いきなり、七年の歳月が過ぎ、僕は中学2年になりました。懐かしい社宅を離れ、新しい家に引っ越したのです。社宅には、おもしろいことが山積みだったのですが、昭和というくくりでやると、どうしてもここまで飛ばざるを得ません。次回はすこし戻って転校した小学校の時の話しですが、今は昭和55年前後です。このころ擡頭してきたのが、タイトーやナムコのアーケイドゲーム機です。世間を席巻しました。いよいよデジタルが社会にデビューしたのです。それにまつわる様々な葛藤がありました。

                デジタル・バーサス・ネイチャー
 
「ゲームセンターや喫茶店は禁止だ。ああいう所にいると、カツアゲされたり、たかられたりする。だから、出入り禁止だ。君たちのためを思ってのことだ」
朝のホームルームでジッタが言った。土佐犬がうなるような声でジッタは話す。社会を教えていた。二年になって、僕のいるクラスの担任になったのだった。校則はすべて僕らを守るために設定されていた。頭髪が丸刈りなのも僕らを守るためだった。純粋な僕はそう信じていた。
「おい、中島、行ったら、いかんぞ」
ひょうきんでお調子者の生徒にジッタ先生は釘を刺した。中島は、二年のクラスが決まったあと、家に帰り「ジッタになった。担任はジッタ。ジッタ、ジッタ」と母親に告げ、それ以来一度も本名で呼ばなかったものだから、家庭訪問の時に、母親が「まあ、これはこれは、ジッタ先生でいらっしゃいますか?」と出迎えたそうだ。いや、新田です。え! 母親は冷や汗三斗、赤面してしどろもどろになったのは言うまでもない。

昭和54年には卓上型のインベーダーゲームが地方にも出回っていた。ゲームセンターには若者が集まり、せいぜいテニスゲームやブロック崩ししかなかったテレビゲームは、それまでのファミリーなイメージから、一気に不良の遊び物になった。55年にパックマンが登場してからさらに加速がついた。僕はゲームよりもマイコンに興味があったが、父のひとつきの給料より高いNECのPC8001が買ってもらえない腹いせに、卓上型ゲームに百円を投じて逃避していたのだが、ーー僕は平安京エイリアンが好きだったーー、学校以外に若者がたむろすることを嫌う社会が学校に訴えたのだろう。このほど、正式に禁止が決定した模様だ。
 
一年の時もジッタは僕のいるクラスの担当だった。ジッタはニタニタしながらいつも、自分が年老いた母親とふたり暮らしで、苦学して九大に行き、教職に就いて奨学金も返さないで済み、激寒の二月に畑のあぜにほうれん草を植える母親を気づかう話しをしては授業を脱線した。
ジッタ先生は、自分の担当している期末考査の監督をいつものように途中で抜け出し、その時、模範解答が順々に回ってくるという集団カンニング事件が起きたのだが、事後、やった者を自分の前に一列に並ばせ、ひとりひとりビンタをかませるということがあったけれど、僕はこの教師のことを一年の半ばくらいまでは尊敬していた。しかし、彼が提出させていた社会の予習ノートに、記憶を鮮明にするために描いたクロムウエルのまじめなイラストを見て「こんなことするからこのごろ成績が落ちてるんだ」と咎められて以来、この人の評価を保留してきた。

なぜこんな大それたカンニングが起きたのか。それは、彼が定期試験用にと配るプリント数枚からは一問も出題されず、かわりにある塾でジッタ対策として使用されていた別の会社のプリントからそのままコピーしてテストに使うという、半ば不公平な試験だったことへの反抗でもあった。模範解答が前の席から回って来た時、なんだろうと思って、僕はチラっと見てしまった。見たからには答えを一つ憶えてしまった。憶えてしまったからには、書くしかなかった。そして女生徒が告げ口し、カンカンに怒ったジッタの「カンニングした者、出てこい」には応じざるを得なかった。それでも僕は64点だった。

そんなことはともかく、そのクラスには米末という生徒がいた。米松は目が細く額に皺が三本入っていた。まるで蛸だ。四月の早い段階で彼はライターの改造品を学校に持ってきた。
「それなんだ?」
「これは、電子ライターの発火装置の部分だ」
「なんに使うんだ?」
聞くと米末は、ボタンを押して見せた。閃光が飛んだ。まるで、ミニ雷だと僕は思った。そして、近くの生徒の尻に当てた。
「いて!」
生徒は飛び跳ねた。「なにするんだ」尻をなでながら訴えた。
「電子が出るんだよ」
勉強はできない。だが、こういうことには長けていた。親が黄金のボランティア業に従事していた。そのことを同じ小学校から来た生徒が馬鹿にした。けれども米松は「ぐぼ、ぐぼ、ぐぼぼぼぼぼ」などと自分から、汲み取り時の擬音を出して見せた。
「こいつをゲーム機に放つと、クレジットがあがるんだ」
「壊れないのか?」
「壊れない。クレジットだけがあがる」
「本当か?」
日曜に彼についていった。隣の市にある無人のゲームセンターだ。ジュースとカップラーメンの自動販売機とテレビゲームだけがある国道沿いのプレハブだった。ゲーム機にライターを押し当てボタンを押すと、画面にピシッと横筋が入った。米松の言った通り、右下に表示されている数字が1にカウントされた。当て所があった。返金ボタンだ。ここに2、3回電子を放つのだ。
「やっていいよ」
監視カメラの死角から事を遂げた米松が静かに言った。インベーダーゲームだった。作りが単純なので、これが一番やり易いのだという。僕はほとんどやったことがなかったが、すでに彼は『名古屋撃ち』も修得済みで飽きていたようだ。最新のギャラクシアンやクレイジークライマーをやっていた。
パックマンの永久パターンを最初に解読したのは米松だった。モンスターの動きに関係なく、パックマンが一定のコースをまちがいなく進むだけで、モンスターにやられることもなく、また、パワークッキーを食った後、モンスターに逆襲するボーナス点をすべて取れるというパターンがいくつかあり、それを見つけるのが攻略の醍醐味だった。そして『鍵の九面目』以降は最後までまったく同じパターンで通用するというものだった。これを僕らの地域で最初に見つけたのは彼だった。オリジナルのパターンまで開発した。

しばらくして、米松がガスコンロのひねりを持ってきた。
「なんだ、それ?」
「ああ、これ。このごろ、ライターじゃ利かなくなった」
聞けば、ゲーム機に耐性がついたらしく、ライター程度の電子ではクレジットがあがらなくなったらしい。それで、ガスコンロの着火部分を外してもってきたというわけだ。僕らはまた日曜日に試しに出かけた。ガチ! ガチ! こっそりやっているのに、音が大きい。ガチ! ガチ!
「ああ、ダメだ」
力ない声をあげ、米松はあきらめた。「ならない」
月曜日、米松は針金を持ってきた。「こんどは、これでひっかく」
コイン投入口にさしいれ、コインが通過するのを装うのだという。文明の利器から急に原始的な道具になった。
この後も彼は、金槌で叩いて径を百円玉に合わせた5円玉の穴に釣り糸をつけてきたり、鉄板を百円と同じ径のポンチで打ち抜いたコインを持ってきたりした。しかしその度にゲーム機は改良され、どの方法も利かなくなった。

上級生の中には、教師を平気であだ名で呼び捨てにする人がいて、ジッタはたいそう嫌われてもいないが、とくに好かれてもいないといったかんじだった。裏のない真面目な人物なのだが、どこか、人間としてズレている。そんな印象がつねにつきまとった。
「なぜ、ジッタっていうのか?」
二年になる時、僕は上級生の女子に聞いた。上から繰り越されてきたニックネームだった。名前が新田だからか、と。女性とは首をふった。
「ジッタじゃない。正確には、ジッダ。漫画に出てくるおじさんにそっくりだから、それで」
という理由だった。けれど、サウジアラビアのメッカのすぐ横にある都市がジッダといい、口の回りにヒゲを生やし、牛乳瓶の底みたいな厚いレンズのくろぶち眼鏡をかけ、ザンギリ頭をしたジッタ先生のジジむさい風貌が、限りなくアラビア人に似ていたことは偶然ではないだろう。
「おい、見ろよ、ここ」
地理が不得意なくせに世界地図を眺めるのだけは好きな中島が、オマーンのマスカットを探し当てたついでにジッダも見つけたのだった。
「ジッタのやつは、ここの出身にちがいない」
中島は、持説を広めた。

「シベリア出兵はしっぺいした」
黒板に向かって板書する手をとめて、斜め下を向きジッタは言った。そんな駄洒落を言うとき、きまって、不気味な顔でニタニタしているのだ。己に酔ったような表情と言ったらいいかもしれない。生徒を叱るとき、悪いことは悪いと疑いもなく叱るのだが、土佐犬がうなるような声で咎めていたかと思うと、わけもなく急にニヤニヤしてくる。怒気をやわらげ、生徒を安心させようとしているというより、彼の内部で多幸感を味わっているように思えた。きっと、辛い苦学生時代に、不安のどん底に落ち、この多幸感を得て以来、感情がピークまで達すると至福の境地になるメカニズムができてしまったのだろう。僕はそんなふうに想像しないではおられなかった。
「人間は、目標がなければ伸びない」
ジッタは、授業中に時々、怒ったようにそう言った。また、こうも言った。
「石野真子が売れたのは、ピンクレディやキャンディーズが解散したり、山口百恵が引退したりして、ちょうど誰もいなかったところに、ぽっと出てきたからだ」
彼が歴史から学んだことは、たいしたことではなかったのだろうと察しがつく。
「レーニン、スターリン。ガンジー、ネール。三国同盟、三国協商」教科書に出てくる重要な名前や言葉を何度も口許で繰り返した。「オゴタイ、チャガタイ、キャプチャグ、イル。ミラノ、トリノ、ジェノバ。スペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリオ。メッカ、メジナ」
粗悪な教科書と教師しか道具のなかった境遇に、彼は歴史の流れも理解せずに、どうにかこじつけて答えを暗記していたのだろう。彼の大学受験は昭和30年代で、まだがむしゃらな努力が出世につながった時代のやり方だ。しかも、ひとつひとつの言葉について、近視眼的にネチネチ説明するが、全体の流れも、相対的な位置づけも、どう連動しているかもまったくつかめないのだ。けれどそれはジッタ先生のせいではない。歴史とはそんなものなのだ。わからないことだらけで、それに流れをつけて歴史観を披露したところで、結局、個人的なこじつけ以外のなにものでもない。

禁止令が出る前のある日曜日、僕らが駅前にある大塚デパートの屋上から降りてきていると、ちょうど登ってきているジッタと鉢合わせした。
「なんしょったとか?」
「あがっただけです」
と、連れが言った。
「ほうとうか?」
ジッタはいぶかった。もちろん、初犯で見つかるはずもなく、何度も通っていたのである。
「こんなところに遊びに来ちゃいかんぞ」
「はーい」
それ以来、僕はイケナイ所に出入りするイケナイ奴としてジッタに目を付けられることになった。
「おい、こんど八女のゴルフ場に行こうぜ」
「そこにもゲームがあるのか?」
「ああ、たくさんある」
それで、僕らは教師が補導できそうな範囲を逸れて、どんどん遠くに行くようになった。それは、校則違反よりもかえって危険な行為ではなかったか。

久留米にまで足を伸ばす前、僕は校区外のバッティングセンターに友達と行った。ここまで来ると補導の教師の監視から離れるので、堅苦しい切迫感がなくなって開放的な気分になった。この校区の補導員は僕らが範囲外だし、ジッタたちは他校区のテリトリーをあらすことはない。
「おい、これ、こうすると、タダでできるんぜ」
友達はそう言うと、返金ボタンを手の腹でゴンゴン押した。チャリンと音がして、画面のクレジット表示が1にカウントされていた。
「な」
百円が儲かったのだ。その方法で、僕たちは何度もなんどもタダでゲームをした。
「おい、きみたち」
後ろから声がした。係員だった。
「なんしよるとね」
「あ、いや、お金を入れても、ひっかかっているようなので、出しているんです」
友達が言った。
「そうか、ならいいや」
係員は後輩を見るような優しい笑顔でそう言うと立ち去った。そのあとも僕らはクレジットを20まで上げて、タダでゲームを楽しんだ。1回百円なんて高すぎる。次に行った時、例の方法ではクレジットが上がらない。修理されたのだろう。そのついでかどうか知らないが、ゲーム機は五十円で2回に設定が変えられていた。でも、その方がいいと思った。これくらいなら、ちゃんとお金を出してすっかり堪能するまでやっても、費用がかさばらない。あの優しそうな係員が考えたのだろう。
その帰りに、遊び足りない僕が近くを物色していると、いかにも最新のゲーム機の置いてありそうな喫茶点を見つけた。重い扉で塞がれ、会員制のバーのような作りになっている。周囲はもう、ずいぶん暗くなっていた。店の前には大型のバイクが数台とめてあった。扉を開けると、急にジャズが流れてきた。煙草の煙が充満していた。リーゼントにした青年が数人、アフロにカチュウーシャ、腰のくびれたフレアスカートをはいた女が一人、ウイスキーを飲んでいる。
卓上のゲーム機がテーブルがわりに並べてあった。どれも、見たことのある古い機械だったが、せっかく来たついでと、僕はコインを投入した。
タバコを指にさした黒い革ジャンを着た青年が横に来た。僕はブラウン管を見ていたので、ちらっと目をやっただけだった。
「どこん中学ね。ああ、あそこ。あそこには、中田って先生がおらっしゃるやろ。世話になったぁー」
そんなふうに声をかけてきた。
「ここは、二十四時間営業じゃなかばってん、俺たちがおるけん、好きなだけおってよかよ」
彼は親しげで、悪意はまるで感じられず、それどころか、教師や警察の自分たちに貼るレッテルに反発していたからか、かえってよそよしいくらいだった。

そんな日々の中、またホームルームでゲームセンターの話しが出た。行ったらいかんと言っていたのに、どうもこのごろ、ゲームセンターに行っている者が見受けられるとぼやいた後、
「ゲームセンターとか、喫茶店とか、そういう暗くてじめじめしてタバコの煙くさいところじゃなくて、大自然の中で遊ばんといかん」
とジッタが言った。
「デジタルとか電気なんて。自然に還れだ。ボクなんか、君らくらいの年のころ、よく釣りに出かけたものです。釣りをしていると自然と一体になって、じっと己を見つめることができたもんです。それで、こんなにデキた人間になった」
汚れた馬みたいな前歯を見せてニヤニヤした。
「ゲームセンターじゃなくて、釣りに行きなさい」
そんなお達しがくだったころ、ちょうどブラックバス釣りが流行り始めた。ルアーで釣るのが上級者とされ、餌釣りは馬鹿にされた。ジッタの勧めもあり、僕の情熱はブラックバスに向けられた。
友だちと方々の川やクリークに行っては、ブルーギルやライギョなどといったルアーで釣れる肉食魚を相手に練習を積んだ。
「広川のダムでブラックバスが釣れるらしい」
という噂を聞きつけて、僕らは何度かその地まで一時間以上かけて登りの道を汗だくで自転車をこいだ。ブラックバスをルアーで釣るというのは、オオクワのオスを捕まえるくらい稀で名誉なことで、そこまでの距離も登攀もまったく苦にならなかった。
ダムの周辺は森林に囲まれ、ジッタの言う通り涼しくさわやかだったにちがいない。しかし僕の目は池を凝視し、水面下のブラックバスを想像して興奮していた。
しかし、何度通ってもブラックバスはかからず、根がかりして大事なルアーを失うばかりだった。日曜に野球の練習が終わった後に、僕は竿をたずさえ、ひとりきりでダムまで出かけることさえあった。

その日も、いくら入れておくか少し迷ったが、まあ大事はなかろうとタカをくくり、いつもより百円多く、貯金箱から三百円ほど取り出して財布に入れ、出かけた。
もうすぐダムというところで、黒いジャンバーを着て、額をそり込み、髪に油を塗っている中学生数人に出会った。僕は、そいつらをすいすいやりすごし先を急いだ。 
小便がしたくなったので、橋の脇に自転車を止め、川べりに行った。そこは背の高い草が生え、地面は下草で覆われていた。とても見通しの良いところだったので、さて、どこに向かって事を為せばよいかと思案していた。
「お、いたいた」
と声がした。振り返ると、さっきの少年たちがぞろぞろやってきた。丸刈りは、生徒を守ってくれるどころか、イタイケさを表す格好の目印なのである。
「おい、金貸してくれや」
「お金ですか?」僕は出し渋った。「ちょっと、持ち合わせが・・・」
「その場で、跳んでみろや」
多勢に無勢。通常、こういう時はおとなしく従っておいて被害を最小限に抑え、戻ってから仲間を連れてボコボコにして返すというのが常とう手段だったので、みじめで屈辱だったけど、僕は笑顔を浮かべながら、「こうですか?」などと敬語で指示に従った。
「もっと、ぴょんぴょん、元気よくだ」
「このくらいですか?」
「もっとだ」
「こうですか?」
余裕だった。というのも僕には勝算があったからだ。財布は巾着袋で、紐で巻いてある。防犯用に、これを持ち歩いていたのだ。
「めんどうだ。財布出せ」
親しげで、それでいて威圧的な声で別の少年が言った。観念して僕はポケットから財布を出した。
「なんだ、きんちゃくかよ。これじゃ音しねえはずだ」
くるくるっと紐を外すと、彼は中から銀色のコインだけをえり分けた。
「はい、お釣り」
アルミと銅のコインはそのままにして戻ってきた。
「ありがとう」
僕はお礼まで言った。屈辱感は意外に気持ちのいいものでもあった。
それでも僕はひとしきり釣りをしてから帰路についた。あの少年たちが獲物を探してダムの周りをうろうろしているのが見えた。周囲には、彼らを取り締まる目はない。その日も僕はボーズだった。
帰り道、腹が減った。田舎道で店は見当たらなかったが、一軒みすぼらしい商店を見つけた。中に入り、おにぎりセットを手に取った。
「すいません、これください」
「あいよ、二百八十円ね」
「じゃ、これで」
僕は靴下と足の裏の間にちいさく畳んで入れておいた五百円札を取り出して渡した。
「はい、お釣り」

学校に行き、昨日の惨劇を番長の安田に話した。
「広川中のやつらだな。よし、兵隊を集める。次の日曜日が決戦だ」
彼は意気込んだ。
それから2、3日した時、ジッタが朝のホームルームで言った。
「広川のダムあたりでカツアゲしていた中学生が警察に捕まった」
(ははん、あいつらだな)
と僕は思った。
「ブラックバスを釣りに来る中学生を狙っていたらしい」
僕が擬似餌で釣ろうとしていた魚を餌に僕を釣り上げていたとは。などと考えると、ますますみじめで屈辱だった。
「もうしませんと反省しているらしい」
とジッタは言った。反省しても金は戻ってこないんだろうなと思った。ジッタは、金を貸してくれと言っても返さないなら犯罪だとかなんとか言って、この中学で同じような生徒が出ないように釘を刺して話しは終わった。僕はちょっと首をかしげた。イケナイやつをイケナイと咎めたら何が償えるというのか。
この人は、ひとりで苦しんでいる生徒に手を差し延べないどころか、理解さえしない。その上、要らぬことばかり指示すると思ったのは、正直なところだ。
「じゃあ、もういいんだな、戦争」
ジッタ先生が去った後、安田が言った。
なんだか、悔しい思いが収まらなかったが、僕は無言でうなづいた。

「彼らは、生活のために働いているだけだからな」
のちに、汽車の中で知りあった国立大の教育学部生にそう諭された。
「本当は、君らを理解し、差し延べられる手は、差し延べることで給料をもらっていることになっているのだけど・・・」
いつもは、冗談ばかり言っていた彼が見せたまじめな顔だった。
確かに、尊敬から学びは始まるのかもしれない。けれども、それは尊敬に値する教師に限るのだと気づくのが、オボコな僕は遅かったようだ。教師を理解するのは、僕の方だ。そんなふうに僕は諦めた。
それからも僕は中学時代を通して、嫌と言うほど繁華街に出かけ、ゲームのある店をめぐったけど、カツアゲにあったことは一度もなかった。

このように、昭和とは、ただひたすらに昭和だったのだ。