『過去は変えられないが、過去の出来事をどう受け止めるかは 今、変えることができる』

ときどき、こういう言葉を聞きます。

『過去の事実を変えることはできないが、過去の事実に対して、今私たちがどう受け止めているか、すなわち過去の出来事への解釈は変えることができる。そして解釈が変われば、生き方が変わる。変われば、過去を変えたことになる』

というわけです。

本当にそうなのかな、と思います。

過去の事実どころか、宿命すら変えることができるのではないでしょうか?

宿命というのは、生年月日、生まれた所、親、親の財産、・・・などです。

けれども実は、私たちは、これらを今すぐに変えることができる。そう考えてみましょう。

興信所に行って、偽造、ねつ造してもらう、というのではなく、本当に生まれも育ちも変えてしまうんです。

変えてるんです実際。

たとえば、B高校を出ていたとする。それをやっぱりA高校に変えよう。いまの旦那と結婚するのをやめて、別の人にしよう。別の親から生まれてきたことにしよう。あの事故に巻き込まれなかった人生にしよう。・・・・。

すべて変えることができるんです。

実際、あの手この手で変えてるんです。

ところが、変えてしまえば、変えてしまった人生しか知りませんから、変わったとは思わない。
ずっと、同じ過去をもって生きてきたとしか思えない。

理想だったはずの人生が当たり前になる。こんなはずじゃなかったと思う。また、変える。どんなに変えても、変えたことは忘れている。振り返った時にある事実や経歴はずっと自分のもので、それ以外はなかったように思える。

そうすると、結局、今の人生に満足しない、不平不満がある、嘆き悲しむ、他人や社会のせいにする、という現状を嫌う癖が共通している限り、どんな過去であったとしても、やはり、別の人生がよかったと夢想してしまうのではないですか?

これは、キリがない。

では、変わったという記憶をもったまま、変わる方が、変わった気がするし、変わってどんなによかったか、逆にどんなによくなかったか、知ることができる。だから、私たちは、今を変えることで、過去や未来を変えることを選んでいるのではないですか?

あんな親から生まれてきたのに、高校にすら行かなかったのに、不幸な時代に生まれてきたのに、あんな事件や事故に巻き込まれたのに、とても努力して、眼を見開いて、認識を高め、人間や社会をよく知り、自分にあるものを認めて生かしてきたので、ここまで上昇した、という経験をしたかったから、その宿命を選んだのだ、と悟るのではないですか。

あるいは、逆に、嘆き悲しみ、恨みの人生を送るために。

他人から見れば、うらやましい経歴や出身の者が、自己を謙遜し卑下し、周囲を恨み、世界を滅ぼしたいと考えている。そんな人はいくらでも見たことがあるでしょう。

すべて、選択しているのです。

このリアリティでは、過去の事実をそのままにしておくのを選んでいるのです。

あるいは、そう思えるようにしておくんです。変えたことを忘れるという仕組みに同意して。

そして、今の自分の認識を上昇させていくことで、過去の事実に与えていた真実(意味)が変わるし、変われば、そんな意味を当てはめていたことすら忘れるかもしれません。解釈が変わるんです。解釈を変えるのではありません。

認識が高まれば高まるほど、今から先に起きてくる出来事はちがってきます。嘆いたり、悔やんだり落ち込んだりする必要のある事は起きてこなくなる。そして、それしか知りません。

解釈しなおす必要すらないのです。

つまり、どんな時も、私たちの認識や在り方が世界に映し出されているのです。今過去を振りかえって、上昇すれば、上昇したのに見合った出会いがあることでしょう。嘆く必要のない状況に移行していくことでしょう。

そして嘆いたり悔やんだりすることで、変化を止めていることに気づくでしょう。

だから、過去は変わらないし、未来も変わらないのです。

変化させたくないから、嘆いたり悔やんだりしているのです。だからこそ、過去を変えたい、やり直したいと嘆くのです。わかりますか?

これは、こうしなければならない。こうあるべきだ。こうでなくてはならない。

そういう自分をちいさく縛る信念を変えたくないがために、現状を嘆いているのに気がつきますか?

どっちを大事にとっておきますか? 信念ですか、それとも現状ですか。

どっちも同じものですが。

こんな話しをすると、難しいとかなんとか言って分からぬふりをしたり、怒ったり、どう考えようが自由だなどと言って拒否してまで、自分をちいさく閉じこめておく信念を守る。それが、信念の性質なんです。

なぜか? 

信念を変えれば、自分が変わってしまうことを知っているから。自分が変われば、今の状況、現実を変えることを知っているから。変えたくない、ひたっていたい、そんな自分に酔っていたい・・・。それが、本音なのです。

でも、大丈夫。変わっても、やっぱり『私』のアイデンティティはある。

未来からみれば、今は過去です。今という過去を変えるのは今です。変わった今から進んだ未来から振り返った過去は、それまでとは異なる過去の出来事を生じさせているでしょう。

自分の信念を洗い、取捨選択することで、上昇する許可を自分に与えます。上昇する許可を自分に与えたからこそ、信念を検討するのです。

信念が変われば、意味解釈も変わります。

ですから、私はこう言いましょう。

『過去の事実や宿命さえもいくらでも変えられるが、わたしたちは自分の経験したいことに合わせて、ぴったりした事実や宿命を変えないことを選んでいるし、信念を変えれば、これから先に生じる出来事、出会い、境遇も変わる。それは、つまり未来から見た過去を変えることだ。それから、過去に関しては、より大きな信念を育むために今より前の過去の出来事があった。自ずとそう見なすようになる』

難しいですか? 

もしそう思うなら、もうしばらく、そのままでいることを選んでいるだけのことです。

単純なんですよ、何事も。

もしあなたが、本気で変わろうと決意した時、残念ながら、ここに書いたことなど無意味です。当たり前すぎて、読む価値がありません。分かり切ったことをただ確認するだけになります。

そして、変わるつもりが無い時には、まったく役に立たない。わけがわからない。

なんて、おもしろい矛盾をしているのでしょう。

このことを憶えておいてください。

現実を創っているのは、信念で、信念が変われば、現実は変わる。

事実や宿命すら変えることができるが、このリアリティにいる私は、きっとそれを選ばない。変えてしまえば、しようと思っている経験ができなくなるからです。もっと言えば、信念を育むために、それまでの自分が自分で用意したものだからです。

信念とは、魂のレベルで、これはこう、と思い込んでいることです。

観念とは、理性のレベルで、これはこう、と決めていることです。

だいたい、観念を支えているのは信念です。

信念が大本です。

なぜ、自分がそう信じているのか、そう信じるメリットはあるのか。そのへんから観ていって、

これからこうなりたいと思う自分に合っているのか、役に立つのか、どんな信念に変えていくのか、ポイントは、そこにあります。

もちろん、本気で変わるつもりがあるなら、の話ですが・・・。