能登半島地震の1ヶ月後、2024/2/9に災害ボランティアした際の記録です。
震災直後はボランティア受け入れの体制が整わず、ボランティアは来ないでくれとの騒動もありましたが、その後石川県から公式に募集されるようになってすぐに申し込みました。
和歌山県新宮市で御燈祭に参加した後、痛めた足を引きずり能登に直行。富山県高岡に宿を取り、活動日前日に氷見と石川県の七尾を訪問しました。
位置関係は下の地図のとおり。

街にはドラえもんトラムが走り、高岡市美術館に併設された「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」では多数の原画が鑑賞できます。
「まんが道」にも登場する高岡古城公園には、鎌倉の荏柄天神社に日本漫画家協会有志154名により奉納された絵筆塚と対になる絵筆塔がありました。
高岡銅器は、国内の銅器生産量の9割以上を占めています。
亀有のこち亀や四つ木のキャプテン翼、桜新町のサザエさんの銅像は、すべて高岡銅器です。
住宅被害、一部破損が5338件、半壊152件、全壊は0(R7.5.15現在。以下同)。全壊判定でなくとも液状化により移転を余儀なくされている地域もあります。
高岡の北に位置する氷見市では、一部破損6029件、半壊502件、全壊232件。
より震源に近いため半壊件数が増え、高岡にはない全壊も多くあります。
能登が注目されていますが、富山県の被害も決して少なくありません。
氷見は、藤子不二雄Ⓐ先生の出身地。
市内には「氷見市潮風ギャラリー 藤子不二雄Ⓐアートコレクション」があります。
藤子不二雄Ⓐ先生は小学生のときに、光禅寺の住職であった父を亡くし、転居した先の高岡で、藤子・F・不二雄先生と出会います。

光禅寺には、忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿等の石像がありました。

本堂の建物も歪み、鉄棒で支えている状態。
心が痛みます。
さらに北の七尾市に行くと、市内はいまだ断水中。

七尾駅前では通常のトイレが塞がれ、仮設トイレが並んでいました。

スーパーマーケットの床には段差ができ、トイレの前には水タンクとバケツがあって、このバケツで水を流すようにとの案内が。
建物被害は、地盤の影響なのか、被害が軽微な場所と、大きな被害が集中しているエリアとの差が顕著で、その一帯だけ、言葉にならない光景が広がっていました(写真の掲載は控えます)。
建物には写真のような判定票が貼られていました。
七尾市の被災状況は、一部破損1万1497件、半壊5085件、全壊538件(R7.8.21現在。以下同)。
半壊が氷見市の10倍です。
この日は翌日のボランティア集合場所である金沢に宿を取ったのですが、金沢に向かう夕方の「のと里山海道」は大渋滞。
関係車両の通行を阻害するため能登訪問は控えるように、との通達が出るのも頷ける状況でした。
後日、能登半島地震での携帯各キャリア担当者による災害対応報告会を聴講する機会があり。
地震により固定電話回線が断絶、停電で携帯基地局への給電も停止。通信手段がブラックアウトする中、損壊した基地局の復旧、予備バッテリーや発電機による給電、StarLinkや船上基地局の活用等がレポートされました。
停電の長期化により、基地局発電機への燃料補給を2日ごとに行わなければならず、寸断した道路状況と渋滞の中で能登半島中の基地局を巡り燃料補給を続けるのが実に大変であったとの述懐が印象的でした。
災害対応は、想像以上に多くの方々の尽力により支えられています。
その後、5月に輪島を訪れた際には、山間を縫うようにいく「のと里山海道」の輪島までの路面はどこもかしこもいまだボコボコで。道路を外れた迂回車線を設けてなんとか通れるようにしたような箇所の連続。
地震エネルギーの強大さと能登の地形の困難さを思い知らされるような行程でした。
輪島市の被災状況は、一部破損4347件、半壊3971件、全壊2311件。
全壊の件数が多く、訪れた街の惨状には言葉を失うしかありませんでした。
渋滞を抜けてようやく宿に着くと、1Fは能登から避難されてきた方々の専用フロアとなっており。
この時期、金沢の宿の多くは被災者の受け入れを行なっていました。
金沢市の被災状況は、一部破損2万0382件、半壊253件、全壊22件。
震源からは離れていますが、軽微とはいえない被害を被っています。

翌朝早朝、集合場所には何台もの大型バスが停まっていました。あらかじめ決められた行き先ごとに乗車して、ボランティア活動場所まで送迎されます。
こんな立派なバスでボランティア送迎されるのは初めてでちょっとびっくり。
現地の交通状況が整っておらず、この時期一般ボランティアはすべて金沢からの送迎でした。
現地にボランティア用の簡易宿泊施設が用意され、現地集合での参加が可能となるのはまだ先となります。

バス車内のシートには、しっかりとカバーが。
ボランティア活動の内容についてはネット等での公開禁止との誓約書を書いたような気がします。
被災者のプライバシーを配慮したものでしょう。
よって多くを語れないのですが。
主催者側のノウハウ不足が気になりました。
結果として、ボランティア参加者を危険にさらしており。
当初は仕方ない面もありますが、この国は東日本大震災を経験しているわけで、ノウハウは継承されるべき。
防災庁の設置が待たれます。
また、冒頭の地図のとおり金沢は能登から遠く、移動時間がかかりすぎてボランティアの現地活動時間が削られてしまうような状況でした。
氷見、高岡あたりに拠点を置いたほうが能登へのアクセスは良いのですが、石川県と富山県で行政区が異なるため叶わず。
ノウハウをもった国の機関が管理すべきだと思った次第。
能登被災地の復興は1年半以上経ったいまも十分とはいえず。
災害ボランティアは現在も募集が続いています。
令和6年能登半島地震及び奥能登豪雨を契機として、奥能登を中心に人口減少が加速化しており、地域活力の維持・向上に向けた地域の担い手確保が急務となっております。
最近届いたボランティア募集メールに添えられていた文章です。厳しい状況のようです。
能登はお祭りが多い地域でもあるのですが、祭の担い手も不足しており、災害ボランティアとは別に募集されています。
機会があれば再訪したいと思っています。
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動画でどうぞ。









