弾丸9日間(前後のフライト除けば滞在7日間)の日本里帰り行ってきたんですが。。

その記事は後ほど。。。



10月7日

我が家の次男

18歳

大人になりました!!!



2004年生まれの次男

お腹の中で大きく大きくなって

予定日の3週間前ですでに予想推定体重が4kg超え。

お世話になってた産院の判断で予定日2週間前の妊娠38週で誘発分娩となりました。



4.1kgで、生まれてきた次男

仮死気味で蘇生され酸欠気味の次男は酸素吸入のため体は大きいのに保育器へ。

未熟児で同じ日に生まれた赤ちゃんと隣り合わせて次男が巨大ベイビーに見えて笑ったな🤣






今思えば全て知的な遅れが影響してたであろう言葉の遅れや理解力の低さ。

1歳くらいまでの身体的な発達は(身長体重、首の座りや寝返り、おすわりに歩行まで)標準より早め。

11ヶ月で歩いてたな。



言葉は非常に遅くて、長男も遅かったけどさらに遅いのも気になりつつ、日本の保健所の年齢毎の健診や育児相談ではバイリンガル環境での育児に詳しいスタッフは皆無。バイリンガル環境だと言葉が遅くなりがちとも言われてるので様子見ましょうばかり。



今では完璧なバイリンガルの長男も幼児期英語を入れるのに苦労した(苦労させちゃった)経験から次男は言葉が出始めたら英語の世界へと、日本在住だったので英語での幼稚園へ。




そこで出会ったアメリカ人の幼児教育専門の先生からバイリンガル環境で育ってることだけではなさそうな次男の障害を疑問視され、言われた時は彼への信頼関係もまだなかった頃で、あなたに言われたくない!!と内心イラッとした記憶。




自分でももしかして。。。。と思いつつ、男の子だし、バイリンガル環境だしのんびりさんなだけ。同年齢の子よりは幼いけどちゃんと成長してるし。。。自閉症はないので明確な傾向も目に見えなかったのもあって。。認めたくなくて正直目を背けてたかも。

言葉が遅い理解力が年齢相応でない以外は、育てにくさはそんなに感じなかったしね。




でもこの指摘が私やダダを動かすきっかけになったのも事実。

ここからはいろいろアンテナ張って必要であれば受診したり検査うけたり。でも結局日本ではIQが低いですね。。くらいしかなく、オーストラリアへの引っ越しを控えてたのもあって専門医の受診は半年待ちとかだったからなにもせず。




その英語の幼稚園では少人数で愛情たっぷりかけてもらってモンテッソーリのメソッドも取り入れててその時に出会った幼馴染は今も繋がってて次男の障害も受け入れて日本帰国時は私から離れてお泊まりもできるし過保護になることなくサポートしつついっしょにお出かけもしてくれる好青年。



いろんな事情(ダダの両親が高齢になってきたとか、長男がお世話になってたインターナショナルスクールが閉校とかダダの退職とか、東日本大震災とか、姉の癌闘病からの旅立ちとか)が絡み合って、メルボルン移住した10年前。



次男の障害児教育やこれから障害者としての人生。

オーストラリアに移住してよかった。。

正直にそう思います。

日本だったらどうなってたんだろうと調べたことはないですが、見た目普通の軽度知的障害ってサポートどれくらいあるんだろ。。



とりあえず障害者年金やNDISにも乗っかれて今後万が一、親の私たちになにかあったとしても長男に大きな負担にならず生きていけるはず。ありがたいことです。



さて。

18歳のお誕生日は。




いつもは自力で公共交通機関で帰ってくるけどサプライズでお迎えに🚘

こういうのすごい喜ぶのでニコニコでした💕💕



18歳なのでお友達招待して大きなパーティーする子も多いけど、次男はしなくていいとおっしゃるのでお友達招待のパーティーはせず。

次男の好きなお菓子詰め合わせたパーティバッグをクラスメート分持たせてクラスでお誕生日ソング歌ってもらってお祝いしてもらったようです。



夕飯は次男リクエストでチキンパーマ(チキンカツにナポリタンソースやハムチーズたっぷり掛けたイタリアン)を食べに久しぶりに家族で外食。




帰宅後私手作りのバースデーケーキ🎂






レシピはいつもお世話になってるリトラビットさん。

フルーツたっぷり乗せたいところ我慢して。

次男リクエストのマーブルチョコばら撒きしときました。



我が家のベイビーもとうとう大人。

靴紐結べないし、ちょっとしたことで涙も出るけど来月には選挙も参加する大人です。

これからの人生。

嫌な思いすることなく、涙することなくハッピーに過ごせるよう、サポートは続きます。



毎朝どこか痛かったり、疲れてたりスッキリ目覚める日は少ないアラフィフですが、頑張って長生きしまーす。