「もういちど、繰り返します」
とナナエ先生は言った。
「けっして、ウンコをもってきてはいけません」
ここは、昭和49年、とある小学校の一年三組。帰りのホームルームで先生が熱弁をふるっています。
「このフィルムを剥がして、シールをお尻の穴にペタッと貼るだけでいいのです。わかりましたか?」
「ハイ!」
全員が声をそろえた。
「では田中くん、先生の言ったことをもういちど言ってみて」
「ウンコを、もって来ては、いけません。剥がして、ケツの穴に、ペッタン、と貼るだけです」
「よろしい。よくできました」
クラスで一番おっちょこちょいの田中くんが復唱できたのです。先生は安堵した様子で、声をひそめました。
「なんど言っても、毎年かならずウンコを持ってくる生徒がいます。・・・ご両親の世代とは、検査方法が変わったのに・・・」
ナナエ先生はぶつくさ言った。

すでにご理解を得られたかと思いますが、検便の話しでございます。
格調の高さを競う文学においては、フンニョウの話しは避けて通るべきタブーなのですが、昭和という時代を庶民の視点から捉え直そうという高邁な志の元には、なあに読者の品格など屁のつっぱりにもなりますまい。

暑かった記憶があるので、六月ごろのはなしと思われる。僕は、お知らせの手紙と検便用の器具をたずさえたランドセルをからい、校門をあとにした。
当時僕の住んでいたのは、父親の働く鉄工会社の社宅で狭いことこの上なく、また便所に至っては汲み取り式で、それも下をのぞくと家族の踏ん張りの結集とも言うべきフンニョウが、なに気兼ねなく真実の姿を明らかにしていたので、たまらなく臭かった。
はい、ここまでで読むのをやめたあなた、正解です。甘い饅頭で口直しでもされて、今まで読んで不覚にも想像してしまったことはすっかりさっぱり忘れて頂き、新しい人生を歩んでください。

さて、後半。勇気あるあなたのために書かれました。え? 水洗トイレしか経験がないから、言ってることがよくわかんない? そうですか・・・。

小一時間かかって、僕は家に帰り着いた。昼寝の最中に起こされたような顔をして母が長男の僕を出迎えた。暗反応になれない部屋は暗く感じたが、それ以上に母の表情は暗く重々しかった。
専業主婦という言葉があったかどうか知らないが、母というものはたいてい主婦をしており、僕の知っている範囲では四六時中家に在籍してた。思い込みの激しい人だった。
このところ母はいつも機嫌がわるく、僕の帰還をまちわびて、なにかと言いがかりをつけるのが、日課と化していた。結婚八年目で、すでに夫婦仲は冷えに冷え、それはまるで日本がこれから迎える鉄冷えの時代を予感させるかのようだった。
忘れない内にと、玄関先でさっそく検便の話しをした。
「けっしてウンコをもってきてはいけません。このシールを剥がして、オシリの穴にペタッと貼るだけでいいそうだ」
母は僕の話を途中までしか聞かず、
「ちがう」
と言った。やけに自信あり気に断定した。
「ちがわない」
と僕は言った。
「ちがう」
と母が言った。
「その証拠に」
僕はランドセルの中から、お知らせプリント取り出すと、押し売りみたようの振り向きざまの横柄な態度でもって、相手の不埒を借用証書の威圧感の力を借りて念を押すかのように、床におおきく開いて見せた。母はひったくるように取ってそれを読むと、顔をあげ「ちがう」と言った。
翌朝、僕は母と共に便所にいた。
「はい、そこで止めて」
母が言った。言われるままに僕は括約筋に力を入れた。
「はい、ちょっとだけ出して」
ソフトクリームのさいごを切るように、僕はなんとも上手にこの初めての試練を乗り越えたのだ。母はドブに落ちた指輪でもまさぐるような及び腰で僕の尻に腕を伸ばし、小指の先ほどのウンコをシールに挟み取った。もくろんだちょうどいい分量が取れたらしく、母は久しぶりに明るい表情を見せた。
「はい、じゃあ、のこりのを出しなさい」
命じて母は下唇をうっと裏返す癖の顔をして、シールの上を指で押して形を整えながらあっちに行った。鬱屈した疑問がわだかまった。
「もういちど言うけど、ウンコをもって行くんじゃないんだ」
ズボンを穿きながら僕が言っても、うしろ姿の母は聞く耳を持たなかった。
学校に行くと、箱の中にシールが集められた。僕の疑問は晴れなかった。が、一日は、つつがなくすぎた。どうやら、あれでよかったのだろう。昼をすぎるころ、僕は検便のことをすっかり忘れてしまった。
放課後。
僕は保健の先生にそっと呼び出された。
「もういっかい、取り直して来てください」
先生はそう言うと、なにやら直筆で書かれたノートの一片を僕にたくされた。
「お母様に」
優しい声でおっしゃった。
つぎの日の朝、母はひとこともしゃべらず、ぶすっとして僕の尻の穴にシールを当てがった。
復唱すべきは、田中くんではなく、・・・。

いやあ、昭和って。