本日、日本時間18:00から父の13回忌の法要でした。
父は12年前の8月12日に67歳で他界しています。
8月入ると田舎のお寺さんは忙しいので少し早いですが今日になったそうです。
13回忌なので大きくはしないけれど、基本的には父の弟と妹は来てくださるんですが、日本はコロナ禍真っ最中。みなさん高齢者の位置付けなので今回はやめておこうとうちの母とも相談して決めたようで。
なので、参加は母、甥っ子姪っ子、義兄(姉の夫)のみ。
毎年年末年始を挟んで3、4週間日本に里帰りしている我が家ですが、今年は帰れなかったのもあり、この13回忌には帰ろうと思ってたけれど。
そんな簡単ではなかったですね😭😭😭
全世界でコロナと戦ってるわけですし、しょうがないのですが。。。
ほんといつ帰れるんだろ。。。。
こんなことしかできないので。
お供え用にお花を送りました。
お供えは姪っ子と母の希望で
月化粧を。
最近は抹茶味も出てるそうで、抹茶味も。
田舎の13回忌。
地区のお寺さんからお坊さんが我が家に来てくださっての法要。
姪っ子がLINEで電話繋いでくれて私も一緒に読経を聞いて。
いまどきですね。。
私3、4歳かな。
叔母の結婚式に参列したときの写真🤣🤣
16歳から大工の棟梁のおうちに奉公に行き、修業させてもらって大工になった父。
田舎の消防団で団長も務めて、我が亀岡市からの感謝状も飾ってた記憶。
50代前半頃から体力勝負の仕事がこなせなくなり、精神的なストレスもあり、徐々にいろんな不具合が出始めて。生命を脅かす様な病気はなかったけれど、60歳過ぎた頃から寝たり起きたりの生活に。
体調不良と家族の介護疲れもあって3ヶ月ほど入院してた病院で突然最期の日がやってきて。
8月12日。
当時東京在住だった我が家は夏休みでキッズと共に実家滞在中。私ひとりで幼児3人(姪っ子いれて)プールは怖いので母も一緒に近所の区民プールに行ってたあの日。
病院からの着信に気づかず。。
結局仕事中の姉の勤務先に訃報の連絡入り。
長く患っていても突然やってきたお見送り。
3ヶ月入院して体調も落ち着き、父も家に帰りたいと希望もあったので、ケアマネさんと連絡とって介護ベッドを入れて準備万端〜退院待つだけ状態での訃報の連絡でした。血圧が低かったので、いつなんどきとは言われていたけれど。
もちろんびっくりして衝撃的な最期ではあったんですが、長く患ってた父にはお疲れ様でした。と素直に言えて、長く介護してた家族みんなで少しホッとしたのが正直な感想でもありました。
あれから12年か〜
思う様に体が動かず、歯痒くてお酒に溺れてどんどん体を壊していった父
姉がフルタイムで仕事してた関係で、孫(甥っ子姪っ子)の育児に家事全般。全て背負いつつ父の介護で、疲れ切ってた母。
当時東京在住で、母の愚痴を聞くしか出来ず歯痒かった私。
今でも後悔してるけど、わがまま言い続ける父に、きつい口調で接したことは何度もあって。
看護師として、仕事と割り切っての看護介護は余裕を持ってできても、家族としての介護はまた別でしたね。
さ。。
東京オリンピック2020
開幕しましたね。
物申したいことは山ほどあるけれど、
一生懸命がんばる選手のみなさんや、スタッフさん、ボランティアさん、声援送りたいと思います。