「やっぱ、それだけはできんよなぁ」
あるとき、ヤプーは周囲の者にそうもらした。誰かを責めるような怒った口調で、どこか悲嘆さが混じっていたという。
さて、ヤプーがこんな実験をやっていた時、トッポはまだ登場しない。彼いや彼女はほんの12,3歳で、まだ中学1年生をやっていた。ちょうど、トッポのトッポらしさを育んでいる最中だった。

食べる事は敵だ、と信じているヤプーは、いつも青黒い肌をしてガリガリに痩せていた。パン屋の女は、やつがガラガラっと来るたびに、いやまし青黒くなっていく顔を見るにつけ、露骨にイヤな顔をするようになった。しかしそれは、やつの健康を案じて、というより「いつ来ても、ない」と犬の餌用に買いに来た客に苦情を申し立てられたからだった。こうしてやつは、パンの耳を売ってもらえなくなった。店を出るとヤプーはその足で商店街の入り口にある薬局にかけつけた。朦朧とする意識に叱咤して布団からはい出、最後の力をふりしぼり、一歩一歩自分の身に針を刺すような思いをしてやっとエネルギーの補給をするべくたどりついたのに、お目当ての物を手に入れられなかったからだ。やつは薬局で胃薬の大瓶と風邪薬を購入した。強力わかもとと新ルルA錠だった。それまでヤプーは正露丸を毎日のように飲んでいたのだが、周囲の『臭い』という声にこの際、乗り換えたのだった。薬局の近くにある橋のたもとで、ヤプーは腹がすいていたこともあってか、薬を処方された分量の三倍はかっこんだ。ガリガリ音を立ててかんだ。にがかった。
クラスメイトがやつの下宿を訪れた。ヤプーは熱でまっかに火照った顔をして出迎えた。「よかったな、耳なしうさぎにならずに済んで」皮肉っぽく言うと「なんてこった。そんなうさぎになったら、耳つかめんやんか」ヤプーお得意の精いっぱいの反論だった。それからすぐ、そのパン屋はなくなった。

ピザ屋の犯行が見つかったのは、3度目の強行のときだった。1枚、2枚、と倍にしていって、4枚持ち出しを決行したところで、店員にみとがめられた。鎧袖一触、左腕を後ろ手にぐいっとねじられ、ヤプーは床に両ひざをついた。シャツの間からナプキンにくるまれたピザがこぼれ落ちた。ヤプーは倍の料金を支払って放免された。痩せたヤプーの腹部が他とは不釣り合いにでっぱっていたのが目を引いたこともあったけれど、それ以上に、やつのふりまく罪悪感を隠そうとする不自然な挙動がよほど店員を不審に思わせた。ヤプーはこう述懐する。「よく捕物帳で、悪人が取り押さえられる時、やけにおとなしくなって、なにもしゃべらなくなるけど、あの気持ちがわかった」皆一応耳を傾けた。「観念すると、もう宇宙の全てと溶け合ったような、本当にどうでもいいような感じになるんだ」
内角23度の扇型をしたピザは、やつの下宿に長いことあった。カラカラに干からびても皿に置いたままで手がつけられなかった。その理由は、ご推察の通りだ。
それからまもなく、そのピザ屋はつぶれた。
まるで死神にでも魅入られたように、やつに祟られた店がなくなるので、周囲の者は、ささやきあった。
「あいつになんかタダで食わせると、長生きするんじゃないか?」

熱がひき、本を読めるまでに回復したヤプーが窓際に寝そべって漫画を読んでいると、いっぴきの猫がブロック塀の上を通りかかった。暖かい陽気に白い雲が流れている。もう、大学の講義などどこで誰がさえずろうが、遥か遠い彼方での出来事のように思えてきた。なにを思ったのか、ヤプーは急いで身を起こし、立ち上がって猫を呼び止めた。逃げもせず、猫はこっちを向いた。手をさし伸べると、意外にも猫はおじぎでもするように首をさげ、頭をこすりつけ、素直に手中に収まった。膝にのせてなでて要る時、ふと、ヤプーの脳裏をかすった。それは戻ってきて、さらにかすめた。そしてもう一度ターンして当たった。これができれば、おそらく一生、無料で自分に動物性たんぱく質を供給し続けることができる。ヤプーは、頭を激しく振った。
僕は猫のために少しは働こう、そう決意した。
「やっぱ、それだけはできんよなぁ」
ヤプーは周囲の者にそうもらした。誰かを責めるような怒った口調で、どこか悲嘆さが混じっていたという。
「川を汚したやつ出てこい」

もう、おわかりかだろうが、ヤプーがやろうとしていることは、つまり実験の先にある実践とやらは、仙人かヨギにでもならなければ実現しないことだった。

犬にも負け、猫にも負けたヤプーは傷心した気分で繁華街を歩いていた。そこで、あのワゴンに出会ったのだった。