亜熱帯の密林を、おれと佐古田は肩を組んで前進していた。負傷した右足がずきずき痛み意識がとぎれそうになった。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
おれは答えた。三日前、作戦が失敗してから、第五中隊はちりじりになりおれたちはあてどない前進をつづけていた。佐古田はおれよりもずっと背が高く、筋肉質で俊敏だった。ずんぐり鳩胸でっちりのおれより知的で物知りだった。
おれと佐古田は郷里(くに)の学校が一緒で、就職してからは疎遠になっていたのが、この島に送り込まれてきてふたたび出会ったのだった。
密林は鬱蒼としていた。樹の葉は毒々しい緑色をしていて幹には蔓が幾重にもからみつき、実際よりも何倍も大きく見えた。
ときおり遠方で銃声が響いた。
戦線は激しさを増していた。はじめに日本から送られてきた連隊は、二個の大隊と六個の中隊からなり、総勢が千五百人。島南東部に陣を張り、南緯2012度線をめぐって敵との激しい攻防をくりかえしていた。本来なら師団を組まなければ達成できない規模の作戦だった。つぎつぎに上陸してくる敵部隊にたいして、物資不足と本土からの応援の解除で、おれたちは日毎に戦死者を増やし続けた。味方の生存者はもう二百も残ってはいまい。
密林は夕方にさしかかっていた。われわれの汗の匂いに集まった蚊が首筋に襲ってきた。さっき降った霧雨に濡れた首元がうっとうしかった。
おれと佐古田は先を急いだ。脚をひきずるおれを佐古田は左腕に力をいれてひきあげた。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
おれはさっきよりも強い声で答えた。ざっくざっくとふたりの靴の進む度に枯れ木や落ち葉を踏みつけた。赤や青のぬんめりした甲をもつ昆虫が、おれたちが歩く度に葉の陰から出てきては隠れ去った。おれたちはなにも会話を交わさなかった。が、佐古田の腕の温かみがおれに伝わってきて友情が、美しさよりもむしろ悪臭や汚れにあることを知ろうとしていた。
風を切る音がした。
ターンと泥土に石のぬめり込むような衝撃が伝わり、とつぜん佐古田が脇腹を押さえてうずくまった。流れ弾が佐古田の内蔵をえぐったのだ。おれは叫んだ。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
そう言って立ち上がると、彼はなにごともなかったかのように前進をつづけた。佐古田はちょうど肋骨のとぎれる、へその横当たりを右手でおさえていた。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
佐古田のわきばらからは赤い血があふれるように出て、軍服を染めた。だいじょうぶだ、と佐古田は口の中でなんどもつぶやいた。あたりはだんだん暗くなってきた。「だいじょうぶ」佐古田はまたくりかえした。「だいじょうぶ」
密林の地形は起伏が激しく、樹の根がむき出しになって横に走っていた。そこを注意深くのぼったりおりたりした。佐古田の、おれをかかえる腕の力がぬけてきたのが分かる。
「やすもう」
「だいじょうぶ。だいじょうぶだ」佐古田のわきばらから流れ出る血は、ズボンのひざのあたりまで達していた。「だいじょうぶだ」
佐古田のあしどりは、明らかにゆるくなった。顔を見ると蒼白して目を閉じていた。
「だいじょうぶだ」
佐古田は言って、朽ち落ちる肉片のようにおれの肩からずりすべった。
「おい!」
「すまない、あの樹の下につれていってくれ」
佐古田の依頼におれはあわてて応じ、うしろから両脇をすくうようにしてひきずった。樹の根本についた佐古田は言った。
「だいじょうぶだ」
「み、水を飲め」
おれが言うと、佐古田は力無く水筒を瞥(み)たがそのままがくんと首をうなだれた。
「だいじょうぶか!」
「だいじょうぶだ」
おれはランプに火をいれ、リックサックの中からアルコールと包帯を取りだし、ベルトにつけていたナイフの鞘をぬいた。そして弾の当たったあたりの服をつかむとナイフで切り裂こうとした。
「だいじょうぶだ」
佐古田は執拗にくりかえし、おれの腕を振り払った。「だいじょうぶだ」
「しかし、・・・」
「だいじょうぶだ、しばらくやすんだら」
佐古田はそうしゃべりながら、まるで精気のぬけた人形のように動かなくなった。
「おい」おれは佐古田の体をゆさぶった。「しっかりしろ」
「だいじょうぶだ」
もういちど佐古田は言った。体がばたりと横にたおれた。「だいじょうぶだ」
佐古田の口は動いてはいなかった。「だいじょうぶだ」
腹話術のように佐古田は同じ言葉を繰り返した。周囲は暗くなっていた。獣たちの鳴き声が聞こえてきた。豆球を点けたて、顔を照らした。血管だけが浮き出た顔は白く血の気はまったくなかった。まるで車にはねられた食用ガエルのように白目をむいて舌をだし、口の中から透明のニスのような液体を垂れ流していた。「だいじょうぶだ」佐古田がまた言った。おれは佐古田の胸に耳を当ててみた。鼓動は完全に止まっている。手首にも脈がない。「だいじょうぶだ」腹話術のように佐古田は同じ言葉を繰り返した。こめかみに血管だけが浮き出た顔はますます白かった。突然、佐古田の体がぴくんと弓なりにしなったかと思うと九の字型にひきつって、体ぜんたいが硬直しはじめた。股間には液体の染みが広がり始めた。「だいじょうぶだ」また佐古田の声がした。もう一度顔に豆球を照てると、口からは水泡を吐き頬にはまだらの斑紋が浮き出てきていた。
「だいじょうぶだ」
おれは脚をひきずって先を急いだ。2007度線をどうにか越えた地点だった。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
おれは答えた。三日前、作戦が失敗してから、第五中隊はちりじりになりおれたちはあてどない前進をつづけていた。佐古田はおれよりもずっと背が高く、筋肉質で俊敏だった。ずんぐり鳩胸でっちりのおれより知的で物知りだった。
おれと佐古田は郷里(くに)の学校が一緒で、就職してからは疎遠になっていたのが、この島に送り込まれてきてふたたび出会ったのだった。
密林は鬱蒼としていた。樹の葉は毒々しい緑色をしていて幹には蔓が幾重にもからみつき、実際よりも何倍も大きく見えた。
ときおり遠方で銃声が響いた。
戦線は激しさを増していた。はじめに日本から送られてきた連隊は、二個の大隊と六個の中隊からなり、総勢が千五百人。島南東部に陣を張り、南緯2012度線をめぐって敵との激しい攻防をくりかえしていた。本来なら師団を組まなければ達成できない規模の作戦だった。つぎつぎに上陸してくる敵部隊にたいして、物資不足と本土からの応援の解除で、おれたちは日毎に戦死者を増やし続けた。味方の生存者はもう二百も残ってはいまい。
密林は夕方にさしかかっていた。われわれの汗の匂いに集まった蚊が首筋に襲ってきた。さっき降った霧雨に濡れた首元がうっとうしかった。
おれと佐古田は先を急いだ。脚をひきずるおれを佐古田は左腕に力をいれてひきあげた。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
おれはさっきよりも強い声で答えた。ざっくざっくとふたりの靴の進む度に枯れ木や落ち葉を踏みつけた。赤や青のぬんめりした甲をもつ昆虫が、おれたちが歩く度に葉の陰から出てきては隠れ去った。おれたちはなにも会話を交わさなかった。が、佐古田の腕の温かみがおれに伝わってきて友情が、美しさよりもむしろ悪臭や汚れにあることを知ろうとしていた。
風を切る音がした。
ターンと泥土に石のぬめり込むような衝撃が伝わり、とつぜん佐古田が脇腹を押さえてうずくまった。流れ弾が佐古田の内蔵をえぐったのだ。おれは叫んだ。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
そう言って立ち上がると、彼はなにごともなかったかのように前進をつづけた。佐古田はちょうど肋骨のとぎれる、へその横当たりを右手でおさえていた。
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだ」
佐古田のわきばらからは赤い血があふれるように出て、軍服を染めた。だいじょうぶだ、と佐古田は口の中でなんどもつぶやいた。あたりはだんだん暗くなってきた。「だいじょうぶ」佐古田はまたくりかえした。「だいじょうぶ」
密林の地形は起伏が激しく、樹の根がむき出しになって横に走っていた。そこを注意深くのぼったりおりたりした。佐古田の、おれをかかえる腕の力がぬけてきたのが分かる。
「やすもう」
「だいじょうぶ。だいじょうぶだ」佐古田のわきばらから流れ出る血は、ズボンのひざのあたりまで達していた。「だいじょうぶだ」
佐古田のあしどりは、明らかにゆるくなった。顔を見ると蒼白して目を閉じていた。
「だいじょうぶだ」
佐古田は言って、朽ち落ちる肉片のようにおれの肩からずりすべった。
「おい!」
「すまない、あの樹の下につれていってくれ」
佐古田の依頼におれはあわてて応じ、うしろから両脇をすくうようにしてひきずった。樹の根本についた佐古田は言った。
「だいじょうぶだ」
「み、水を飲め」
おれが言うと、佐古田は力無く水筒を瞥(み)たがそのままがくんと首をうなだれた。
「だいじょうぶか!」
「だいじょうぶだ」
おれはランプに火をいれ、リックサックの中からアルコールと包帯を取りだし、ベルトにつけていたナイフの鞘をぬいた。そして弾の当たったあたりの服をつかむとナイフで切り裂こうとした。
「だいじょうぶだ」
佐古田は執拗にくりかえし、おれの腕を振り払った。「だいじょうぶだ」
「しかし、・・・」
「だいじょうぶだ、しばらくやすんだら」
佐古田はそうしゃべりながら、まるで精気のぬけた人形のように動かなくなった。
「おい」おれは佐古田の体をゆさぶった。「しっかりしろ」
「だいじょうぶだ」
もういちど佐古田は言った。体がばたりと横にたおれた。「だいじょうぶだ」
佐古田の口は動いてはいなかった。「だいじょうぶだ」
腹話術のように佐古田は同じ言葉を繰り返した。周囲は暗くなっていた。獣たちの鳴き声が聞こえてきた。豆球を点けたて、顔を照らした。血管だけが浮き出た顔は白く血の気はまったくなかった。まるで車にはねられた食用ガエルのように白目をむいて舌をだし、口の中から透明のニスのような液体を垂れ流していた。「だいじょうぶだ」佐古田がまた言った。おれは佐古田の胸に耳を当ててみた。鼓動は完全に止まっている。手首にも脈がない。「だいじょうぶだ」腹話術のように佐古田は同じ言葉を繰り返した。こめかみに血管だけが浮き出た顔はますます白かった。突然、佐古田の体がぴくんと弓なりにしなったかと思うと九の字型にひきつって、体ぜんたいが硬直しはじめた。股間には液体の染みが広がり始めた。「だいじょうぶだ」また佐古田の声がした。もう一度顔に豆球を照てると、口からは水泡を吐き頬にはまだらの斑紋が浮き出てきていた。
「だいじょうぶだ」
おれは脚をひきずって先を急いだ。2007度線をどうにか越えた地点だった。
