なにはともあれ、僕はイエローモンキーという言葉がひどく気に入って、自分がイエローモンキーだと想像しただけでウキウキ嬉しくなる始末で、日本人を白黒テレビでしか観たことのない外国人は、ちゃんと日本人のことをイエローモンキーだと思ってくれているだろうか、などと心配したものである。

さて今回は、梅雨の季節なので、こんな話に時代性を感じていただきましょうではないですか。

            雨もれは愛のロマンス


六月も下旬にさしかかったとある日、父と母が深刻な顔をし合って大声を出していた。
「雨もりがするなら、ちゃんとやったことにはなりません」完璧主義者の母が言った。
「うるさい、そんなに言うのなら、お前がやれ」三十を越えると恥ずかしいことを平気で父が言った。
耳をそばだてていると、どうやらふたりは屋根の修理のことで言い争いをしている模様だった。そんな両親にかまわず、僕は縁側に立って外を見た。しとしとと続く長雨はやがて雷雨をともなう豪雨と成り果てた。降りしきる雨音を破って、ふと、母親の意識が僕に飛び込んできた。それとともに、彼女の声が鮮明になる。話しはこじれにこじれ、離婚寸前まで行った。思い起こせば、離婚で脅すやり口を母が実践した最初の喧嘩だった。
ことの発端は、しかし、どうやら二月(ふたつき)ほど遡らなくてはならないようだ。

その春、めでたく僕は小学校にあがった。冬のあいだ放置してあった田圃の切り株を縫うように青草が生え、朝モヤの煙る早朝に僕は眠たい目をこすりながら登校していた。あるとき、そんな退屈な時間を打ち破る発見をしたのであった。昨晩ふった雨だろうか、田圃のへこんだ部分にたまった雨水の中に、等間隔で配置されている黒いつぶつぶ。
これがカエルの卵であることを物知りの僕は一発で察知し、周囲に自慢した。登校班の皆は、まったくそれに興味を示さなかった。けれども僕だけは、毎日朝夕、そこを通るたびに、卵の変化を観察した。ぬるくなった水たまりから卵をすくうと、それまで透かされていたゼリーのヒモが現れた。ぬるぬるして気持ち良かった。それからしばらくした朝に、ちいさなちいさなおたまじゃくしが無数に泳いでいるのを見つけた。僕は急いで学校に行き、放課後になるのを待ち焦がれた。帰りにその場所に寄っては、小刻みにくねる尾を引く黒い玉を、まるで愛しげな眼差しで見つめる神のような面持ちで眺めた。日ごとに、その黒い粒はおおきくなっていった。僕だけの野生の水槽だった。いつものように掬っては成長をたしかめ、また水に戻していた。
ある時、ふと、魔がさした。手のひらに掬ったおたまじゃくしをもう一方の手で握ると、ぎゅっと力をこめた。薄い粘膜で覆われただけの丸い生き物は、中から渦巻き状の物体を出すと、皮だけになってべろんと僕の指に貼り付いた。そのことが、いたく気に入られて、何度も何度もつかまえては潰して遊んだ。そしてまた、おたまじゃくしは、どれだけ潰しても、次から次に増えていった。そうしてその内、その遊びにも飽き、水たまりが干からびるころ、前脚を出したおたまじゃくし達はちいさなカエルになって飛び跳ねていた。

時を同じくして、それまでいちいちシートをかぶせることが面倒になったのだろう、父が車庫を作った。それは、角材をほぞで噛み合わせる本格的な物で、若いころ大工の見習いに通っていた彼にとって造作もないことだった。
「なにをつくるの?」
「ああ? ほったてごやだ」
「なに、それ」
「見てりゃ、わかるよ」
耳にかけた短い鉛筆、ノミ、ノコギリ、金づち、巻き尺、L字尺、折畳み式尺取り。そういった道具を使い分け、ものの二回の日曜日で、器用にも彼はたった一人でトタン屋根つきの車庫を組み上げた。柱の地面に打ち込む部分は尖らせ、そこになにやら黒い液体を塗った。
「それはなに?」
「これか? これはタールと言って、腐るのを防ぐんだ」
「ふーん」
その鼻をツンとつく危険なニオイが僕は好きになった。それからも僕は時々、ビンに残ったタールのニオイをこっそりかいだ。父は、柱を何本もこさえた。何本か束ねて横たわっていると、それはまるで巨大な鉛筆のようだった。
「おい、ここを押さえてろ」
ハシゴをかけ、僕に根元を支えさせて、家の屋根に登り、そこから車庫に乗り移って、最後に父は車庫の屋根を葺いた。僕もハシゴを登り屋根にあがってみたかった。ねだる僕に父は、僕に三段ほどハシゴを登らせ、ほら、ぐらぐらするだろう、お前が上に行くと、お前の重みでバランスが崩れて、こう弧を描いて向こうに倒れる、アブナイアブナイと、危険をさとらせた。
「さて」屋根が葺きあがると、父は早々にハシゴを片づけた。「これには、もう用無しだ」
ハシゴは、車庫の屋根のすぐ下に滑り込まされた。もう、重いハシゴをそこから引き出すことはできない。よしんば出せたとしても、根元を支える者がいなくては、犯行は完遂しない。

それから後、車庫の屋根に用事ができた時には、ーー例えば撥水剤を塗り忘れたとか、風でトタンが剥がれたとかそういう段になると、父は車庫の側面部の格子を伝って家の屋根に登るようになった。その様子を一部始終見ていた僕は、登ってよいかとたずねた。
「これは、筋肉がいるから、大人にしかできないな」
父は勝ち誇ったように答えた。いつものように恐怖心をあおり植え付けるのではなく、意外とあっさりと言った。そして、こう三度ほど繰り返した。
「これは、筋肉が発達してからしかできない芸当だ。びきたんみたいにヤワなおまえには、まだできない」
道具を片づけると、父は桃子姉ちゃん(母の末の妹です)から僕がもらったギターをつかんだ。まるで自分の物のように。テレビジョッキーが流行っていたこの時期、白いギターは、弾けなくても持っていたい物のひとつで、銀行に勤めてお金を持っていた桃子姉ちゃんは、ねだると、要らなくなったからという理由で僕にくれたのだった。桃子姉ちゃんは、そろばんで七段か八段かをもっていて、どんな桁の計算でも、そろばんをハジきもせず目玉をぎろっと動かすだけで答えを出した。
そんな憧れの姉ちゃんからもらったギターの首を、父はまるでアヒルの首でもつかむようにつかんで、畳に尻餅をつき、小舟でもこぐようなポーズでギターを膝にかかえた。ギターの胴の鳴る音、弦のこすれる音がして、一瞬、全てが止まったような静けさを置いて、メロディーが始まった。軽快なメロディー、センチを誘う甘い旋律。そしてまた父の技巧の繊細さに僕はぐいっと心をつかまれた。
「それ、なんていう曲?」
「ああ、これか、『禁じられた遊び』だ」
「なにそれ?」
「映画だ。映画の挿入歌だ」
「ふーん」
しばらく、僕は父のつま弾くアルペジオにうっとりと聞き惚れた。
「ええい、クソ」
途中で父はそう言ったギターを投げ出した。
「どうしたの?」
「どうにも、うまく弾けん」
何度やっても弾けない箇所があって、そこから先には進めないのだそうだ。とても名残惜しかった。後にも先にも、父のギター姿を見たのは、これが最後だった。カッコよかった。

それから何日かして、僕は車庫の壁伝いに家の屋根にあがることを試みた。が、父の呪文は、二三日の間、僕に逡巡と躊躇を繰り返させた。足をかけ、一歩足をあげるところで止めていたのだが、ある時、タイミングよく足を振り上げると容易に登れることに気がついた。要領を得た僕は、森の木をするすると這いつくように上昇する猿のようだった。屋根の上はすこぶる気持ちが良かった。
「おい、お前ものぼれ」
菊子に命令した。(妹です)彼女は、まだ三つになったばかりだった。が、剥きだしになった車庫の格子状の骨組みを恐れることもなくスムーズによじのぼって屋根に到達した。コアラのようにふいふいと。なんの疑いもないことが、彼女にこの荒技を実現させたのだろう。
五月晴れの空は青く、爽快で、流れる雲や風に泳ぐ鯉のぼりもすべて僕だけの物に思えた。楽しくなってふたりでジャンプした。パキッと音がして瓦にヒビがはいった。物を壊すことに僕は父から非常な罪悪感を植え付けられていたので、心臓がしめつけられるような気がした。けれども、こんなにたくさんあるのだから、一枚くらいいいだろうと思って忘れることにした。
それからというもの、学校から帰ってきては毎日屋根にのぼった。そこで僕は寝転がったり、瓦の数をかぞえたり、蜜柑を持っていって食べたり、歩いたり走ったり、裸になったりした。

五月も半ばになっていただろうか、家の近くの小川で、おおきな、あめ玉くらいのおたまじゃくしを見つけた。父に聞くと、それはウシガエルの子供だろうと言った。網をもっていって僕はそれを捕まえた。狭くて浅い砂地に産み付けられたのが運の尽き、僕は一網打尽にした。そいつは目よりも口が印象的で、バケツからとり出すとパクパクかわいらしく動かして、なんとも苦しそうではなかった。おおきな腹は牡蠣のふくらんだ部分とそっくりで、田圃にいたおたまじゃくしと違って指で押しても内蔵を破裂させたりはしない。
さっそく、僕は菊子に声をかけ、おたまじゃくしを屋根の上にもちこんだ。初め、僕たちは、おたまじゃくしを瓦に並べた。
「おい、これは、サクラサクラだ。それから、こうするとネコふんじゃっただ」
菊子は黙っていた。黒い瓦は焼けるように熱かった。
「これを並べたまま、あしたまで置いておいたらどうなるかな」
僕が言うと菊子は黙っておたまじゃくしを並べ始めた。果して次の日、わくわくする胸をおさえながら、僕たちは屋根にのぼった。並べていたはずのおたまじゃくしは跡形もなくなくなっていた。
「風が吹いて飛ばされたかな」下を覗いても、それらしき物は見当たらなかった。「猫かな」
「かわいて、なくなったんじゃない?」
菊子が言った。
あたりを見回して、茫然としていると、何かの鳴く声がした。音のする方を振り向くと、電柱のトッペン先に一羽のカラスがとまっていて、なにくわぬ顔であっちの方を向いていた。
しかたないので、僕はもう一度おがわに出向き、おたまじゃくしを掬った。もはや、おたまじゃくしに命はなく、それは、こいつを僕がどう料理するかにシフトしていた。

さてちょうどその頃、破格値だったというのでそれをメインにして、母が夕ご飯に珍しいものを作った。それは、フライという名前だった。てんぷらという物は食べたことがあったし、作っているところを見たこともある。しかし、洋風の、しかもかなり手の込んだ、レストランでしか食することの不可能な料理を我が家でこしらえるとは、西洋文明が田舎町にまで侵入してきた証であろう。母は、三つのバットを用意し、そこに小麦粉、溶き卵、パン粉を入れ、両手を、まるで若い娘だと証明するために納屋の小麦粉を手にすりつけた狼のように真っ白にしてテーブルの脇に立ってしきりに作業に熱中していた。
フライと言っても、烏賊リングのそれは玉葱の輪切りで、白身魚はじゃがいものスライスで、海老はニンジンの短冊切りでそれぞれ代用されていた。大人にだけは特別に牡蠣が足されていた。
「てんぷらは、水で溶いた薄力粉にからめて油であげるだけだけど、フライは、こうやって」
母はしたり顔で、ふたつの料理の定義をした。
「僕にもやらせて」
「ああ、ダメ。ダメ。油ものは、危ないから」
そう言って、僕を寄せつけなかった。油であげる前の前の段階でシャットアウトしておかなければ、ずるずると今度は油であげさせろとせがんでくるにちがいないと読んだのだろう。母が拒むと菊子はすぐにテレビを観に行ったが、僕には煮えきれない思いが残った。父の帰ってくる時間から逆算して、母は揚げ始めた。ちょうど牡蠣が揚げ終わった時、玄関の開く音がした。母が牡蠣フライがあると告げた。ところが、父は苦い顔をして言った。
「おりゃ、牡蠣は食わん。前に生牡蠣に当たって、ひどく往生した」ぐずぐず口上を述べ始めた。
「せっかく揚げたのに。その時は、ナマだったんでしょう」
「ああ。でも、もう二度と食わんと、その時、誓った」
「高温で揚げてあるから、大丈夫よ」
けれど、父は頑なに拒否した。そして、僕にやると言った。それを聞いた母は、
「ナマ煮えかもしれないから、半分だけなら食べていい」
と言った。彼女は自分にギャグのセンスのあることに気づいていない。でもそれは、貴重な牡蛎フライを半分自分もありつきたかったからに他ならない。
かじりついた。ぶよんと丸い牡蠣のハラワタは旨いのかマズイのか判断できない味だったが、なによりその形が印象的だった。

それからしばらく経った。夕方、父が会社から帰ってきた。
「おい、このごろ、家の屋根にのぼっている子がいるらしいぞ。どこの悪さ坊かな」
なにげなく僕を見ながら言った。鈍い光が目に宿っている。へー、僕ら以外にもそんなことをしている連中がいるんだな、と僕は思った。社宅の屋根の、という下りはなかった。彼が聞き漏らしたのか、伝えた人が省略したのか。まるで社宅から遠く離れた東京辺りで流行っているアソビとでも言いたげに口ぶりだった。話しをした人が父をおもんぱかって主語を省略したのか、耳の遠い父が聞き漏らしたのか、ともかくその話しは一応父の耳にも届いてはいた。だが、彼には、ウチノコでは決してあり得ないという勝算があった。なんでも力任せに動かすものと信じきっている彼には、あり得ないことなのだ。
「子供の頃は、屋根にのぼって遊ぶくらいじゃないと、ね」
なぜか、母は妙に好意的だった。てっきり、屋根の下にいる彼女は僕らの悪行を知っているのだとばかり思っていた。玄関を出ていった僕らがまさか、自分の頭上にいるなどと想像したこともなかったのだろう。音がしていたはずだ、と思ったけれども、自分が屋根にいるとき、音が部屋に響いているのかは確かめようがなかったし、母の思い込みの激しさは、仮に屋根で音がしても、別の何かが原因で発している音だと錯覚させたのだろう。あとから判ったことだけど、母はお転婆娘で、よく木に登って遊んでいたらしい。
流行っているならと罪悪感を払拭した僕は、次の日も屋根にのぼった。母からも子供のアソビとしてお墨付きをもらったので、臆することは何もなかった。ふと、南の方を見ると、道を隔てたすぐ裏の棟むねの屋根に一人の少年がいた。
(ああ、あいつか、屋根にのぼっている悪さ坊というのは)
屋根は太陽の照り返しで眩しかった。彼は、まるで僕の登場を待ち受けていたように、寝そべっていたのを今体を起こしたような格好で屋根の傾斜に座っていて、ちらっとこっちを見た。僕は彼を見たことはなかったが、細めた目でよく見ると体のおおきさからして小学四五年生に思えた。彼は、僕を直視することなく、立ち上がると屋根の向こう側に消えた。それからというもの、屋根にのぼるたびに、社宅の家のどこかに必ず、ちがう少年をみつけた。

ところで、妹はしょんべん団子を作るのが得意だった。どこで覚えたのか、社宅と社宅の間の広場に出てみんなが遊んでいるときなど、手ごろな場所を見つけてはパンツをおろし、そこにしゃがみこんでおしっこをすると、湿った泥をかき集めてボールをこねて丸くするのだった。どんな土が固く、きれいに仕上がるか、彼女は熟知していた。
その妹を誘って土の品質を問い、からからに乾いた上層部分だけフルイでふって細かいパウダーにした。これは、小麦粉だ。それから一緒に砂地に行き、こんどは、フルイに残った方の粗目の粒を採集した。母に、要らぬ容器はないかとたずね、彼女のみつくろったヒビのはいった皿にそれぞれを盛った。
「おい、それじゃ、おまえは小麦をつけろ」
「うん」
「そしたら、おれは、パン粉をつけるからな」
命令して、僕らは数疋のおたまじゃくしをフライにする準備をした。まるで、牡蠣フライだった。衣をつけられたおたまじゃくしは、かわいい丸い口をパクパクさせて瓦に並んでいた。
「あぶらは?」
菊子が聞いた。
「それはないから、鉄板焼きだ」
六月にさしかかろうとしていた。黒い瓦はスキ焼き用の鉄鍋と同じくらい熱くなっていた。
次の日、調理具合を見に屋根にのぼると、また跡形もなくなくなっていた。命は、僕の料理からカラスの胃袋へとシフトしていた。なんどやっても結果をおがめないことに飽きて、僕は屋根にのぼることをやめた。
「どうやってのぼったとね?」
素っ頓狂な声をあげて母が聞いた。もう、自分がそんなアソビをしていたことすら忘れかけたころ、近所の親切なご婦人が母に告げたのだろう。
「ほったてごやをつたって」
おそるおそる僕は言った。母は、すーっと息を吸うと、めくじらを立てた。
「ほったてごやとか、ほっつき歩くって言っちゃいけません」
彼女が咎めたのは、物の言い方だった。
辞典を調べると、そういう発音の仕方は、正式な日本語ということで認定されていた。きっと、人生をあきらめている父がなにかにつけて言う「ほったせろ」という言い方が嫌いなのだろうと思った。
「菊子ものぼったとね?」
「うん」
なぜか、その手段について、母は尋ねなかった。

父にどう伝えられたのかわからない。なぜか、父はいっさいこの件について咎め立てすることはなかった。そして、こんな論説を発表した。
「子供は軽いから、筋肉がなくても登れるんだろう、ということだった」
またしても疑問を会社の人に聞いて解決したのだろう。そう納得して僕らを見ているだけだった。

そして、六月も半ばになり、梅雨の季節がやってきたのだ。床の間のある座敷兼応接間兼寝室は、外かと思われるほど雨漏りがしてきた。バケツ、ボール、ドンブリなど、家中の器を動員して畳への直下を防いだ。
「はい、じゃ、これをあそこ、それをここに」
指示をだしながら、母はこの事態を楽しんでいた風であった。笑みをうかべ、おそらく実家での懐かしい日々を思い出していたのかもしれない。キン、コン、カンなどと受ける容器に合わせていろんな音がして、母は「なにかの曲に聞こえるね」などと暢気なことを言って喜んだものだ。そうして一段落ついたころ、隣の安全な部屋でテレビを見ていた父に言った。
「わかった、雨がふっていないときに修理しておこう」
次の日曜日。お誂え向きに晴れた。助手として、僕が雇われた。どっちがいいかなあ、と言いながら、父は自分でまずハシゴの根元を押さえ、僕を屋根にのぼらせると、ハシゴの先端を僕に握らせておいて、後からのぼってきた。父は雨漏りの原因を突き止めた。
「ここが割れとる」
僕はすでにその理由を忘れていた。
「どうして割れるの?」
「そうだな、長いこと雨ざらし日ざらしで、もろくなったんだろうな」
答えながら、それにしても真っ二つに割れている理由が腑に落ちないように、父はぶつぶつ言っていた。
「ねえ、石が降ってくることはあるの?」
「石?」
「本に書いてあたけど、外国では魚が空から降ってきたことがあったんだって。石が降ってきたりはしないの?」
「そんなことはなかろう」
と父は答えながら、きっと、祝砲で打ち上げられた弾がふんわり落下してくるなどという出鱈目が脳裏をよぎっていたかもしれない。
「ぼくはあると思うな」
「さって、どうしようかな」
子供の戯言はそうそうに無視して、父は思案にとりかかった。患部をじーっと見て、よし、となった。彼はもういちど地面におり、道具と一緒に漬物石くらいの石を一つもってきた。次に、患部を尺で寸法を測り、軒下に常備してある数枚のベニア板から、三十センチ四方の板を切り出してきた。割れた瓦をどかすと、そこに板を嵌め込んだ。それは恐ろしくぴったりしていた。そこに父は風で飛ばないようにと石を置いた。その手際の良さ、無駄のない動き、冴え渡った勘。どれをとっても完璧な仕事ぶりに感心したのは、僕だけではなかった。
「よし、これでよかろう」
父の声には、満足感がにじみ出ていた。応急処置にしては、もう改良の余地がないように思われた。その仕事ぶりは、完璧すぎて、誰の作品かまるで区別がつかないほどだった。
ハシゴを片づけている父を尻目に、僕は軒先を見上げて、あの板がいつ風に煽られ、下でたまたま洗濯物を干していた母の頭を直撃しやしないかと気が気ではなかった。

果して、六月の梅雨は、金だらいをひっくり返したように降り、修理前とまったく変わらぬ様相で雨漏りを起こしたのであった。
「ちゃんと、直してくれたの?」
家中のありとあらゆる容器を出して畳への落下を防ぎながら、それはまるであっちこっちに振られるボールに機敏に反応する犬の曲芸であったが、いぶかしげに母は聞いた。
「ああ、ちゃんとやった」
「ちゃんとやったって、雨漏りしてるじゃない」
「しているかもしれないが、やった」
「やったって、雨漏りしてるのなら、やってないのと同じじゃない」
「やったのに、やってないとはなんだ」
こうして、梅雨の余興は離婚話にまで発展した。あわや離婚という危機はなんとかまぬがれたものの、ふたりの仲が湿っぽくなったのは言うまでもない。
ぶすっとした顔をして、父は晴れ間にまた屋根にのぼった。そこには、ポイントを外した、まぎれもない彼のサインつきの様式が、情けなく残っていた。溜め息をつきながら、父は手当ての上からビニールをかぶせて、テープを貼った。
「瓦を一枚かってこんといかんな」
ひとりつぶやいた。

しょ、しょ、昭和とは、・・・。おとうちゃん、おかあちゃん、ごめんなさい。雨もりを引き起こしたのは、僕です。
禁じられた遊びのメロディが、雨音と共に僕のハートになんども繰り返し響いた。