うずまきナルトなんていう漫画の主人公がいました。
世界中でウケましたね。

頭に渦巻きの鉢巻きをしている。

天才バカ凡のほっぺたについていた、あのマーク、あのうずまきも実は宇宙の記号だったんです。

これも、宇宙と私の関係を表している標識なんですね。

この間はなした、丸描いてちょん、⦿マークの真ん中の点から、ぐるぐるぐるっと渦巻きを描いておおきくなっていく。その姿を表しているんです。しかも、どの状態も同時に存在している。いわば、過去も未来も今にあるんです。

らせん階段状に成長していって、大枠と重なるまで、あるいはそれ以上におおきくなる。

否定しようが制限を加えようが、この方向への動きは止められない。頑張って抵抗する権利はあるかもしれないけれど、宇宙の動きを止めるのは、ちょっと苦労だ。抵抗なんかしないで、ちいさな自分も楽しんで、おおきくなった自分も楽しめば、それでいいんじゃないか、と思う。たしか『キリク』というアニメでも、人一倍ちいさな主人公がそう覚る場面がありました。

そして進化というのは、どこかに行くのではなく、ぐるぐるぐるっと大きくなりながらも、本当の自分で在り続けるということなんです。

本当は僕らは点なんです、一点集約です。

でも、あっちふらふら、こっちふらふら、あれもこれも手を伸ばし、むこうの方にまで足をつっこみ、首をつっこみ、あれもやりたいこれもやりたい、あれもやってみたこれもやってみた、でもどれもこれもうまくいかない、のが自分だなんて勘違いをしていたりする。終いには未練たらたらで、いじけてしまう。どうせ世の中こんなものと投げ出して、ばあっと胡散霧散してしまう。現実は、うまくいかない、なにをやっても無駄だという人間の作った中で最高に笑える哲学を採用してしまうのです。

なにがどうなっているのか、ひとつひとつ分かっていくことは、どんどん一点に集中していくことなんです。自分とは異質だと思えていたものをどんどん自分に取り込んで、というより枠を広げていけばいくほど、ちいさなちいさな一点に集約していって、最後には、面積も重さもない、ただただ無限のエネルギー(情報)だけを生み出す、自分でないものがないもない、存在となるんです。渦巻いていって、それに、成るんです。揺るぎない愛のエネルギーになって、それを経験するために広場を創るんです。前の宇宙より、もっと楽しめる最高の大枠を。

大枠そのものになって、内側の点たちを遊ばせてやる。

このことは『ライ麦畑でつかまえて』の中で、主人公ホールディンが将来やりたいこととして思い描いているイメージだと思います。ライ麦畑の捕まえ役。
だからあの小説が時代が変わっても新しい読者を獲得するんでしょう。

大枠そのものになったものの中で、あるものは、全てを忘れてちいさな分離した意識から始めるかもしれない。離れ、移動し、経過するという幻想を使って、遊び直すのです。

そのプロセスのある地点が、わたしたち人間の魂なんです。

愛することをやればいいんです。情熱をもってやればいいんです。

ライ麦畑の中で、われを忘れてワイワイやって、おっこちそうになったとしても大丈夫、絶対にひどいことにはならない。もし、心底それを選ばない限り。

絶対助けられる。ホールディンみたいな存在がそこらじゅうにいるのですから。

自分を助けない自分はいません。

ひどいことになる、と信じ込み破滅を経験したければ、それを助長してくれる存在もあります。だから彼らを憎み撲滅しようなんてもっての他なんです。惜しみない感謝を贈るべきありがたい存在なんです。

はなしが逸れました。

私たちひとりひとりは、元々わたしたちを生み出した宇宙を超える宇宙になっていく変化をしていく存在なのです。

今度は、どんな法則の広場で遊ぼうか、そのテーマをもって日々をすごしているんです。自分が宇宙を創るだんになったら、そのアイディアを実現するんです。楽しいでしょう?
でも、同じことを今もやってませんか、たとえば、どんな職場を作ろうか、どんな家庭を作ろうか、どんなクラスを、どんな地域を、どんな国を、日々暮らしながら考えてませんか? 試行錯誤をくりかえしながら、どんな哲学、信念をもってすれば、最高の調和が完成するか、完全な永久運動、自動になるか、それを思いついて実現していくのって、
楽しいなあ。