町営の団地に引っ越して間も無い頃だ。僕はこの田舎の風習に呆れ返るばかりで、ーーなにせこの地域ときたら、決められた行事、たとえば清掃作業などのボランティア活動に参加しなければ、罰金を徴収される上に、支払いに応じないと、仲間外れにするぞと脅しをかけてさえ恬としている恐ろしく幼稚っぽいシキタリを温存していたのだからーー、まだどこに誰が住んでどんなことを考えているか、さっぱり知らない時期のことだった。
棟の一階の入り口には集合ポストがあるのだけれど、いつのころからか、いつの間にかそこに、子供がまたがって遊ぶプラスチックの車が五つばかり置かれていた。それはずいぶん年季がはいっていて色あせ、ひからびて所々に割れ目や凹みがあった。そして車のフロント部にはクマや犬やネコやパンダやコアラの顔がくっつけてあったのだけど、キョロっとした目のそれがずらっと並んでニコニコ笑ってこっちを見ていた。やけに場所をとっていて、ポストの中身を取る時ずいぶんジャマになったものだ。
「誰がこんなところに置いたのかナア」
と、僕はこの階段沿いに住んでいる中で小さい子供のいる家庭を想像してみた。でも、まあ、いいか。と思っていた。
校則が厭で、こうして高校を中退して毎日部屋に閉じ籠もっているのに、まだ外の世界ではオカシナことが目白押しなのかと思って、ちょっとうんざりした気にもなった。ともかく僕は動物たちをポスト下のキョロちゃんと呼んだ。
ポスト下のキョロちゃんたちは、いつまでたってもこっちを向いてニコニコしながら並んでいるだけで、いっこうにいなくならなかった。ときどきどこかの子供が引っぱり出して遊んでいる様子もなさそうで、初めから並んでいる通りの順番でズラっと勢揃いしたままだった。
ある朝、母にゴミ出しを頼まれたので集積場に行くために棟に三つある入り口の真ん中の階段の前を横切ったとき、そのポストの下にもクマや犬やネコなどが並べてあったのを見かけた。それは僕のところに置いてあるのと同じくらい古くて色落ちし、ほころびがあった。もしやと思ってそのまた横の階段のポストのところに行ってみるとやっぱりクマや犬やネコやパンダやコアラがニコニコしながらこっちを向いていた。ついでに隣の棟や後ろの棟にまで足をのばしてみた。するとやっぱりそこにも脱色した動物たちが数匹ずつ置き去りにされている。そしてやっぱり黙ってニコニコしていた。
「キョロちゃん、どこにでも生息していたよ」
「誰があんなところに置いたのかしらネエ」
数カ月たったころ、とうとう母も不審に思い始めたようだ。
推理するにこれは、この辺に住む親切おじいさんの仕業だね。じぶんは、生きるためにこれまでさんざん悪いことをしてきた、と反省したおじいさんが、
「世のため人のために尽くさなければならない」
と思い立ったのにちがいない。いや、もうこれは絶対にそうだ。他に考えようがない。邪魔になるものっていうのは、たいてい親切心から発想されていると相場が決まっているのだから。
ひょんなことから、死ぬ前に何か善行をしておかねば善が返ってこないと何か勘違いした思想を学んだおじいさんは、一晩中、いや夜もあけぬ内から起き出して腕組みしながら考えに考えたね。そして、ハタと思いつき手槌を打った。
「おう、そうじゃ」
子供が大きくなって使わなくなったおもちゃを集めて、まだ小さな子供に配れば、
「一挙両得じゃ」
そう思い立ったおじいさんは、さっそくその日から動物たちをかき集めたね。子供たちの喜ぶ姿を思い浮かべながら。何が一挙両得かわかんないけど。
ごみ箱を漁っているおじいさんを近所のひとが不審そうな顔をして見ても、子供たちのはしゃぐ姿を思い浮かべると、怒る気も失せ、ハッハッハと愉快に笑って余裕なぞ見せたりする。環境センターに頭を下げて掛け合い、遊園地の廃物係りと話しをつけ、やっとこさまとまった数をそろえると、
さて、実行に移さなければならんが、なにせ、
『徳はこっそり積んでこそ、ありがたい』
もんだからと、黙って誰になんの断りもなく、善行をやらかしたんだな。おじいさんの白羽の矢が向けられたのが、若夫婦と小さな子供のたくさんいるこの公営団地だったというわけなんだ。
たぶん丑の刻あたりにそーっと善行を積んでいったらしい。目撃者がひとりもいないところを見ると。それで、使っていいものなのか、いけないものなのか誰にもわからない動物たちがデーンとポスト下に鎮座して足場を占領することになった。とまあ、そういうストーリーを僕は考えた。
ずいぶん長いこと微動だにせずキョロちゃんたちはポスト下にいたけど、業を煮やした母が小さな子のいる若夫婦にたずねてみると、どうやらこの階段沿いに住む人の物ではなさそうだということが判明した。それで動物たちは、ヒモで前やうしろや上や下を向いてぐるぐるに縛りつけられ、ゴミ出しの日に収集場に積み上げられることになった。この収集場は鉄格子でできていてまるで檻なのだけれど、動物園のキリンみたいになっても、やっぱりクマや犬やネコやパンダやコアラはキョロっとした目でこっちを見てニコニコ笑っていた。
ところで、僕が学校を辞めたのは、ばかばかしい規則を守ることが目的になっていることに嫌気がさして、どうにも止まらなくなったからだ。どこにでかけるわけでもなく、ひねもす寝転がり、窓という窓に落下防止のためにこしらえつけられたアルミの柵のついた、まるで監獄みたいな部屋に閉じ籠もって、僕は毎日そのことについて考え続け、また見つめ続けていたのだけれど、いっこうに答えはでなかった。
けれどもある日、ふと思い当たった。この団地に越してきてさえ、ボランティア活動に参加しなければ罰金を払う義務をねつ造してしまう矛盾というか、阿呆らしさの極地というか、善を装った自虐的なルールが僕らにつきまとうのは、僕自身がそういう渦の中に組み込まれていることを知らなかったからではないか、と。ーー僕はキョロちゃんだ。
きっとゴミ収集場にこづまれたキョロちゃんたちを見たひとがいたのだろう、それからあっと言う間に、団地中のクマや犬やネコやパンダやコアラは全ていなくなった。
でもほんの2,3匹、公園の砂場のあたりに生き残っているのを見かけた。団地の人がもってきたのか、おじいさんがまた善行を積んだのか、とにもかくにも、ここで起きることはいつも僕の想像を超えている。
それからまたしばらくすると、公園のキョロちゃんもいなくなった。そして僕は、人生を歩まなければならない、と、なぜだか思った。
棟の一階の入り口には集合ポストがあるのだけれど、いつのころからか、いつの間にかそこに、子供がまたがって遊ぶプラスチックの車が五つばかり置かれていた。それはずいぶん年季がはいっていて色あせ、ひからびて所々に割れ目や凹みがあった。そして車のフロント部にはクマや犬やネコやパンダやコアラの顔がくっつけてあったのだけど、キョロっとした目のそれがずらっと並んでニコニコ笑ってこっちを見ていた。やけに場所をとっていて、ポストの中身を取る時ずいぶんジャマになったものだ。
「誰がこんなところに置いたのかナア」
と、僕はこの階段沿いに住んでいる中で小さい子供のいる家庭を想像してみた。でも、まあ、いいか。と思っていた。
校則が厭で、こうして高校を中退して毎日部屋に閉じ籠もっているのに、まだ外の世界ではオカシナことが目白押しなのかと思って、ちょっとうんざりした気にもなった。ともかく僕は動物たちをポスト下のキョロちゃんと呼んだ。
ポスト下のキョロちゃんたちは、いつまでたってもこっちを向いてニコニコしながら並んでいるだけで、いっこうにいなくならなかった。ときどきどこかの子供が引っぱり出して遊んでいる様子もなさそうで、初めから並んでいる通りの順番でズラっと勢揃いしたままだった。
ある朝、母にゴミ出しを頼まれたので集積場に行くために棟に三つある入り口の真ん中の階段の前を横切ったとき、そのポストの下にもクマや犬やネコなどが並べてあったのを見かけた。それは僕のところに置いてあるのと同じくらい古くて色落ちし、ほころびがあった。もしやと思ってそのまた横の階段のポストのところに行ってみるとやっぱりクマや犬やネコやパンダやコアラがニコニコしながらこっちを向いていた。ついでに隣の棟や後ろの棟にまで足をのばしてみた。するとやっぱりそこにも脱色した動物たちが数匹ずつ置き去りにされている。そしてやっぱり黙ってニコニコしていた。
「キョロちゃん、どこにでも生息していたよ」
「誰があんなところに置いたのかしらネエ」
数カ月たったころ、とうとう母も不審に思い始めたようだ。
推理するにこれは、この辺に住む親切おじいさんの仕業だね。じぶんは、生きるためにこれまでさんざん悪いことをしてきた、と反省したおじいさんが、
「世のため人のために尽くさなければならない」
と思い立ったのにちがいない。いや、もうこれは絶対にそうだ。他に考えようがない。邪魔になるものっていうのは、たいてい親切心から発想されていると相場が決まっているのだから。
ひょんなことから、死ぬ前に何か善行をしておかねば善が返ってこないと何か勘違いした思想を学んだおじいさんは、一晩中、いや夜もあけぬ内から起き出して腕組みしながら考えに考えたね。そして、ハタと思いつき手槌を打った。
「おう、そうじゃ」
子供が大きくなって使わなくなったおもちゃを集めて、まだ小さな子供に配れば、
「一挙両得じゃ」
そう思い立ったおじいさんは、さっそくその日から動物たちをかき集めたね。子供たちの喜ぶ姿を思い浮かべながら。何が一挙両得かわかんないけど。
ごみ箱を漁っているおじいさんを近所のひとが不審そうな顔をして見ても、子供たちのはしゃぐ姿を思い浮かべると、怒る気も失せ、ハッハッハと愉快に笑って余裕なぞ見せたりする。環境センターに頭を下げて掛け合い、遊園地の廃物係りと話しをつけ、やっとこさまとまった数をそろえると、
さて、実行に移さなければならんが、なにせ、
『徳はこっそり積んでこそ、ありがたい』
もんだからと、黙って誰になんの断りもなく、善行をやらかしたんだな。おじいさんの白羽の矢が向けられたのが、若夫婦と小さな子供のたくさんいるこの公営団地だったというわけなんだ。
たぶん丑の刻あたりにそーっと善行を積んでいったらしい。目撃者がひとりもいないところを見ると。それで、使っていいものなのか、いけないものなのか誰にもわからない動物たちがデーンとポスト下に鎮座して足場を占領することになった。とまあ、そういうストーリーを僕は考えた。
ずいぶん長いこと微動だにせずキョロちゃんたちはポスト下にいたけど、業を煮やした母が小さな子のいる若夫婦にたずねてみると、どうやらこの階段沿いに住む人の物ではなさそうだということが判明した。それで動物たちは、ヒモで前やうしろや上や下を向いてぐるぐるに縛りつけられ、ゴミ出しの日に収集場に積み上げられることになった。この収集場は鉄格子でできていてまるで檻なのだけれど、動物園のキリンみたいになっても、やっぱりクマや犬やネコやパンダやコアラはキョロっとした目でこっちを見てニコニコ笑っていた。
ところで、僕が学校を辞めたのは、ばかばかしい規則を守ることが目的になっていることに嫌気がさして、どうにも止まらなくなったからだ。どこにでかけるわけでもなく、ひねもす寝転がり、窓という窓に落下防止のためにこしらえつけられたアルミの柵のついた、まるで監獄みたいな部屋に閉じ籠もって、僕は毎日そのことについて考え続け、また見つめ続けていたのだけれど、いっこうに答えはでなかった。
けれどもある日、ふと思い当たった。この団地に越してきてさえ、ボランティア活動に参加しなければ罰金を払う義務をねつ造してしまう矛盾というか、阿呆らしさの極地というか、善を装った自虐的なルールが僕らにつきまとうのは、僕自身がそういう渦の中に組み込まれていることを知らなかったからではないか、と。ーー僕はキョロちゃんだ。
きっとゴミ収集場にこづまれたキョロちゃんたちを見たひとがいたのだろう、それからあっと言う間に、団地中のクマや犬やネコやパンダやコアラは全ていなくなった。
でもほんの2,3匹、公園の砂場のあたりに生き残っているのを見かけた。団地の人がもってきたのか、おじいさんがまた善行を積んだのか、とにもかくにも、ここで起きることはいつも僕の想像を超えている。
それからまたしばらくすると、公園のキョロちゃんもいなくなった。そして僕は、人生を歩まなければならない、と、なぜだか思った。
