人生の目的は、必ずある。
目的は、波動、周波数、エネルギーの状態、在り方・・・。そう言い換えられるものなので、私がどんなに大きくなっても(たとえ創造神になって無の状態になっても)なんらかの状態は『ある』
したがって、われわれは常に目的の上にいるし、目的そのものだ。だから、目的は常に今達成されている。

ところが、生きる理由すなわち生まれてくる理由は、つけても構わないが、つけなくても構わないものだろう。

理由はひとつの物の見方なので、ほとんどこじつけなのではないか。つまり、どうとでも言えるのだ。

生まれるのは、自然なことなので、特に阻害がなければ、生まれる。

生まれる、ただ生まれる。

ぷくぷく、ぷくぷく、泡がわき立つように、生まれてくる。


ところが実は、生まれた気になっているだけかもしれないのだ。

生まれるとは、別次元からこの三千世界に片足、いや、足の小指の先のイボをちょっと差し込んでいることなのかもしれない。

そのイボが老いてはがれ落ちる。それが死のイメージ。

本体はずっと生きている。

つまり、死んでいないどころか、生まれてもいないのだ。

だから、生まれる理由を問うても答えられない。生まれていないのだから。

小指の先のイボにだけ意識を集中して、それだけが自分だと思い込んでいるなら、その部分は、ちいさな目的で生きることになる。

言ってみれば、自分は足の小指の先のイボだ、と信じ込むのが、生まれるということだ。

死ぬというのは、むしろイボ以外の本体全部だったと知ることだと言えるだろう。

生まれる理由は、だから、ない。つけたければ自由につけてかまわないし、それが当人にとっては至極ただしいこのなのだ。

どうつけてもいいのだから、最高に素敵な理由をつけよう。