(訃報)2012年の天皇賞春を14番人気で制したビートブラックが死亡。 | 趣味のブログ

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2012年に「天皇賞春」を14番人気の低評価を覆して制した「ビートブラック」(せん17歳)が13日(火)、けい養先の「JRA馬事公苑宇都宮事業所」(栃木県宇都宮市)で死亡した。

死因は「骨盤」の骨折によるもの。

2009年10月に「京都」の「2歳新馬」(ダート1800m)でデビュー、3歳になった翌2010年の「阪神」の「未勝利」(ダート1400m)を7戦目にして初勝利を挙げるが続く500万以下(ダート1400m)では11着と大敗。

その後、芝の中長距離路線に変更すると「阪神」の「500万以下」(芝2200m)で4番人気で3着に入り、2戦を挟んでの「夏木立賞」(500万以下)で初めて1番人気に推されて2勝目を挙げる。

更に2戦を挟んでの「兵庫特別」(1000万以下)で3勝目を挙げ、重賞初出走の「菊花賞」では13番人気の低評価ながらも先行して3着に入った。

年末の「オリオンS」(1600万以下)を1番人気で3勝目を挙げ、オープン入りを果たす。

4歳になった翌2011年初戦となった「日経新春杯」(G2)で10着、「ダイヤモンドS」(G3)で4着と連敗するも「大阪-ハンブルクC」(OP)で4勝目を挙げる。

続く「天皇賞春」では7着に敗れ、暫く勝ちに恵まれなかった。

5歳になった翌2012年4戦目となった「天皇賞春」では前年の「牡馬クラシック三冠馬」の「オルフェーヴル」が単勝1.3倍の断然人気に推され、「ビートブラック」は単勝159.6倍の14番人気に甘んじた。

レースは「ゴールデンハインド」が大逃げを打つと「ビートブラック」は2番手を追走、2周目4コーナーで先頭に立つとそのままゴールに押し切り、2着の「トーセンジョーダン」に6馬身差の圧勝、重賞初制覇がG1となった。

また、単勝の払戻金1万5960円は2023年現在で「天皇賞」史上最高となっている。

しかし、その後は勝ちどころか馬券圏内にも入れず、2014年の「大阪杯」(当時G2)の8着を最後に引退した。

引退後は「京都競馬場」で「乗馬」となり、2015年からは同競馬場で「誘導馬」を務め、2023年春に「誘導馬」を引退、同年11月から「馬事公苑」で装蹄師用の「練習馬」や「乗馬」になったが2024年2月13日、乗馬中に転倒、骨盤を骨折して死亡した。

ご冥福をお祈りします。