日記。2011年12月16日。金曜日。

★ オバマ大統領が数年前にイラクからの米軍撤退を選挙中に公約した。
やっと彼の公約が実現した。今年が終わるまでに全面的に撤退する。並大抵の苦労ではなかったと思う。

★ 昨夜、半世紀以上前、1957年に起きたリトルロック高等学校事件について書かれた書籍に関する対談を視聴した。入校する黒人少女と悪罵する白人少女が辿った人生行路について話していた。

あの事件からもう54年経っている。感慨無量だった。

"アーカンソー州リトルロック高校" と検索すれば、委細が日本語で随分書かれているから詳述しない。
フィラデルフィア日記-アーケンソー地図。


僕が3年間過ごしたチャフィー陸軍基地は上掲地図中の左端にある Fort Smithの郊外だった。
Little Rockはこの州の首都で、この地図では赤★になっている。僕が滞在したフォートスミスはリトルロックからあまり離れてはいない。

あのころ、北部カンサス市からミズリMO・カンザスKS州境線を辿って南下する旅客列車は、アーケンソーARとの三州合致点に達すると完全に停車した。車掌が客車に現れて大声で言う、「黒人乗客は後ろの客車に移ってください。」丁寧な言葉つきではあったが、それは合法的な命令だった。

荷物を手にした老婆の後ろ姿を黙視する僕を、僕の良心が咎めた。

差別州のアーケンソーの人種差別は徹底していた。軍隊内ではそのころ数年前に人種差別は撤廃され、基地内では隔離がなかった。だが、中隊書記として働く僕の机に届けられる兵士名簿に列記された兵士名には必ず人種(NEGネグロ、CAU白人)が明記されていた。僕は東洋人だったからMON。ただし、あそこを通過する東洋系は殆ど居なかった。

写真を検索されると、教科書を抱いて歩く黒人少女と背後で悪罵する白人少女の写真を発見すると思う。
世界中に有名になった写真だ。

当時9名の黒人少年少女がリトル・ロック高校に入学、連続虐待/苛めを受けるまま卒業した。

東洋で、太平洋戦争中に1941年から1945年までの4年間、これほど過酷なイジメには逢わなかったが、同種類のイジメを経験してからアメリカに来た僕にとって、この事件はヒトゴトではなかった。

そして、アメリカが黒人大統領をいただく今日をありがたく思った。