過去生の記憶をもった人は、それなりにいると思うが、私は背後霊だった時の記憶と思われる記憶がある。

たとえば『前世を記憶する子供たち』とか『転生した子どもたち』といった本があり、過去生の存在については、大学による科学的なアプローチもなされていて、なまなかオカルトではすまされないところもある。

このごろではヒプノセラピーも有名になったので、それなりに自分の過去生に確信をいだいていらっしゃる方もいると思う。

ところが私のは背後霊の記憶である。

あらゆる批判に耐えるだけの力は毛頭もない。したがって、私は読者の感想や推測によってパンチドランカーの様相を呈することになる。メンヘラと言われたら、それまでだ。反論する材料はない。せいぜい、ちんぴらの中のちんぴらみたいな口調で「メンヘラって言うやつがメンヘラだ!」くらいの幼い言いがかりをつけられたら精いっぱいなのだ。

それで、この話しを聞いても「ふーん」とつまらなそうに反応していただいてかまいません。

『わたしは、背後霊だった記憶の持ち主だ』

とかなんとか言い張ってグッズを売り出そうとかテレビに出ようとか、そういう魂胆もいまのところないので、ご容赦、ご容赦。


明治の人だった。

この事を思い出したのは、たしか六歳の時だったと思う。社宅のすぐわきにある草むらで遊んでいたときに、唐突に映像が浮かんできたのである。なんのことか分からなかった。ただ、まるで二三日前に食べた夕食のメニューをなんのきっかけか思い出した時のように、なんの違和感もなくふわっと浮かんできた。こころの中で、夢をみる時のようなすこしくすんだカラー映像がくりひろげられる。

たいへん気骨のある、頑固な人だった。私はその人をずっと後ろからみていた。生まれてから死ぬまでの六十数年間を。

初め、少年だった僕はテレビかなにかで観た映像が飛び込んできたのかと思っていた。うんざりする思い出と言っても過言ではない。

とても長い間、誰かの背後にいて、じっと貝のように押し黙り、影のようにつきまとっていたのだ。これが背後霊をしていた時の記憶だとは、なぜかミジンの疑いもなくそう知っていた。円窓の写真のように僕はその人のなす様をみていた。

男で、たいていはスラックスに革靴を履いて歩いていた。ハットをかぶり、ステッキを持っていた。その人はごく平凡な人生を終えた。平凡な人生とは、その時代に重要視された価値観にもとづいて、そこそこの到達感を得たということだ。

この男が人生の選択をするたびに、口出ししたくて仕方がなかった。僕の隣にいたもうひとりの男も同じ思いをしていたらしく、じりじりして、時には男の足をひっかけてみたり、男にとって重要な意味を持つ、カフスボタンや指輪などを思わせぶりに男の目の前に転がしてみせたりした。

けれども男は、それをいつも偶然だと決めつけ、すぐに忘れる。するともうひとりは、フンと顔をまっかにして腕組みし、鼻孔を広げたり閉じたりした。

男を見ていたのは、僕だけではなかった。四五人いることは分かっていた。僕の右後ろや左斜め上や前方やや下にいるのだ。雰囲気で女や男、いつの時代の人というのは分かる。ためいきや感情の動きも感じられる。けれども、次元が異なるのか、姿かたちは見えない。唯一、すぐ横にいる男、男といってよいのか知らないが、彼だけは役目が終わった時、ほんの一瞬だけ姿を現したので知っている。それはまさに彼に似付かわしい、長年横にいて想像していた出で立ちだった。

タコ入道のような滑稽な顔をしていた。つるつるの壺のような頭に銀髯をたくわえていて、額には三本の深い横じわが刻まれていた。眉骨がひさしのように突き出し、眼窩に収まりきれないデメキンを腹話術人形のようにぐりぐり動かしてぷんぷん怒るのが、彼の癖だった。アゴは先端でふたつに割れ、鼻ヒゲは猫のシッポのようにぴんと立っていた。加えて、甚平に草履ばき。とても女を寄せ付けそうにない顔形だった。どうにでもできるのに、わざわざそんな姿をしていることもないだろうに、と僕は思っていた。むかし修行僧をしていた自分にはこれが最もふさわしいと彼は言っていた。

一方、タコ入道とちがい、僕は見守っていた男にいちども口出ししたこともなければ、ヒントを与えたこともない。沈黙を守り続け、いや耐え抜いたと言ってもよかった。どちらの態度が褒められたものかは分からない。言えることは、この平凡な男の後ろで繰り広げられていた僕らの葛藤は、当人にはなんの変化ももたらさなかったということに尽きる。

彼は後ろで僕たちがいることに、まるで、芥子粒ほどの可能性も見いださなかった。彼は自分の人生すべてにおいて、終始、眼をふさいだまま過ごした。見えていたのは、肉体の欲望と身の危険に対する不安だけだった。そして親を恨み、社会を呪っていた。それが彼の原動力だったし、それゆえに彼の目の前に差し出される結果はいつも惨憺たるものだった。

彼はいつもイラついていた。他人の責任ばかりを追及していた。そして自分の成した地位や名誉に不足感をいだいたまま死んだ。世間的な成功をする必要もない僕たち外野の意見など、男の眼中にはなかった。まさに、どこ吹く風だ。

「食べなきゃならんでしょう」

なんどか、僕らの思いを代弁する『この世』の者が現れても、男はそう言って一蹴にするのだった。ともかく僕とタコ入道は、男が死んでやっとそのお役目から解放され、ほっと胸をなでおろしたものだ。僕ら以外の見守り役も、おのおのどこかに散っていった。

男が死んだ日、タコ入道は僕に握手を求めてきた。そして、お前さんとは『この世』で縁もゆかりもなかったが、こうして一緒に過ごせたことを有り難く思うぞ、と言った。そして幽かに消えていった。あるいは、彼にしてみれば、僕の方が消え去ったように見えたかもしれない。鬱屈した時間だった。自分で六十年人生を過ごすよりはるかに長く感じた。

当の男は、死んだ後も僕らには気がつかず、亡霊のように(まさにそうだったのだが)ふらふら歩いてどこかに消えていった。その日、僕とタコ入道に共通した思いがあったとすれば、それは、やっと自分の出番が回ってきたということだった。そうして僕はいまの体に産まれてきた。
 
幼い時分に、ふと思い出したのは、そんなもどかしい記憶だった。


これだけです。
守護霊と言わずに背後霊と言っているところに、せめて自分がたいそうな仕事をしたのでないという思いを汲み取ってください。

この話しを知って、調査をしたいという申し入れが来ても、私は大急ぎで逃げ出しますので、絶対にそんな気は起こさないで下さいますよう何とぞ、何卒、切にお願い申し上げつかまつりまする候。