「わたしなんか、まだまだですよ」
これは、誰の思いですか?
自分ですか、他人ですか。
どちらかと言えば、どっちですか。
それとも、すでに相対化されていますか。
自分にもあるけれど、使わないですか? 使ったとしても口先だけですか。
それなら、なかなかのものです。
では、これはどうですか?
「しょせん、世の中こんなもの」
これはどうですか。
「せっかくやろうとしたのに、また邪魔がはいった」
あなたですか、他人ですか?
「人前で話すなんて、恥ずかしい」「どうしてこれくらいのことが分からないのかなあ」「偉そうなこと言うな。お前だってただの人間だろ!」「なにやったってこっちの勝手だろ?」「すぐ決めつけて!」「押し付け!」「理想はそうかもしれないが、現実はできないだろう」「私一人の力では、なにもできない」「いいなあ、他人様は」「どうして自分にだけこんなことが!」「もっと時間があったらなあ」「もっと上手になってから」「誰も愛してくれない」「わかってくれない」「なにをやればいいのかわからない」「人生をやり直したいよ」「世の中不公平だ」「おれは苦労したんだよ」「たまたま運が良かったんだ」「へ、東大出のくせに」「いろんな経験をしたから、なんでもわかっている」「傷ついた」「許せない」「愛ってよく分からない」「ちょっと言ってみただけじゃないか」「どうしていけないの?」「どうせ私は、はみ出し者」
あなたですか、他人ですか?
ならば、これはどうでしょう。
「状況をよく見て判断しよう」「周囲の意見を聞いてから結論を出そう」「みんなでやらなくちゃ」「オリジナル」「おれはみんなとはちがうんだ」「ルールを守れ」「こんなやつがいるから、世の中おかしくなるんだ」「言ったことの責任をとれ」「やつの自業自得だろ?」「強制はできない」「どうすればいいか言わないのなら、何も教えていない」「体罰が教育の原点だ」「人に迷惑かけちゃいけない」「愛が欲しい」「愛ってなんだね」「あいつはなにもわかってない。わからせてくれる!」「差別反対」「平等にしろ」「なんでもわかってるって言うんだろう?」「偉そうなことを言うな、東大出てもいないくせに」「僕が合格すると誰か一人を不合格にすることになる」「あんな失敗して、カッコわる」「人権を尊重しろ」「個性はどこにいった?」「人生に意味なんかねーよ」
あなたですか、他人ですか?
「人生にタラレバはない」「カッコつけるのが一番カッコわるい」「いつでもやり直しができる」「客の喜びは私の喜び」「人の良い所を見つけなさい」「情けはひとのためならず」「どうすればよいかは、やり始めたらわかる」「類は友を呼ぶ」「ないものでなく、あるものに目を向ける」
このあたりまでなら、ちょっと気取って言えそうですね。
では、こういうのはどうでしょう。
「かわいそうって、なんだ、自分をバカにするのもいい加減にしろ」
「不平不満を言うな。この集団にはお前もいるじゃないか」
「自己卑下は、最高の傲慢なんだよ」
「あの挫折があったから、いまの繁栄がある」
「チャンスは平等に与えられている」
「世の中は公平だ」
「あなたに起きることは全て正しい」
「行動の変化ではなく、在り方の変化が結果を変えます」
言えますか?
それとも当たり前すぎていちいち言うのも疲れましたか。
ぐっと変わった感じがしますね。
下に行くほど、周囲の反発や無理解、嫌悪が増していくのがわかるでしょう?
それでもあなたは、自分のものとして言えますか。
このあたりから、2元性を相対化し始めています。
では、これはどうですか。
「人類はみな兄弟」
ちょっと、飛びましたか?
「いまこの状況を失敗と取るか成功へのヒントと取るか」
「運は自分でつくっています」
「変わろうと決意したとき、本当に変わるか前のままでいるかの再確認が起こります」
「楽になればなるだけ、思いの実現する可能性が増します」
「恐れることはありません」
「あなたしかいません」
「衆知を集めて」
「明るく生きることこそ、義務だ」
「私には人を助ける権利がある」
「人生に偶然はありません」
「問えば答えが返ってきます」
これなど、どうでしょう。
「裁くな」
言えますか?
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
「欲するものは経験できない」
「我欲を捨てて大我に生きよ」
「必要なことなどない」
「いま愛ならどうするか」
「自分の現実は自分でつくっている」
「思ったことが実現している」
「出したものしか受け取らない」
「シロクロつけて罰するのではなく、調和をとりなさい」
「迫害者のために祈れ」
「感謝こそ、最高の祈りです」
「固定した愛などない」
「人生に意味はありません。あなたが決めたこと以外は」
本当にそうだな、と認めてやっていますか?
「私がどう在るかは、宇宙全体に影響している」
もし、これを認めるなら、日常のひとつひとつの選択に細心の注意を払うことでしょう。
飲む物、食べる物、着る物、考え方、発言、行動。
言葉を知っているだけではすまない。ましてや、この言葉で他人を非難し嘲るなど。
そして、ここまでくれば、とても静かなことでしょう。
「生かされて生きる」
あなたの思いとして堂々と言えますか。他力。神に身を委ねる境地。
「わたしは、神の鉛筆」
ここまで来たなら、次のことは平気で認めていることでしょう。
「誰もが、自己選択の自由を与えられています」
「誰もが、平等に自分の結果を受け取っています」
「誰もが、信念にしたがって物を見ています」
「誰もが、存在価値をもっています。あなたの存在は容認されています」
「誰もが、神と同じ要素をもっています」
「誰もが、神に愛されています」
そして、最後にこれなんか、どうでしょう。
「わたしは、愛の神である」
いま、ここ、わたし、に在るとは、そういうことなんです。
他人が言ってるあの言葉のどこまでを自分と見なしているか。
外にあると思えていたことが自分の範囲だったとどこまで知るか。
どこでひっかかっていて、どの言葉を肯定しようとしているか。
ときどき思うのか、当たり前に思っているのか。
でも結局、上から下まで同じこと言ってません?
これは、誰の思いですか?
自分ですか、他人ですか。
どちらかと言えば、どっちですか。
それとも、すでに相対化されていますか。
自分にもあるけれど、使わないですか? 使ったとしても口先だけですか。
それなら、なかなかのものです。
では、これはどうですか?
「しょせん、世の中こんなもの」
これはどうですか。
「せっかくやろうとしたのに、また邪魔がはいった」
あなたですか、他人ですか?
「人前で話すなんて、恥ずかしい」「どうしてこれくらいのことが分からないのかなあ」「偉そうなこと言うな。お前だってただの人間だろ!」「なにやったってこっちの勝手だろ?」「すぐ決めつけて!」「押し付け!」「理想はそうかもしれないが、現実はできないだろう」「私一人の力では、なにもできない」「いいなあ、他人様は」「どうして自分にだけこんなことが!」「もっと時間があったらなあ」「もっと上手になってから」「誰も愛してくれない」「わかってくれない」「なにをやればいいのかわからない」「人生をやり直したいよ」「世の中不公平だ」「おれは苦労したんだよ」「たまたま運が良かったんだ」「へ、東大出のくせに」「いろんな経験をしたから、なんでもわかっている」「傷ついた」「許せない」「愛ってよく分からない」「ちょっと言ってみただけじゃないか」「どうしていけないの?」「どうせ私は、はみ出し者」
あなたですか、他人ですか?
ならば、これはどうでしょう。
「状況をよく見て判断しよう」「周囲の意見を聞いてから結論を出そう」「みんなでやらなくちゃ」「オリジナル」「おれはみんなとはちがうんだ」「ルールを守れ」「こんなやつがいるから、世の中おかしくなるんだ」「言ったことの責任をとれ」「やつの自業自得だろ?」「強制はできない」「どうすればいいか言わないのなら、何も教えていない」「体罰が教育の原点だ」「人に迷惑かけちゃいけない」「愛が欲しい」「愛ってなんだね」「あいつはなにもわかってない。わからせてくれる!」「差別反対」「平等にしろ」「なんでもわかってるって言うんだろう?」「偉そうなことを言うな、東大出てもいないくせに」「僕が合格すると誰か一人を不合格にすることになる」「あんな失敗して、カッコわる」「人権を尊重しろ」「個性はどこにいった?」「人生に意味なんかねーよ」
あなたですか、他人ですか?
「人生にタラレバはない」「カッコつけるのが一番カッコわるい」「いつでもやり直しができる」「客の喜びは私の喜び」「人の良い所を見つけなさい」「情けはひとのためならず」「どうすればよいかは、やり始めたらわかる」「類は友を呼ぶ」「ないものでなく、あるものに目を向ける」
このあたりまでなら、ちょっと気取って言えそうですね。
では、こういうのはどうでしょう。
「かわいそうって、なんだ、自分をバカにするのもいい加減にしろ」
「不平不満を言うな。この集団にはお前もいるじゃないか」
「自己卑下は、最高の傲慢なんだよ」
「あの挫折があったから、いまの繁栄がある」
「チャンスは平等に与えられている」
「世の中は公平だ」
「あなたに起きることは全て正しい」
「行動の変化ではなく、在り方の変化が結果を変えます」
言えますか?
それとも当たり前すぎていちいち言うのも疲れましたか。
ぐっと変わった感じがしますね。
下に行くほど、周囲の反発や無理解、嫌悪が増していくのがわかるでしょう?
それでもあなたは、自分のものとして言えますか。
このあたりから、2元性を相対化し始めています。
では、これはどうですか。
「人類はみな兄弟」
ちょっと、飛びましたか?
「いまこの状況を失敗と取るか成功へのヒントと取るか」
「運は自分でつくっています」
「変わろうと決意したとき、本当に変わるか前のままでいるかの再確認が起こります」
「楽になればなるだけ、思いの実現する可能性が増します」
「恐れることはありません」
「あなたしかいません」
「衆知を集めて」
「明るく生きることこそ、義務だ」
「私には人を助ける権利がある」
「人生に偶然はありません」
「問えば答えが返ってきます」
これなど、どうでしょう。
「裁くな」
言えますか?
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
「欲するものは経験できない」
「我欲を捨てて大我に生きよ」
「必要なことなどない」
「いま愛ならどうするか」
「自分の現実は自分でつくっている」
「思ったことが実現している」
「出したものしか受け取らない」
「シロクロつけて罰するのではなく、調和をとりなさい」
「迫害者のために祈れ」
「感謝こそ、最高の祈りです」
「固定した愛などない」
「人生に意味はありません。あなたが決めたこと以外は」
本当にそうだな、と認めてやっていますか?
「私がどう在るかは、宇宙全体に影響している」
もし、これを認めるなら、日常のひとつひとつの選択に細心の注意を払うことでしょう。
飲む物、食べる物、着る物、考え方、発言、行動。
言葉を知っているだけではすまない。ましてや、この言葉で他人を非難し嘲るなど。
そして、ここまでくれば、とても静かなことでしょう。
「生かされて生きる」
あなたの思いとして堂々と言えますか。他力。神に身を委ねる境地。
「わたしは、神の鉛筆」
ここまで来たなら、次のことは平気で認めていることでしょう。
「誰もが、自己選択の自由を与えられています」
「誰もが、平等に自分の結果を受け取っています」
「誰もが、信念にしたがって物を見ています」
「誰もが、存在価値をもっています。あなたの存在は容認されています」
「誰もが、神と同じ要素をもっています」
「誰もが、神に愛されています」
そして、最後にこれなんか、どうでしょう。
「わたしは、愛の神である」
いま、ここ、わたし、に在るとは、そういうことなんです。
他人が言ってるあの言葉のどこまでを自分と見なしているか。
外にあると思えていたことが自分の範囲だったとどこまで知るか。
どこでひっかかっていて、どの言葉を肯定しようとしているか。
ときどき思うのか、当たり前に思っているのか。
でも結局、上から下まで同じこと言ってません?
