けば、右にしか角がない。
また、笑いがこみあげてきました。自分はなんて頭が良いのだろう。リトルカーは、自負しました。
でも、みなさんはそうは思いませんよね。本当に賢いのなら、迷路を難なく解くに決まっています。
さて、迷路の中にいるネズミにとっては死ぬか生きるかの難題でも、高い所から見ているスズメには、なんのこともありません。最短のルートを的確に教えることができるのです。
「右に曲がったら、十字路になってるでしょ」
とスズメが言いました。
「そこを左に曲がってーー、」
次々にスズメは正解だけを指示します。まったく過不足はありません。リトルカーの迷路もスズメの言う通りに角があり、直線があり、慎重に歩を踏みました。途中リトルカーは、なんどもクックと笑いました。もちろん息をころしながら。でもすぐに外にでられるのだと思うと、もう笑いが込みあげてきてしかたないのです。
スズメが言いました。
「じゃあ、その直線の右にふたつ、左にひとつ、角を通り越したら、右に曲がってよ」
右にふたつ、左にひとつ、と・・・。
リトルカーはこずるそうな目をしながら、ゴールにたどりついた時のことを想像していました。
(隣のねずみのやつが外に出て、スズメもどこかに飛んでいってから、そっと尻から出よう)
そうリトルカーは考えました。そうすれば、迷路から出てきたのではなく、迷路の出口をちょっと覗いているふうを装えるからです。すばやく出た方がいいかしら、それともシッポを動かしながら、ゆっくり出た方がもっといいかしら、リトルカーは幸せなしゅんじゅんに心おどらせました。
「それじゃあ、そこを左に曲がって」
と、スズメが言ったしゅんかん、リトルカーは青ざめました。ドーンと気が動転して、目の前がまっくらになり、本当に天地がひっくり返りそうになったほどでした。
リトルカーの迷路には、左角がなかったのです。
腰のちからが抜け、へなへなとその場にへたりこんでしまいました。絶望でノドから胃袋を吐き出してしまいそうです。
リトルカーがうつろな目でぼう然としている間にも、スズメはいくつか指示を出し、隣のねずみは無事に外に出たようです。
「アリガトウ」
気軽に礼を言うと、ねずみはリトルカーの迷路の前を走ってどこかに去ってしまいました。スズメもいなくなったようです。
助かる見込みがほとんどなくなりました。
もし万一、隣のしげみにもういちどねずみが迷いこんだとしても、もうなんの意味もありません。仮にこっちに誰かが入ってきたら、リトルカーは、なんとしても見つからぬよう最善を尽くそうと決意しました。
リトルカーは、うつろな目で空をみあげました。
この迷路は好事家の家主が趣向をこらした、とびきり複雑なもので、バラの木で作らせてありました。茎や枝の間を抜けたくても、密にからみ合っている上に、かたくて尖ったトゲが無数についていて、まさか目を突いたり、不用意にひっかけて内蔵が破れ出でもしたら大事おおごとです。
傷だらけになってよじのぼっていって、よしんばてっぺんにたどりついたとしても、茂みの上には目の細かな鉄のアミがかぶせてあったので、脱出はむりでしょう。ま、もっとも、リトルカーには初めからのぼる気は起きませんでしたが。
穴を掘ることも考えました。けれど、いったいどこに向かって掘り進めばいいのか見当もつきません。手の皮がぜんぶむけて、爪もはがれ、骨がむき出しになるまで掘っても外に出られる保証はどこにもありませんから。
モグラじゃないんだから。とリトルカーは思いました。
でもいっそのこと、本当に自分の足下にぐうぜんモグラが出てきてくれないかなあ。そうすれば、モグラのあとをつけてトンネルを通じて外に出られるかもしれないのに。
そんな都合の良い空想をしているうちに、リトルカーはぐったりと地面にひれふし眠ってしまいました。
*
夜になりました。
リトルカーは目をさましました。月が出ています。あたりではうるさいくらいに虫たちの音楽が奏でられています。ときどき遠くで猫の鳴く声もします。リトルカーは反射的にガタガタふるえましたが、よく考えたら、ここはどこよりも猫に安全なのでした。リトルカーの口から、ゆるいためいきが出ます。
おなかがすいていることに気がつきました。大好物のコオロギが鳴いています。でも、リトルカーに近寄ってくる虫などいません。
まてよ!
リトルカーはハネおきて、ポンと手小槌を打ちました。とびきりのことを思い出したのです。果報は寝て待てとは、まさにこのことを言うのでしょう。
「右手法というのがあったな」
そうです。ひたすら、なにも考えずに、右側のカベづたいに行けば時間はかかるかもしれませんが、出口にたどりつくというあの、馬鹿ていねいな方法です。
クック。リトルカーはやっといつもの笑いがでました。なんてボクは利発なのだろう、と自分にほれぼれしてきました。
しかしそう、うまくいくでしょうか。
さっそくリトルカーは右側の壁に手をついて、たどたどしい足取りで歩行を開始しました。最後の頼みの綱とはこのことです。いちるの希望を胸にだき、心の糸をぴんと張りつめて、リトルカーは前進を続けました。
果たして、どれだけ時間がたったことでしょう。
まったくおかしなことがあったものです。こんなにへとへとになるまで歩きどうしなのに、外に出られる気配がまるでないのですから。
そうです、この迷路にはところどころダミー迷路がしかけてあり、そこに入りこむと、ぐるぐる同じところを永遠に回らされるハメになるのです。
もう万策尽き果てました。リトルカーは完全にお手上げです。心の糸がぷちんと切れてしまいました。ひもじさも手伝って、涙も出ません。その場にばったりと崩れ落ちました。
*
三日がすぎました。
リトルカーがいなくなったというので、みなうわさしあいました。
「あいつ、どこいったんだ?」
「猫にでも食べられたんじゃないか」
「まさかあ」
「旅に出るはずもないし・・・」
「もしかして、あそこに」
みなの目が迷路に向かいます。
そうさく隊が結成されました。
「おーい、どこにいるんだあ?」
「リトルカー、いるんだったら、声を出せ」
屋敷の周辺をくまなくさがしました。床下もさがし、蓮池もさがし、配水管も納屋も、とにかくリトルカーが行きそうなところは全部見て回りました。
「そこにいるのかあ?」
迷路に向かって呼ぶ声がします。それを聞いたリトルカーは、虫の息になっている息をますますひそめました。
「おーい、リトルカー」
「そこにいるなら、返事をしろー」
リトルカーは、ぴくぴくと耳を動かし、うっすらと目をあけました。そして、最後の力をふりしぼって立ち上がりました。とぎれとぎれのいしきの中でもまだリトルカーは、みんなから逃げる場所をさがそうとしていたのです。
「やっぱり、見てもらった方がいいんじゃないか?」
「そうだね、オーイ、スズメさん!」
呼ばれて、林にいたスズメが飛んできて、屋敷の軒先にとまりました。
「ちょっと、見てくれないかい?」
「オーケー」
言って、スズメは高い木に飛んでいきました。
「ねずみが一匹いる」
びくっとリトルカーは肩をすくめました。
(見つかった!)
もう、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がありません。リトルカーは顔を両手でふさぎました。
やっぱり、とねずみたちはささやきあいました。
「ゆうどうしてくれ!」
「いいよ」とスズメがこたえました。「でも、ーー」
「でも、なんだい?」
「もう、出口にいるんだ」
それを聞いたリトルカーは、なぜだか急に元気が戻ってきました。そわそわ頭を動かし、ヒゲをあげたりさげたりしました。
「リトルカートやら」とスズメは呼びかけました。「うしろを向いて、右に折れてごらん。そしたら、出るよ」
仲間たちが全員、迷路の出口の前に集まりました。
リトルカーは、ひどくバツのわるい気分がしました。どんな顔をしたらよいかわかりません。気取ったような何食わぬような、はしゃいだような沈んだような、ともかくリトルカーは手と足がちぐはぐのコッケイな動きをしながら、そっとみんなの前に姿を見せました。仲間のねずみが心配そうに声をかけます。
「なにしてたんだい?」
「いや、ちょっと、ここで遊んでたのさ」
なんと言葉を返してよいのやら。一瞬の沈黙の後、誰かが皮肉っぽく言いました。
「いのちがけでかい?」
「いや、その、まあ。楽しかったよ、とっても難しかったんだから」
リトルカーが照れたので、みんなドッと笑いました。リトルカーは、顔をまっかにして頭をかくしかありませんでした。
迷路を難しくしていたのは、いったいどこの誰なんでしょうね?
おわり
