1
元気の気とは、愛のエネルギーのことです。
創造と調和です。
破壊と不調和も創造と調和のネガティブなあらわれです。
人間のエネルギーはおおきく三つあります。
肉体の、精神の、そして魂のエネルギーです。元は同じ愛のエネルギーですが、周波数を違えることで三種類にしています。
肉体のエネルギーは食物によって得られます。
精神にエネルギーは「私とは何者か」と問うことによって得ています。
魂のエネルギーは、あります。気づくだけです。気をつけると流れがよくなります。
通常、元気といった場合、肉体か精神のエネルギーのことのように扱われています。
本当は魂のエネルギーです。
そしてそれは、私たちの周りに無尽蔵にあります。すこし次元がちがうので見えないだけです。霊とも言われます。私たちの魂は、それと同調できるのです。目が可視光線に同調できるように。
2
わたしたちの現実は、ほとんどの場合、選択によってシフトしています。たとえば、ひとりが笑うと、みんなが笑うといった状態は、彼につられて笑ったというより、彼が笑いという高周波の自分を選択したため、すでに周りの人が高周波で存在している世界にシフトしたと見ることができます。これがよく言われるパラレルワールド(アース)にシフトしたということです。
たいていの場合、現実はこうして体験されています。
そして恐らく、1パーセントくらいは、創造がおこなわれているのではないかと思います。つまり無いものをそこに発生させるということです。でなければ、未来はすべて確定していることになります。もちろん、無いものはないので、元からあるものの1つを引き出すということかもしれません。
どうすれば、それができるか。
そうである、という事だけを信頼して、そうでない可能性をまったく入り込ませない。疑いがまったくない思考をすることによって、宇宙を勘違いさせるのです。これが錬金術です。
たとえばこんな会話をしたことはありませんか。
「怒ってるだろ?」
「いや、怒ってないよ」
「怒ってるよ」
「怒ってないって」
「いいや、怒ってる」
「怒ってないって!」
「ほら、怒ってるじゃないか」
「おまえが怒らせたんだろう!」
彼が怒っているから、怒っているのかと聞いたのではなく、怒っていると疑いなく決めつけたから、怒っている彼が生じたのだ、ということです。疑っているのではなく、疑いなく怒っていると決めつけたのです。わかりますか?
こうすると、自分の思念と等価のものがそこに生じるのです。少しでも期待が入り込むと、生じません。また、結果を目論みながら行うと生じません。ただただ、そうであると信頼するのです。
このことは、反対のことにも使えます。ポジティブなことです。
「おまえ、すごいな」
「そんなことないさ」
「いや、すごいよ」
「たいしたことじゃないよ」
「いや、たいしたことさ、自分ではあたりまえだからそれに気づかないだけだよ」
「そうかな」
「そうさ」
「そうかもな」
「自分のネガティブな特徴を逆手に取って生かしたんだから、たいしたもんさ」
「そうだな、ありがとう」
すばらしい友人の出来上がりです。
この方法がわかると、ポジティブなこと以外には使えなくなります。実は、自分は自分が決めつけたことを受け取ることになっているからです。目の前に見えた相手は、自分の姿なのです。
卑劣漢、心配性、盗み癖、詐欺、インチキ、嘘つき、バカなど普通だったらムカッと来て、糾弾したくなる人に出会った時こそ、このような愛の誤解ともいうべきポジティブな決めつけが有効なのです。
3
このことを知っていると、誰かにネガティブな決めつけをされた時にも応用できます。私は、彼の思念の物質化した姿にはならないと決めておけばいいのです。ひどい人になると、自分の妄想で作り上げたネガティブな決めつけを、まるで宇宙の始まりから変化することのない事実のように吹聴して回り、そういう人間であるという揺るぎない目を社会に作り出そうと暗躍します。ある意味、この人は決めつけが現実を創り出すことを知っているのです。
けれどそんな時、動揺させられるどころか、ニッコリ笑ったらいいのです。彼に合わせる必要はありません。ネガティブな決めつけをされたならネガティブな決めつけでお返ししなければならないなんて、どこの法律にも定められていません。ましてや宇宙の法則は、自由ということになっています。どこ吹く風か、と、こんなときこそ馬耳東風を決め込んで、自分の愛することを楽しんでいたらいいのです。
するとどうなるか、彼は自分で出した思念を頭からかぶり、肉体がさらに重く固く物質化し、まるでごつごつした醜い鎧でもつけたようになるのです。そうして自分が決めつけたように周囲から見られるようになるのです。そしてそれは彼の真実です。彼が自分で自分を物質化させて創り出したからです。まさに確固たる真実なのです。
お姫さまと魔女のアニメ映画などで、魔法使いが杖をふって紫色の光線をお姫さまに浴びせかけるというシーンがありますね。無知な彼女は、はじめはまんまとそれに当たって動けなくなったりカエルに変えられてしまったりします。
けれども、よく観察して要領を得た姫は、三度目にはひょいと光線をよけます。すると、光線はくるりと方向をかえ、魔女に還っていきます。自分のかけた呪文が魔女に作用するのです。
あれは、わたしたちが日ごろなにげなくやっている、元気の気を使った錬金術を描いたものだったんですね。
だいたい、どんな教養のない人でも、「まわりは関係ない。自分がするかせんかだ!」くらいのことは言えるものです。それがどんな頻度で実行されているかは別として、周囲の雑音を消して、自分の芯を静かに保つことは、誰でも知っていることではないでしょうか。誰か他の人に聞いてお説教をしているだけではなく、やはり生まれつき内面にセットされている知恵であるように思います。
しかして逆に、ポジティブな決めつけをされたとき、普通は褒められたといいますが、その時は素直に相手の作り出す自分になりましょう。嬉しいと言って笑い、天にも昇る勢いで喜びましょう。軽妙な波動ですから、まるで天女の羽衣でも着せられた感じでしょう。そんな気持ちになるのは当然なことがわかりますよね。
こんな具合に私たちは、精神で肉体を動かし、元気の気すなわち創造のエネルギーをあやつって自分を創り合っているのではないでしょうか?
元気の気とは、愛のエネルギーのことです。
創造と調和です。
破壊と不調和も創造と調和のネガティブなあらわれです。
人間のエネルギーはおおきく三つあります。
肉体の、精神の、そして魂のエネルギーです。元は同じ愛のエネルギーですが、周波数を違えることで三種類にしています。
肉体のエネルギーは食物によって得られます。
精神にエネルギーは「私とは何者か」と問うことによって得ています。
魂のエネルギーは、あります。気づくだけです。気をつけると流れがよくなります。
通常、元気といった場合、肉体か精神のエネルギーのことのように扱われています。
本当は魂のエネルギーです。
そしてそれは、私たちの周りに無尽蔵にあります。すこし次元がちがうので見えないだけです。霊とも言われます。私たちの魂は、それと同調できるのです。目が可視光線に同調できるように。
2
わたしたちの現実は、ほとんどの場合、選択によってシフトしています。たとえば、ひとりが笑うと、みんなが笑うといった状態は、彼につられて笑ったというより、彼が笑いという高周波の自分を選択したため、すでに周りの人が高周波で存在している世界にシフトしたと見ることができます。これがよく言われるパラレルワールド(アース)にシフトしたということです。
たいていの場合、現実はこうして体験されています。
そして恐らく、1パーセントくらいは、創造がおこなわれているのではないかと思います。つまり無いものをそこに発生させるということです。でなければ、未来はすべて確定していることになります。もちろん、無いものはないので、元からあるものの1つを引き出すということかもしれません。
どうすれば、それができるか。
そうである、という事だけを信頼して、そうでない可能性をまったく入り込ませない。疑いがまったくない思考をすることによって、宇宙を勘違いさせるのです。これが錬金術です。
たとえばこんな会話をしたことはありませんか。
「怒ってるだろ?」
「いや、怒ってないよ」
「怒ってるよ」
「怒ってないって」
「いいや、怒ってる」
「怒ってないって!」
「ほら、怒ってるじゃないか」
「おまえが怒らせたんだろう!」
彼が怒っているから、怒っているのかと聞いたのではなく、怒っていると疑いなく決めつけたから、怒っている彼が生じたのだ、ということです。疑っているのではなく、疑いなく怒っていると決めつけたのです。わかりますか?
こうすると、自分の思念と等価のものがそこに生じるのです。少しでも期待が入り込むと、生じません。また、結果を目論みながら行うと生じません。ただただ、そうであると信頼するのです。
このことは、反対のことにも使えます。ポジティブなことです。
「おまえ、すごいな」
「そんなことないさ」
「いや、すごいよ」
「たいしたことじゃないよ」
「いや、たいしたことさ、自分ではあたりまえだからそれに気づかないだけだよ」
「そうかな」
「そうさ」
「そうかもな」
「自分のネガティブな特徴を逆手に取って生かしたんだから、たいしたもんさ」
「そうだな、ありがとう」
すばらしい友人の出来上がりです。
この方法がわかると、ポジティブなこと以外には使えなくなります。実は、自分は自分が決めつけたことを受け取ることになっているからです。目の前に見えた相手は、自分の姿なのです。
卑劣漢、心配性、盗み癖、詐欺、インチキ、嘘つき、バカなど普通だったらムカッと来て、糾弾したくなる人に出会った時こそ、このような愛の誤解ともいうべきポジティブな決めつけが有効なのです。
3
このことを知っていると、誰かにネガティブな決めつけをされた時にも応用できます。私は、彼の思念の物質化した姿にはならないと決めておけばいいのです。ひどい人になると、自分の妄想で作り上げたネガティブな決めつけを、まるで宇宙の始まりから変化することのない事実のように吹聴して回り、そういう人間であるという揺るぎない目を社会に作り出そうと暗躍します。ある意味、この人は決めつけが現実を創り出すことを知っているのです。
けれどそんな時、動揺させられるどころか、ニッコリ笑ったらいいのです。彼に合わせる必要はありません。ネガティブな決めつけをされたならネガティブな決めつけでお返ししなければならないなんて、どこの法律にも定められていません。ましてや宇宙の法則は、自由ということになっています。どこ吹く風か、と、こんなときこそ馬耳東風を決め込んで、自分の愛することを楽しんでいたらいいのです。
するとどうなるか、彼は自分で出した思念を頭からかぶり、肉体がさらに重く固く物質化し、まるでごつごつした醜い鎧でもつけたようになるのです。そうして自分が決めつけたように周囲から見られるようになるのです。そしてそれは彼の真実です。彼が自分で自分を物質化させて創り出したからです。まさに確固たる真実なのです。
お姫さまと魔女のアニメ映画などで、魔法使いが杖をふって紫色の光線をお姫さまに浴びせかけるというシーンがありますね。無知な彼女は、はじめはまんまとそれに当たって動けなくなったりカエルに変えられてしまったりします。
けれども、よく観察して要領を得た姫は、三度目にはひょいと光線をよけます。すると、光線はくるりと方向をかえ、魔女に還っていきます。自分のかけた呪文が魔女に作用するのです。
あれは、わたしたちが日ごろなにげなくやっている、元気の気を使った錬金術を描いたものだったんですね。
だいたい、どんな教養のない人でも、「まわりは関係ない。自分がするかせんかだ!」くらいのことは言えるものです。それがどんな頻度で実行されているかは別として、周囲の雑音を消して、自分の芯を静かに保つことは、誰でも知っていることではないでしょうか。誰か他の人に聞いてお説教をしているだけではなく、やはり生まれつき内面にセットされている知恵であるように思います。
しかして逆に、ポジティブな決めつけをされたとき、普通は褒められたといいますが、その時は素直に相手の作り出す自分になりましょう。嬉しいと言って笑い、天にも昇る勢いで喜びましょう。軽妙な波動ですから、まるで天女の羽衣でも着せられた感じでしょう。そんな気持ちになるのは当然なことがわかりますよね。
こんな具合に私たちは、精神で肉体を動かし、元気の気すなわち創造のエネルギーをあやつって自分を創り合っているのではないでしょうか?
