双葉ツアーの3回目です。
過去回はこちら。
ツアーでは、スクリーニング場見学に続いて、震災遺構と伝承館を訪問しました。
双葉町の隣町、浪江町立請戸小学校が、2021年より震災遺構として公開されています。
浪江町も双葉町同様、福島第一原子力発電所事故直後に全住民避難となり、避難解除が一部区域で実現したのはようやく2017年。
震災前の人口約2万1500人に対して、2025年6月現在の居住人口は2366人。
現在も町の8割は帰還困難区域となっています。
請戸小学校は福島第一原発の北約5km、海から約300mに位置し、震災発生の40分後に15mを超える津波に襲われました。

写真は1階の職員室。当時の被害状況のまま残されています。

浪江町では182名が津波の犠牲となって命を失いました。
その厳しい状況の中、請戸小学校では、震災時に在校していた児童82名が、1人の犠牲者も出すことなく全員が避難に成功しています。
震災遺構では、その経験を伝えるため、避難の経緯を克明にレポートし、展示しています。
下図は震災前後の航空写真。

14:46 地震発生
14:49 気象庁が大津波警報を発令
14:54 請戸小の児童、教職員が避難を開始
15:15 避難場所の高台となる大平山の麓に到着
15:33 津波第一波が到達
特筆すべきは、地震発生からわずか8分後に全員が避難を開始したこと。
避難場所の大平山までは1.5km。
危機一髪でした。
児童を待機させ迎えに来た親に引き渡すという選択を取らず、まず全員を安全な場所に退避させることが躊躇なくできたのは、マニュアルがあってこそ。
本来全国民が共有すべきこのマニュアルが、つい先日発生したカムチャッカ半島の地震による津波警報で、全く広く共有されていなかったことが、各所で露呈していたようです。
※能登にボランティアに行ったときにも、東北の震災ボランティアで得たノウハウがまるで継承されていないことに愕然としたのですが。

周囲の建物はすべて流され、いま周辺は何もない原野が広がるだけですが、小学校の頑丈な校舎は残りました。
学校の屋上への避難でも命が守れたのかもしれませんが、それは結果論です。
校舎3階の教室に、津波に流されたクルマが置き去りになっていました。
先日の津波警報に対して、交通機関の運休等は過剰反応だとの声もあったようですが、我々はわずか十数年前にそれを経験しています。伝承の重要性を痛感します。
大平山に避難した児童は、その日の夕方5時には山を越えた先の町役場に併設された体育館に到着。
しかし翌12日には、原発事故により、福島第一原発10km圏外への避難を余儀なくされ、3月15日には2万1500人の全町避難が発令されたのでした。

上の写真は、原発事故前に町のメインストリートに掲げられていたスローガンのレプリカ。
この展示は皮肉が効いているけれど、

こちらは悪ノリしすぎていると思う。
スケジュールが押して十分な見学時間を取れなかったのですが、伝承館のガイドの若い女性から展示概要のレクチャーを受けました。
最後に一言。
「皆さま、震災遺構 請戸小学校はご覧になられましたでしょうか?
私はあの小学校で避難した生徒の1人でした」









