こうして私は、おはなしだの童話だのを書いているが、振り返ってみても、これまで一度も童話作家になるぞとか児童文学で身を立てるぞ、といった心意気も志もあった記憶がない。ましてや詩人だなんて、夢にも思ったことがない。
では、なぜ書いているか。
書いた物を分類すれば、そういうことになるのかな、と思うだけなのだ。
日常、生活をしていると、ふっとアイディアが浮かんできて、どうしても出したくなる。どうしても出したくなる。だから、書く。まったく、それだけのことなのだ。
であるから、私が書くことにたいして心構えがあるとすれば、私に浮かんできたことをなるべく正確に言葉に置き換える、そのただ一点だけかもしれない。でなければ、すっきりしないのだ。
成り行き上、発表する機会をもってしまったが(本当に、予め全く意図せず)、私は毎日毎日、何十年もの間、ノートや細切れの紙に思いついたこと、こころをかすめたことを書き留めてきた。私以外に誰も読まない文章を書いてきた。
それは積高、身長程のノート、それから段ボール箱十(とお)ほどのメモ紙、数百メガバイト文のデータになっている。ちり紙交換に出せば、いくつかのトイレットペーパーと交換してくれることだろう。(自分から漏れ出したものを書き留めた紙がトイレットペーパーに変わるのは、ちょっとおもしろいことだ)
愚痴、批判、恨みつらみ、嫌悪、不愉快・・・・。そんなネガティブなものから、発信源がどこかも分からない高度な思いつきやオカルトチックな情報まで、なんでもかんでも、ちょっとでも私の脳裏や心を横切ったことを書き留めてきた。トイレに入っている時、風呂に入っている時、それから人間愛の最中に思いついたことも、全部書き留めてきた。用意しているノートが間に合わない時などは、そのへんにある紙をびりっと破いて殴り書きをした。
書き出せば、いつまでも持っていなくていい。また別のアイディアが私に入ってくる。私はそれも出す。ぐるぐる、ぐるぐる、アイディアや感情が私を一本のパイプに見立てて通っていく。いつでも流していると、通じが良くなるようだ。
あるわだかまりや悪感情も、なんども手を変え品を替え書き出していると、その内あきてくる。そして、どうして自分がそんな重たい物を持っているのか、分かってくる。あくまでも自分が、なのである。他者や社会がどうであるかにかかわらず、なのだ。たいていは、観念のもういっこ奥にある信念に行き着く。
私は他人の書いたものを読むのが好きだ。どんなものでもたいていおもしろいと思う。もしかすると、本人にしてみれば、あまりに当たり前すぎて価値のないことかもしれない。けれども、私にとってはおもしろい。特にその人の人生がおもしろい。
少し離れて見てもおもしろいし、ぐっと内面に接近して見てもおもしろい。どのひともどのひとも、内面におぞましい殻をかぶせていたりするが、さらにその奥を覗くと、どのひともどのひとも、なんとも愛らしい、優しい、抱きしめたくなる透明の輝く玉があるのだ。そしてそれは、ひとりひとり違った美しい色合いをしているから、なおさらおもしろいのである。
こうして、私にとって当たり前すぎることを誰かが読む。これで、循環が完結した。
