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この記号を見たことがあるでしょう。
丸書いて、ちょんです。
なんの印かわかりますか? トレードマークに採用しているところもあったり、絵描き歌になっていたりして馴染みが深いものですが、これがなにを意味していたのか、このごろピンとくるものがありました。
他の本になんと書いてあるか知りませんが、このマークは、いにしえから伝わる『私と宇宙の関係』を見事に簡略化して残したものだと思います。
まず、このマークは、ある。
なにも書かれていないわけではない。在る。つまり、すべては存在しているということです。丸書いて、ちょん。全ては、ちょうどこんなふうに存在しているということを現しています。
在る、を表現していると同時に、無いも表現しています。
中央の黒い点と大枠の間には何も無い。つまり、無は、存在に内包されているということです。無は、大枠の外にあるのではない。内側にあるのです。
そして黒い点の在り方は、すべてが自己中心であります。これは、一点で表現されていますが、実は無数にあります。しかしどれもこれもが、中心の一点に凝集しているということです。
私も宇宙の中心ですが、たとえばガラスのコップ、これもコップとして意識があり、それは宇宙の中心です。コップを構成している分子も、ひとつひとつコップとは異なる意識をもちそれも自分が宇宙の中心だと思っている。分子を構成している原子も、電子も、ニュートリノもレプトンもすべて、それぞれ独自の意識を持ち、自分が宇宙の中心だと思っている。同じように、私たち人間を構成している器官も、それを構成している細胞も、その構成体である核もミトコンドリアもゴルジ体も、すべておのおのの意識を有し、宇宙の中心として存在しているのです。
まとめますと、このマークは存在についてシンプルな三つの真理を一度に伝えているといえます。1つに、存在している。2つに、無も存在に内包されている。3つに、すべてが自己中心である。この3つです。
次に、全体は個であり、個は全体である。このことを現しています。
全体の大枠はひとつの意識でありながら、それは内包されているひとつひとつ個別の意識の集合体でもあるということです。よく耳にする、「すべては、ひとつ」ということの意味はそういうことです。
元々同じひとつの意識が個性をもって分割してあるので、ちがって見えまずが、実は他者あるいは外というものはないということです。人類はみな兄弟などと言ったりしますが、人類どころか、微生物も泥も、ワラも川も、ペンチも雑誌も、冷蔵庫もダニもホコリも、すべて兄弟なのです。意識でできています。私は、他のすべての意識を内包した、一点なのです。
三番目に、もし全体は個であり、個は全体なら、自分の出したものが自分に戻ってくる。全てのことは、自分に対しておこなっている、そういったことを現しています。因善因果とか因果応報という言葉で知っている人もあるかと思います。
このことを認めると、どういうことになるか、徒おろそかにネガティブな感情は放出できないのです。すべて、自分に浴びせているのですし、自分にふりかかってきます。逆に言えば、自分に戻ってきて嬉しいこと、すなわち進化する機会以外を出す気にはなりません。
この記号を見たことがあるでしょう。
丸書いて、ちょんです。
なんの印かわかりますか? トレードマークに採用しているところもあったり、絵描き歌になっていたりして馴染みが深いものですが、これがなにを意味していたのか、このごろピンとくるものがありました。
他の本になんと書いてあるか知りませんが、このマークは、いにしえから伝わる『私と宇宙の関係』を見事に簡略化して残したものだと思います。
まず、このマークは、ある。
なにも書かれていないわけではない。在る。つまり、すべては存在しているということです。丸書いて、ちょん。全ては、ちょうどこんなふうに存在しているということを現しています。
在る、を表現していると同時に、無いも表現しています。
中央の黒い点と大枠の間には何も無い。つまり、無は、存在に内包されているということです。無は、大枠の外にあるのではない。内側にあるのです。
そして黒い点の在り方は、すべてが自己中心であります。これは、一点で表現されていますが、実は無数にあります。しかしどれもこれもが、中心の一点に凝集しているということです。
私も宇宙の中心ですが、たとえばガラスのコップ、これもコップとして意識があり、それは宇宙の中心です。コップを構成している分子も、ひとつひとつコップとは異なる意識をもちそれも自分が宇宙の中心だと思っている。分子を構成している原子も、電子も、ニュートリノもレプトンもすべて、それぞれ独自の意識を持ち、自分が宇宙の中心だと思っている。同じように、私たち人間を構成している器官も、それを構成している細胞も、その構成体である核もミトコンドリアもゴルジ体も、すべておのおのの意識を有し、宇宙の中心として存在しているのです。
まとめますと、このマークは存在についてシンプルな三つの真理を一度に伝えているといえます。1つに、存在している。2つに、無も存在に内包されている。3つに、すべてが自己中心である。この3つです。
次に、全体は個であり、個は全体である。このことを現しています。
全体の大枠はひとつの意識でありながら、それは内包されているひとつひとつ個別の意識の集合体でもあるということです。よく耳にする、「すべては、ひとつ」ということの意味はそういうことです。
元々同じひとつの意識が個性をもって分割してあるので、ちがって見えまずが、実は他者あるいは外というものはないということです。人類はみな兄弟などと言ったりしますが、人類どころか、微生物も泥も、ワラも川も、ペンチも雑誌も、冷蔵庫もダニもホコリも、すべて兄弟なのです。意識でできています。私は、他のすべての意識を内包した、一点なのです。
三番目に、もし全体は個であり、個は全体なら、自分の出したものが自分に戻ってくる。全てのことは、自分に対しておこなっている、そういったことを現しています。因善因果とか因果応報という言葉で知っている人もあるかと思います。
このことを認めると、どういうことになるか、徒おろそかにネガティブな感情は放出できないのです。すべて、自分に浴びせているのですし、自分にふりかかってきます。逆に言えば、自分に戻ってきて嬉しいこと、すなわち進化する機会以外を出す気にはなりません。
