すこし時代が戻るが、やはり昭和を語るにおいて、この事件は避けて通れまい。ということで、

                  わがやの浅間山荘事件

浅間山荘事件を政夫くんは楽しみにしていた。昭和四十七年の二月のことだったから、僕は四歳十ヶ月だ。会社から戻ってくると、政夫くんは作業服を着替えもせず、とるものもとりあえず、実況生中継している事件に釘付けになった。
昭和四十年代は戦時下の揺り戻しというか、ひずみというか、赤軍派のよど号ハイジャック事件だの全共闘の東大安田講堂事件だの、なにかと闘争が起きていて、政夫くんに言わせると『甘えた若者が意気がっている時代』だった。
この浅間山荘事件は、社会革命をしようとしていた青年たちの残党が、目的の達成のためには純粋な統一された思想以外認められないと信じ込み、少しでもそれから逸脱すると内ゲバやリンチをして身内を殺してしまい、追いに追われてついには管理人を人質に軽井沢の山小屋に立てこもっていたというものだった、とその後総括されている。
「なにみてるの?」
「あ、うん。悪い奴等だ。悪い奴等を見ている。お前はあっちに行ってろ」
そう言われるとそこにいたくなる。
「あっちに行ってろって。なにも解ってない子供が見ると悪影響だ。子供はすぐマネをするからな。ほら、あっちに行ってろ」

父の肩越しにのぞき見ると、おおきな鉄球をクレーン車で吊って、山小屋の窓や壁をたたき壊しているところだった。これまでも、この日本初の実況生中継を見ている政夫くんの後ろで僕が立ってテレビをながめていると、彼はテレビの前におおいかぶさったり、折り畳んだ新聞などを持ちだしてきて自分の顔の横にかざして、僕が見られないようにした。
なにせ生なので、子供が見るとトラウマになるかもしれない残虐なシーンがいつテレビに映しだされるか知れない。そういう親心だったのだろうけど、それにも増して父のそんな態度仕草が不快に思えたので、いつもはすぐに外に行ったりした。
ところが、この日の政夫くんの様子から、尋常ならざるおもしろさを感じた。なにせこの日の中継は国民の大半がテレビに貼り付いていたので、空き巣や交通事故が一時的に減少したほどだったそうだ。
なんど言っても僕がどこにも行かないので、父は「あー、もう。しゃーしいなぁ」と言って立ち上がると、スイッチを消した。
「お前が見るから、もうおしまいだ」
それでも僕はテレビのある部屋に残っていた。あたりはしんと静まり返った。
政夫くんは、なんども様子を見に来てはいなくなった。「まだ、いやがる」という顔で舌打ちしたかと思うとまたどこかに行った。

我が家の権勢者がチャンネル権を放棄したものとみなし、僕はテレビをつけた。この若者たちは大人が胸に抱き、そして隠している平和への方法を間違えた思想をあからさまに発露しているように僕にはみえた。
右だ左だ、まんなかだ。いや右寄りだ左寄りだ、と数直線上に並べた位置のちがいで正しさを競うのは、まさに彼らが解決しようとしている問題そのものじゃないか。マルクス主義はアウフヘーベンという概念を忘れ去った似非マルクス思想なのだ。
などとは、この時思いもしなかった。
けれども、父と母の毎日の闘争を見るにつけ、正義へのあくなき希求がかえって戦いを引き起こしていることくらい容易に観察できた。

しばらくすると、父は縁側にこづんであった段ボールの束を小脇に抱えてもってきた。なんだろうと思って見ていると、カッターで段ボールを切り始めた。
彼は若いころ、大工の手習いをしていたそうで、ひとりで家を建てられるほどの工作力の持ち主だった。耳にナイフで削った鉛筆をかけ、ひしゃげた段ボールに乗った政夫くんは、手際よくカッターを使い、切り込みを入れたりパーツを切り出したりして、なにやら作り始めた。ところどころガムテープを貼り、あっという間におおきな立方体を組み上げた。そうして政夫くんは、まるでおおきな風船でも抱え上げるようにそれを持ち上げ、テレビをすっぽりと覆ってしまった。
ぎょうぎょうしい額縁や脚がついていたが、テレビは十四型くらいのちいさな物だった。それから、段ボール小屋のスソに切れ目を入れ、外側に折り曲げて袴にすると、ガムテープを貼り畳に固定させた。政夫くんはアゴをなでながら、じっと立ってそれをながめていた。そうしてなにを思いついたのか、突如壁の一面にコの字型の切り込みを入れた。政夫君は四つんばいになり、そこを入り口にして芋虫みたいに体をよじりながらもぐりこんだ。そうして中からテープでめばりして入場お断りにした。
父は中にこもり、歴史に残る事件の観覧を再開した。

音が消えた。
イヤホンを使い始めたのだろう。彼はこれまでも、房江さん(母です)と口論してうんざりすると、尻に帆をかけて逃げ出し、やはりそうして家の中に、部屋の隅を利用してもうひとつちいさな部屋を作り閉じ篭もった。
今日はいよいよ連合赤軍と佐々部隊との攻防が大詰めを迎え、いっきに大団円になってしまいそうなあんばいになってきたので、見届けなくてはならないと思ったのだろう。とうとう奥の手を出したのだ。

僕は家を出たり入ったりして、ちいさなおうちの様子をうかがった。
一時間くらいしたときだった。びりびりっと音がして、まるでヒナが殻をつついて誕生するようにおうちの一部が破れ、ひとりの男が出てきた。事件が終了したのだ。
出てきた男は目が血走り、サウナからあがったばかりのように顔を紅潮させ、体中から湯気を出していた。
「息が詰まって死ぬかと思ったぞ」
そうして力任せに僕の頭にゲンコツをくらわせた。

立てこもり事件を立てこもって観戦していた父。
昭和とは、まさに自己矛盾だらけの時代だったのだ、うん。