(訃報)2002年の皐月賞を制したノーリーズンが死亡。菊花賞では1番人気でスタート直後に落馬。 | 趣味のブログ

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2002年の「皐月賞」を制した「ノーリーズン」(牡25歳)が7日(火)、けい養先の「鹿頭ステーブル」(福島県南相馬市)で死亡した。

2002年1月に「京都」の「3歳新馬」でデビュー勝ちを収め、翌2月の「こぶし賞」(500万以下)も連勝するも皐月賞トライアルの「若葉S」(OP)で7着に敗れ、2着までに与えられる「皐月賞」の優先出走権を獲得出来なかったが7分の2の抽選をくぐり抜けて出走が叶った。

しかし、前走の大敗もあって単勝115.9倍の15番人気となったが初騎乗となる「ブレット・ドイル」の好騎乗もあり、中団から抜け出して重賞初制覇がG1となった。

勝ちタイム1分58秒5は1994年に「牡馬クラシック三冠」を達成した「ナリタブライアン」が樹立した1分59秒0の皐月賞レコードを0.5秒更新、更に2着に8番人気の「タイガーカフェ」が入り、馬連の払戻金は5万3090円の大波乱を巻き起こした。

続く「日本ダービー」では「タニノギムレット」に次ぐ2番人気に推されたが最後の直線の坂で伸びきれず8着に敗れた。
その後、骨折が判明したが程度が軽かった為、秋の菊花賞トライアル「神戸新聞杯」(G2)で復帰、「シンボリクリスエス」に次ぐ2着に入り復活をアピールした。

そして迎えた「菊花賞」では「シンボリクリスエス」が「天皇賞秋」に向かう事で生涯唯一の1番人気に推された。
しかし、スタートで「ゲート」出た直後に躓き、鞍上の「武豊」が落馬して競走中止、同レース総売り上げの48.8%に相当する約110億円分の「馬券」が一瞬で紙屑となり、場内がどよめいた。
この波乱を制したのは10番人気の「ヒシミラクル」で2着に16番人気の「ファストタテヤマ」が入り、馬連の払戻金は9万6070円の大波乱となった。

人馬共に怪我は無かった事で秋シーズンを続けるが「ジャパンC」は8着、「有馬記念」は6着と良い成績は残せなかった。

4歳になった2003年初戦の「京都記念」(G2)は5着、続く「阪神大賞典」(G2)は4着と掲示板に載るのが精一杯の状態で「天皇賞春」にに向けて調整が続いていたが「屈腱炎」を発症、約1年半の休養を余儀なくされた。

5歳になった2004年秋の「朝日チャレンジカップ」(G2)は最下位の11着に敗れ、レース後に「屈腱炎」が再発、現役を引退し種牡馬入りする事になった。

翌2005年から「優駿スタリオンステーション」で種牡馬入り、南関東で活躍した「キスミープリンス」を輩出した。

2010年に種牡馬を引退、同年12月に「松浦ライディングセンター」(福島県南相馬市)に移動、引退名馬けい養展示事業の助成を受け、「功労馬」として余生を送っていた。

2014年11月に「鹿頭ステーブル」(福島県南相馬市)に移動、繋養地区の伝統行事相馬野馬追では「神旗争奪戦」や「お行列」に参加。

2019年には南相馬市が発行する情報誌の創刊号の表紙を飾った。

ご冥福をお祈りします。