増えた増えたと騒いで、
三年加算すれば原爆で死んだ人と同じ数になるだの、
十年で第二次大戦での死亡数と同じになるだの言って、
なんとかしなければならないと、経済や教育や政治で対策を打とうとするけれど、
いっこうに減らないし、なにをやっても焼け石に水だ。
不安遊びをしているんだ。
不安と恐れは幻想で、幻想にどっぷり浸かっているから、
神経症になったり、依存症になったり、統合失調症になったり、
ふさぎ込んだり、わめき散らしたり、睡眠薬を大量摂取したり、
ナイフを振り回したり、ウリに出たり、ヤクに手を出したり、
ぜんぶ幻想の中にボワンといるからできることだ。
ある種の恍惚感があって気持ちがいいんだ。
かきむしられるような焦燥や止めどのない落下感。
こういうのは全部、よくて第二、たいていは第一チャクラだけで
経験されていることだ。あっても、肉欲の快楽のみ。
ぼぉーっとした、生存の快楽を味わっているのだ。
とても限定された在り方や制限の強い快楽だけを追及していく。
そのためには極力低い波動を利用する。
羞恥心、不安、恐れ、罪悪感、服従、被虐・・・。
ねたみやひがみさえも、彼らからしたら高級だ。
怒りや高慢なんて、神か仏に見える。
生きるか死ぬかのすれすれのところにいるのだから。
どんどんどんどん、その遊びにのめり込んでいく。
一線を越えるか越えないかのドキドキ感がたまらない。
苦しみが快楽になっていく。
苦しみこそ、実体、何かを確かにつかんでいるような気になってくる。
もうすでにその頃には、自分でゲームを始めたことさえ忘れている。
そして最も気持ちのよさそうな、死は最後の最後に取ってある。
なにせ、自分が消えてなくなるのだから。
しかもそれを自分で断行するなんて、どれだけの快楽がともなうのか。
その期待さえも快感なのだ。
そのための引き金を用意しておかなければならない。
信じるやつだ。信じられるものだ。
こいつだけは信じられるとすがりついて、
それに裏切られたり、そいつがいなくなったら、
崖から足を踏み外す。追いつめられた犯人がやるように。
死も幻想なんだよ。
幻想遊びの成れの果て。
死んだ後に、自分の遊びを思い出す。
笑うしかないくらいのバカバカしい遊び。
きっと、この時点では、もう二度とあんな遊びはやらないと
心に誓うことだろう。
でも、またやるね。
もし、こんど変な気を起こしたら、止(と)めてね、
そう頼んで降りてきて、12、3歳くらいまでは、
明るく楽しくやっている。
ところが、また、あの快楽が蘇る。やめるという決意は忘れて。
またしても幻想に浸っていく。この世、社会自体が幻想なのに、
さらにそれを窮める幻想に身を置くことになる。
おそらく、もう15回は繰り返しているね。
これが初めてじゃない。
3回同じことをやったらバカと言われているけど、
バカの3倍だ。
一日に、何回も聞いているはずだ。
「それはもういいから、あっちの方を向きなさい」と。
それはキミが生まれてくる前に頼んできた人が言ってくれている。
でも、キミは今回も聞かないね。ぜったいに聞かない。
あの世で見ていると、やめるのなんて簡単なのにね、
こっちに来てしまえば、とたんに難しいという幻想に固定される。
そしてまた、キミの現実こそが真実だと思い込ませるのを手伝う人もたくさん出てくる。
恨んじゃだめだよ、彼らは協力してくれているんだ。
いや、恨めるんだったら、その坂を転がっていかないか。
本当は坂でもない。眠って眠りこけて夢をつくっているだけなんだ。
だいじょうぶ。
宇宙のどこかには必ず、この遊びのできる場所がいつもあるから。
飽きるまで何回でも、なんかいでもやったらいいんじゃないかな。
これで終わりだ、なんて悲痛な気持ちで諦めて崖から落ちないでいいんだ。
選べば、いつでもできるから。この遊びのできない不自由さを嘆くことはない。
だいじょうぶ。何回でもできる。やめよう、やめようなんて思うことはない。
どんどんおやりなさい。地球には、その遊びがとてもおもしろくできる観念も、
道具も、薬物も、他人も、なんでもそろっている。
へたすると、他の星よりたくさんあるんじゃないかな。
いろんな楽しみ方ができるようになっているんじゃないだろうか。
それで、宇宙のいろんな所から、この遊びを楽しみに来ているんじゃないかしら。
しかも、おもしろいことには、いわゆる向上というものは、
講師がいて、講義したり、本があったり、DVDがあったり、
表で公然と教えられているけれども、人々はなかなか向上しない。
ところが、この遊びは、誰からも教えられることなく、独力で修得し、
もののみごとに、自分の必要としている物や人を嗅ぎ分ける。
そして完璧に、自分の要求どおりの快楽をつくりだす。
上手に、というか下手にどんどんエスカレートしていく。
そして、ボーリングのストライクみたいに
いつも全てのピンをバラバラに倒す。百発百中だ。
で、三回くらいやった時に、ちょっとでも目のある者は、
気がつく。温度に、最低があっても最高がないように、
この遊びの快楽には下限があるんじゃなかろうか、と。
しかも、たいした程度ではない。どんなに下がっても、ここまでだ。
ここまでの快楽しか得られない。こんな程度の快楽しか得られない
つまらない存在じゃ、自分はない。
多種多様な道があったように思えたけれど、
薬物の種類がちょっとかわっただけだった。
虐待のされ方も、いつもワンパターン。
苦しみにも限度がある。せいぜい同じことをたくさんやるだけだ。
ところが向上の方の快楽はどうだ。
青天井ではないか。
しかもこの宇宙をつくっている神の恍惚感さえ超えて、
新しい、もっと凄い恍惚の宇宙になることさえできるらしい。
あれの方が楽しいんじゃないかしら?
ダメダメ! それに気がついちゃ。
楽しいんだから、あんたには教えてあげない。
不安幻想遊び、そっちを選んでいる人もいていいのよ、自由なんだから。
たぶん、宇宙じゅうで、十万人くらいしかいないと思うけど。
希少価値があるんだから、いつまでもやっていてよ。
底の浅い快楽で満足なんだから、それで済むんだったら、
安上がりでいいんじゃない?
無間地獄のギネス記録、樹立してよ、せっかくだから。
こんどキミが新しい宇宙を創る時は、
低い方の快楽ももっと解禁した世界を創るといいよ。
物足りないだろう? そのくらいじゃ。
物質がぴたっと止まる状態以上の停止状態を発明しなければならないのかな?
でも、究極の愛である宇宙は、やっぱり下限をもうけるのだろうか。
あまり低い方を許すと、核戦争をとめる存在がいなくなって、
均衡が保たれず、宇宙自体が自己破滅してしまうのかもしれない。
もっと下まで許可した上で、宇宙が永続する方法は一体どんなものだろう。
自由といいながら、まだ究極というには、つたないな。
そう考えると、この宇宙もまだまだだ。
と、この宇宙にいながら考えられる自由は一応あるみたいだ。
不安幻想遊びもとりあえず楽しいから、
自分で選んでつくって遊んでいることになるべく気がつかないように
聞く耳をふさいで、苦しいような感じでやってください。
犯罪に仕立てあげられたりしたら、ますます嬉しいんでしょうし、
周りもそのことを知っていて、ちゃんと犯罪にしてくれます。
咎めてくれますし、罪を認定したり、罰まで与えてくれると思います。
病院ではますます薬物を入れてくれると思いますし、
いかに罪深いかとくとくと説教されるとますます
やめる気がしなくなるとは思いますが、
自分でこれが自分だと思っている波動の通りの現実を
周りに協力させて自分で創り出していることなんて、
絶対に知ってはいけません。そんなことしたら興ざめです。
この世に来る前に、「今度は、こんな人生をやります」
と地球の神様と自分に誓って、おぎゃーっと目が覚めたのに、
また、前回と同じ道を歩んでしまってあっちに還ると、
次はどうなるんでしょう?
何回くらい、神様と自分を偽れるものなのでしょうか。
さっき15回と書いたけれど、4回目は厳しいかもしれません。
そうなると、そのままであの世に居続けるか、
動物からやり直すのを選ぶかもしれませんね。
どうしても、進化の道を選ぶようにできているのでしょう。
自由と言ったって、あっちにしか道はないじゃないか。
というより、それを選ぶんだろう、誰しも、結局。
生まれた時から望んでいる。
明るくて楽しくて気持ちの良いことを。
それしか許さないと、それが経験できないから、
ほんのちょっと逆のことをもうけてある。
そんなものなんだろう。
不安幻想遊びには、限度がある。
どんなチャレンジャーでも、
すぐに飽きる。
三年加算すれば原爆で死んだ人と同じ数になるだの、
十年で第二次大戦での死亡数と同じになるだの言って、
なんとかしなければならないと、経済や教育や政治で対策を打とうとするけれど、
いっこうに減らないし、なにをやっても焼け石に水だ。
不安遊びをしているんだ。
不安と恐れは幻想で、幻想にどっぷり浸かっているから、
神経症になったり、依存症になったり、統合失調症になったり、
ふさぎ込んだり、わめき散らしたり、睡眠薬を大量摂取したり、
ナイフを振り回したり、ウリに出たり、ヤクに手を出したり、
ぜんぶ幻想の中にボワンといるからできることだ。
ある種の恍惚感があって気持ちがいいんだ。
かきむしられるような焦燥や止めどのない落下感。
こういうのは全部、よくて第二、たいていは第一チャクラだけで
経験されていることだ。あっても、肉欲の快楽のみ。
ぼぉーっとした、生存の快楽を味わっているのだ。
とても限定された在り方や制限の強い快楽だけを追及していく。
そのためには極力低い波動を利用する。
羞恥心、不安、恐れ、罪悪感、服従、被虐・・・。
ねたみやひがみさえも、彼らからしたら高級だ。
怒りや高慢なんて、神か仏に見える。
生きるか死ぬかのすれすれのところにいるのだから。
どんどんどんどん、その遊びにのめり込んでいく。
一線を越えるか越えないかのドキドキ感がたまらない。
苦しみが快楽になっていく。
苦しみこそ、実体、何かを確かにつかんでいるような気になってくる。
もうすでにその頃には、自分でゲームを始めたことさえ忘れている。
そして最も気持ちのよさそうな、死は最後の最後に取ってある。
なにせ、自分が消えてなくなるのだから。
しかもそれを自分で断行するなんて、どれだけの快楽がともなうのか。
その期待さえも快感なのだ。
そのための引き金を用意しておかなければならない。
信じるやつだ。信じられるものだ。
こいつだけは信じられるとすがりついて、
それに裏切られたり、そいつがいなくなったら、
崖から足を踏み外す。追いつめられた犯人がやるように。
死も幻想なんだよ。
幻想遊びの成れの果て。
死んだ後に、自分の遊びを思い出す。
笑うしかないくらいのバカバカしい遊び。
きっと、この時点では、もう二度とあんな遊びはやらないと
心に誓うことだろう。
でも、またやるね。
もし、こんど変な気を起こしたら、止(と)めてね、
そう頼んで降りてきて、12、3歳くらいまでは、
明るく楽しくやっている。
ところが、また、あの快楽が蘇る。やめるという決意は忘れて。
またしても幻想に浸っていく。この世、社会自体が幻想なのに、
さらにそれを窮める幻想に身を置くことになる。
おそらく、もう15回は繰り返しているね。
これが初めてじゃない。
3回同じことをやったらバカと言われているけど、
バカの3倍だ。
一日に、何回も聞いているはずだ。
「それはもういいから、あっちの方を向きなさい」と。
それはキミが生まれてくる前に頼んできた人が言ってくれている。
でも、キミは今回も聞かないね。ぜったいに聞かない。
あの世で見ていると、やめるのなんて簡単なのにね、
こっちに来てしまえば、とたんに難しいという幻想に固定される。
そしてまた、キミの現実こそが真実だと思い込ませるのを手伝う人もたくさん出てくる。
恨んじゃだめだよ、彼らは協力してくれているんだ。
いや、恨めるんだったら、その坂を転がっていかないか。
本当は坂でもない。眠って眠りこけて夢をつくっているだけなんだ。
だいじょうぶ。
宇宙のどこかには必ず、この遊びのできる場所がいつもあるから。
飽きるまで何回でも、なんかいでもやったらいいんじゃないかな。
これで終わりだ、なんて悲痛な気持ちで諦めて崖から落ちないでいいんだ。
選べば、いつでもできるから。この遊びのできない不自由さを嘆くことはない。
だいじょうぶ。何回でもできる。やめよう、やめようなんて思うことはない。
どんどんおやりなさい。地球には、その遊びがとてもおもしろくできる観念も、
道具も、薬物も、他人も、なんでもそろっている。
へたすると、他の星よりたくさんあるんじゃないかな。
いろんな楽しみ方ができるようになっているんじゃないだろうか。
それで、宇宙のいろんな所から、この遊びを楽しみに来ているんじゃないかしら。
しかも、おもしろいことには、いわゆる向上というものは、
講師がいて、講義したり、本があったり、DVDがあったり、
表で公然と教えられているけれども、人々はなかなか向上しない。
ところが、この遊びは、誰からも教えられることなく、独力で修得し、
もののみごとに、自分の必要としている物や人を嗅ぎ分ける。
そして完璧に、自分の要求どおりの快楽をつくりだす。
上手に、というか下手にどんどんエスカレートしていく。
そして、ボーリングのストライクみたいに
いつも全てのピンをバラバラに倒す。百発百中だ。
で、三回くらいやった時に、ちょっとでも目のある者は、
気がつく。温度に、最低があっても最高がないように、
この遊びの快楽には下限があるんじゃなかろうか、と。
しかも、たいした程度ではない。どんなに下がっても、ここまでだ。
ここまでの快楽しか得られない。こんな程度の快楽しか得られない
つまらない存在じゃ、自分はない。
多種多様な道があったように思えたけれど、
薬物の種類がちょっとかわっただけだった。
虐待のされ方も、いつもワンパターン。
苦しみにも限度がある。せいぜい同じことをたくさんやるだけだ。
ところが向上の方の快楽はどうだ。
青天井ではないか。
しかもこの宇宙をつくっている神の恍惚感さえ超えて、
新しい、もっと凄い恍惚の宇宙になることさえできるらしい。
あれの方が楽しいんじゃないかしら?
ダメダメ! それに気がついちゃ。
楽しいんだから、あんたには教えてあげない。
不安幻想遊び、そっちを選んでいる人もいていいのよ、自由なんだから。
たぶん、宇宙じゅうで、十万人くらいしかいないと思うけど。
希少価値があるんだから、いつまでもやっていてよ。
底の浅い快楽で満足なんだから、それで済むんだったら、
安上がりでいいんじゃない?
無間地獄のギネス記録、樹立してよ、せっかくだから。
こんどキミが新しい宇宙を創る時は、
低い方の快楽ももっと解禁した世界を創るといいよ。
物足りないだろう? そのくらいじゃ。
物質がぴたっと止まる状態以上の停止状態を発明しなければならないのかな?
でも、究極の愛である宇宙は、やっぱり下限をもうけるのだろうか。
あまり低い方を許すと、核戦争をとめる存在がいなくなって、
均衡が保たれず、宇宙自体が自己破滅してしまうのかもしれない。
もっと下まで許可した上で、宇宙が永続する方法は一体どんなものだろう。
自由といいながら、まだ究極というには、つたないな。
そう考えると、この宇宙もまだまだだ。
と、この宇宙にいながら考えられる自由は一応あるみたいだ。
不安幻想遊びもとりあえず楽しいから、
自分で選んでつくって遊んでいることになるべく気がつかないように
聞く耳をふさいで、苦しいような感じでやってください。
犯罪に仕立てあげられたりしたら、ますます嬉しいんでしょうし、
周りもそのことを知っていて、ちゃんと犯罪にしてくれます。
咎めてくれますし、罪を認定したり、罰まで与えてくれると思います。
病院ではますます薬物を入れてくれると思いますし、
いかに罪深いかとくとくと説教されるとますます
やめる気がしなくなるとは思いますが、
自分でこれが自分だと思っている波動の通りの現実を
周りに協力させて自分で創り出していることなんて、
絶対に知ってはいけません。そんなことしたら興ざめです。
この世に来る前に、「今度は、こんな人生をやります」
と地球の神様と自分に誓って、おぎゃーっと目が覚めたのに、
また、前回と同じ道を歩んでしまってあっちに還ると、
次はどうなるんでしょう?
何回くらい、神様と自分を偽れるものなのでしょうか。
さっき15回と書いたけれど、4回目は厳しいかもしれません。
そうなると、そのままであの世に居続けるか、
動物からやり直すのを選ぶかもしれませんね。
どうしても、進化の道を選ぶようにできているのでしょう。
自由と言ったって、あっちにしか道はないじゃないか。
というより、それを選ぶんだろう、誰しも、結局。
生まれた時から望んでいる。
明るくて楽しくて気持ちの良いことを。
それしか許さないと、それが経験できないから、
ほんのちょっと逆のことをもうけてある。
そんなものなんだろう。
不安幻想遊びには、限度がある。
どんなチャレンジャーでも、
すぐに飽きる。
