なんの根拠もないけれど、なぜか私の知っていることを書き残しておきましょう。こんな情報でも役に立てる人がいることを知ったからです。

三次元に住む私たちは、ほとんど既製品を選んで済ませています。99・97パーセントは、選んでいるだけです。いわばこの地球は、選択の惑星なのです。ですから、私たちが今の瞬間にさっきとは違った自分を選ぶと、たとえば『鳴いたカラスがもう笑った』的な変化をしたら、悲しくて泣いていた波動から、おかしくなって笑った波動に私たちが変化したと同時に、すでに無数に存在しているパラレルリアリティを移動したと表現するのが正確な事態に直面しているのです。

ところが、六次元に住む人たちは、創造を行なっています。彼らは次元の創造ができるのです。自分で創った雰囲気の中にいることができるのです。どこかに移動するというのでなく、この場に、自分のいたいリアリティを創り出して、そこにいる。そういったイメージです。似たようなことは、この三次元でもできます。部屋の模様替えをしたり、音楽を流したり、香を焚いたりするのが似ています。そして、実は気分を替えているのです。気分を替えると、それまでとは異なったリアリティにシフトしているのです。

愛とは究極のところ、一体性、存在自体が尊いというものなのですが、そこまではないが、愛の一種と呼べる愛もたくさん存在しています。それを六次元の人たちは創っているのです。つまり、部分の愛、差のある愛、相対的な愛というわけです。かれらは、こんな愛はどうかしら? こうすればもっと愛を感じられるんじゃないかしら? こう作ればもっと調和して機能的なんじゃないか、などと試行錯誤しているのです。言い方は悪いですが、この部分の愛の開発競争というか切磋琢磨が、地球で言えば『戦争』と同じものです。彼らはなにも破壊したり滅ぼし合ったりする戦争をしているのではありません。

愛を誰かが創っている?

そういうことなのです。私たちは、そのどれかを選んでいるのにすぎません。日ごろ私たちがよく感じる愛、親切、嘘も方便、故意の誤解、それから、五年十年してやっと感じる愛、ありますね。当時はあんなヒドイこと、と怒り恨み悲しんだのに、実は深い愛だったと知る、ということが映画や小説のみならず、私たちの人生でも時にあります。あれです。時にはその場にへたりこむような感動を覚えたりします。いろんな愛を六次元の人たちは創造して次元に投入しているのです。そうすると、時に応じて私たちがそれを選び取り出して使うのです。

内燃機関の研究開発のようなものかもしれません。CPUの進化のようなものとも言えるでしょう。こういう愛というコンセプトがある。それを想像力で次元を材料にしてからくりを作る。そしてうまくほどけるようにテストをくりかえす。ヨシとなったら、次元に溶け込ませるのです。結果を観て、さらに精度をあげていくのです。私には、地球の物で言えば超高性能の演算装置に似ているように思えます。実に精巧にできたエネルギー体で、いろんな波動がアンプの回路のように組み合わされ配置された生命体のように思えます。それは私たちの肉眼には見えないのですが、確かに他の波動とは異質な周波数をもっているのです。そして次元に無数に広がっていく。そんなイメージです。

ほんの少しだけ、この次元にいる私たちも、宇宙の中でまだない、新しい愛を創出することがあります。けれども得意なのは、不安や恐れの創造かもしれません。ただでさえ、銀河の方々から多種多様な不安や固定観念が持ち込まれているのです。これだけたくさんある星は、この宇宙を見渡してもそうそうあるものではありません。それをこの星に住むわれわれが混ぜたり、化合したりして、それはそれは毎日カニの泡のように噴き出させています。地球は、見かけはまた銀河の中でも1,2を争うほど際立って美しいのに、内実は臭くてかなわないのだそうです。

ですから、逆に、地球の出身で六次元に達した人たちは、いままでにない美しい愛を創出することができるのかもしれません。いまは、ほとんどの場合、既成の愛を学んでいる最中です。そう思っていた方が気が楽かもしれません。既製品の愛をレンタルして学び、究極の愛が自分だと知るステップを踏んでいる。それを知るために、逆の性質である不安や恐れが背景としてある。そうとらえるのが正確なのかも知れません。不安はたいてい、悩みや迷いとして自覚されていることを知っているでしょう? なにを迷っているか、知っていますか。

そうです。愛であるか否かを迷っているのです。一種の愛を選ぶか、選ばないか。それを迷うのが不安というわけです。理性で定義した愛ではなく、ハートで知っている愛を選ぶかを決めかねている状態を不安と呼んでいるのではないでしょうか。私たちは愛か、愛に不安(という幻想)を被せて居るかのどちらかでしか在りえないのです。ハートは知っています。六次元の人たちが開発した最新式の愛がめじろ押しで並んでいることを。『三次元でも三年で覚醒に持ち込む愛』とか『三万年眠りつづけた夢遊病患者をその気にさせる愛』とか『エーテル領域にまで住めるメンタル次元の愛』とか、ネーミングはともかく、うまく経験の中に紛れ込んで、ある時、パカッと開く仕掛けを創っている人がいるなんて、おもしろいと思いませんか?

その気になったら、いつでも使えますよ。その方が、不安な状態で吸い込む風邪の菌よりよほど素敵なのではないかと思いますが、自由です。風邪の菌も、同じようにどこかで、おそらくこの地球で創造されているのでしょう。『ほんのちょっと落ち込んだだけで感染する風邪の菌』とか『健康に留意しない日が三日あるとかかる風邪の菌』とか私たちが自分の体で製造して、バラまいて流行させているのかもしれません。インフルエンザに至っては、専門に開発している機関もあるくらいですから。

つらつら書きましたが、なんの根拠もありませんので、信じないでください。自分でもなぜこんなことを確信して知っているのか、分からないのですから。