いやはや、暑い日が続きますねぇ。
なかなかに、今年の夏は太陽さんが頑張っておられますw
ブログ自体も、1ヶ月ぶりみたいな感じですねw
まぁ、そこまで書くような気力が沸かないので、すいませんです。



















今年も8月6日(ハチロク)が、やってきました。
戦後72年目の原爆の日です。
原爆が落とされた8時15分に毎年の様に、黙祷をしました。
少し前の8月3日に、サポステのメンバーでコツコツ折ってきた、千羽鶴×4の奉納と、
平和公園のボランティアガイドさんにお願いしての平和学習を行ってきました。
交流館6名・サテライト6名の利用者と、6人の職員さんとかなり大所帯でした。

原爆の子の像で奉納したのですが、折り鶴の写真を撮ろうとしたら、
ガイドさんが、セッカチなのか…即撤去と言う事になってしまいました…。
なので、撮れずじまいに終わってしまいました(残念)

横にある、折り鶴奉納の所に掛けました(あ、一応、これ自分ですw)
そこから、少し木陰に移動して、平和公園の成り立ちを話して頂きました。

中央の方が、ボランティアガイドさんです。
この方、関西系のノリでセッカチなタイプでして、歩くのも早ければ、
質問を振っておいて、正解だと突っ込まれると言う感じで、
かなり振り回されてた感じが凄いありましたねw

動員学徒慰霊塔です。この後ろにある彫刻のレリーフは、
戦中の学生達が、どんな事をしていたかが掘られてあり、
後ろには、全国で犠牲となられた、学生達の学校の名前が刻まれています。

もちろん、平和公園の中でもとりわけ重要な原爆ドームも。
元々は、広島の産業の中心地として、広島県物産陳列館として、
戦中には産業奨励館として、戦争の為に役割が変わり、
原爆の爆風によって、このような形となってしまいました。
原爆ドームも、取り壊しか保存かの論争があったみたいですが、
1966年に広島市議会が永久保存とする決定をしたようです。

広島平和公園を設計した、丹下健三氏が慰霊碑と原爆ドームを
一直線に結んで、建築した事は有名ですが、その中に西国街道を残しており、
道が真っ直ぐになってない所があると言うのは、今回初めて知りました。

早足で、色々と歩き回りました。ホント汗だくです…。
エノラ・ゲイの目標地点であった、相生橋からの原爆ドームです。
周辺にビルが建ってしまい、目立たないかもしれませんが、
原爆ドームの存在感は、やはり凄いものだと思います。

何度もここは歩いているはずなのに、これが平和の時計塔と言うのを知りました。
これは、毎朝8時15分にこの世に核兵器が無くなるまで、チャイムが鳴るらしいです。


少し行きまして、平和の鐘です。
この鐘楼の、鐘撞き部分は、原子力のマークらしいです。
これを撞く事によって、核兵器が無くなる事を祈るのと、
ここに描かれた国境のない世界地図は、平和を祈っての事です。
そんな願いを込めた意味合いを、今回初めて知りました。

平和の灯(ともしび)ですが、この形は掌を上空に向けて合わせたデザインとされ、
平和を祈っていると言う意味があるそうです。
この他にも、ガイドさんが色々と話されたのですが、
如何せん、早足でサッサと行ってしまうので、
人が居なくなるのを待って撮るというのは、不可能だった所があります。
炎天下の中、歩き回って、汗だくになりましたし、
ガイドさんのテンションに若干疲れてしまった感じでしたw
でも、小学生以来だと思います、こんなに真面目に平和学習を受けたのは。
でも、これから戦争体験者が亡くなられる中で、
原爆の悲惨さや平和の大切さを、次世代に伝えると言うのは、
唯一の被爆国である日本にとって、大切な事だと思います。
これは、日本しか出来ない事だから、続けて行かなければいけないし、
核兵器廃絶の為のリーダーシップを取って欲しいものです。
みなさんも、この夏だけでも良いので、平和について考える事をして欲しいです。
それが増えればそれだけ、戦争のない世界に進んで行くと思うし、
一人ひとりの考え方が、 世界を作って行く事になると思います。
『争いのない世界を』と、自分は千羽鶴の寄せ書きに書きました。
夢見がちな言葉かもしれませんが、それは簡単な事だと、
John Lennonも『Imagine』で歌っていますので、
せっかく、祖先から繋いで来た生命を、戦争で絶やす事ないように、
上手く命を繋いで行けるように、一人ひとり考えて行きたいですね☆彡

