Drs巽です。
今回は皆さんがよくお世話になったりならなかったりしている阪急の京都線について、複雑な歴史の紹介を交えつつ、少しマニアックな視点から魅力を探っていきたいと思います。
題して,
「阪急京都線を追う!~見どころと歴史徹底レポ~」
@大阪梅田駅
というわけでやってまいりました梅田。皆さんが大抵使うであろう入り口からスタートです。魅力が多すぎる駅なので、まとめサイトに書いてありそうな情報はささっと紹介しちゃいましょう。
まず入って気になるのがこれ。
ご存知ですか?
数字の飛び方が尋常じゃないし、当然1から32まであるわけでもありません。
これ、まず“三番街”の由来は三番街の所在地、
「北区小深町3番地」
から来ています。
つまりその理論でいくと、 17番街、32番街は…と考えてしまいますが、なんとこちらは
「施設が入っている建物の階数」らしいです。なんとも安直な。
みんな大好き、これ なんと梅田駅に設置されたのが日本初
何かにつけてとにかく規模がでかい。これだけ規模がでかいのに上品なイメージが決して崩れないのは阪急の企業努力の賜です。せっかくなので切符を買うわけなのですが
グレた?思春期?
一体どうしたのでしょう梅田の田。
これは印刷ミスでもなんでもありません。理由があります。
時は昔、自動改札ではなく駅員が切符を一枚一枚確認して鋏を入れていた時代。「○田」という駅は梅田の他に池田、吹田、園田、富田、山田と多数存在しており、膨大な枚数の切符の中、
最も利用客数の多い梅田の切符を瞬時に判別するために梅田のみ異体字の「龱」を用いたのです。
つまりこれははるか昔の名残であり、現代の磁気の切符(過去になりつつあるのかもしれない…)であえて採用する理由はないんです。
ちなみにこの「龱」、UnicodeのU+9FB1で携帯でも入力が可能です。僕は辞書登録してあるんですぐ打てます。
さて改札をぬけるとそこでは10面9線、日本最大規模の頭端式ホームに3種類の発車メロディが響きます。
こんなところに…
梅田駅の改札を入って右側、鉄道ファン垂涎のロケーションにタリーズコーヒーがあります。もっとも鉄オタはタリーズなぞ入らないんですけどね。それはさておき店内に入ってみましょう。
アイスカフェラテのショートサイズとピーチアーモンドのケーキ カフェというものに慣れなさすぎて返却口から注文してしまった
見てくださいこれ。
ただただ正面で列車が入れ替わるのをこれでもかというほど観察することができる夢のようなポジション。隣には3歳くらいの男の子が、恐らく僕と同じ理由ではしゃいで入店してきました。上の写真に写っているクマのジャッキーのコラボ車両がお目当てだったようで、突然僕の席の方に割り込んできます。すぐに母親が謝罪のうえ連行していきましたが、全然気にしていない旨を伝え、席を譲ってあげることにしました。
いやいや、いいんですよ全く。オジサンにもそんな時代があったし、なんなら今も君と同じ趣味を嗜んでニヤニヤしている。でもね、その趣味はいずれちゃんと卒業するんだよ、こんな大人になっちゃだめだよ、いいね…
気を取り直して。神戸線、宝塚線、京都線にそれぞれ設定されている発車メロディ、ご存知の方も多いかと思われますが、最終電車発車時のみ鬼のロングトーンになります。僕が実際に録音したものをお聞きください。
画像は関係ありません。貼り付けられる動画が1分までっぽいので切れてますがざっと1分20秒ぐらい鳴り続けています。阪急の配慮が伺えますね。
想像してみてください。これを録音するためだけに、土曜の練習後に急いで梅田に向かい、酒臭いニーチャンネーチャンを横目に素面で一人ホームに突っ立ち何故か車掌に憐れみの目を向けられ、挙げ句最終0:46の高槻市駅に放り出され車で帰る私を…
今回乗るのはこれ。1号線(阪急では○番線ではなく○号線と呼ぶ)に停まっているのは9300系。まじでイケメン。僕が女なら好きになってる。前パンが嫌いな人なんていないんですよ。
※前パン:先頭にパンタグラフ(集電装置)が設置された車両のこと
機器類を上品に隠す飾り屋根とテッカテカな外装。最低5日に1度洗車を行うため、50年選手の車両も新車同様の輝きを放ちます。
この色、阪急マルーンと呼ばれるもので、1910年から変わっていません。
阪急の車体側面を画像検索すると、ピカピカ過ぎて大体撮影者が写り込んでしまっています。阪急の塗装へのこだわりは凄まじく、一時期、経費削減のため銀色の車体に茶の帯を巻く計画を発表したところ利用者と株主からの猛反対を受け撤回となったこともあります。
そもそも列車の塗装の本来の役割は錆止めであり、アルミやステンレス製の車体が台頭する現代ではなくても良いものなのですが、伝統とブランドを大切にする阪急は執念深く塗り続けています。
木目調の内装と触りたくなるシート生地(画像は5300系) アンゴラ山羊の毛を使用
ここでご報告なのですが
もう1000字あまり書いているのにまだ梅田から動いてすらいません。
程よいテンポで行きましょう。
@中津駅
さて、発車してからはじめに気になるのが中津駅。京都線にのみ存在しない、よくわからない立ち位置の駅です。神宝線ユーザーは通過する場面をご存知だと思いますが、京都線ユーザーは認識すらしていないのではないでしょうか。それにしてもなぜ、京都線にだけホームがないのか。
理由はシンプルで、
狭すぎるからです。
最後に開通した(理由は後述)京都線にホームを作る用地すらありませんでした。もうホームの端に至っては
このくらい狭いです。
当然エレベーターなど設置できるわけもなく、車椅子ユーザー門前払いのバリアフルな駅となっています。
@十三駅
3路線が集うターミナル駅である十三、バンド界隈には某偶数スタジオでお世話になっている方も多いと思われます。皆さんは、こんなコンビニがあったことを覚えていらっしゃるでしょうか。
実はこれ、既に消滅している
今でこそ駅のホームにあるコンビニは当たり前の存在となっていますが、この「駅構内にあるコンビニ」は、1995年に十三駅にできたのが日本初なんです。阪急の駅構内に展開していた「asnas(アズナス)」というコンビニはついに昨年全店がローソンへ転換され、過去のものになってしまいました。ときには功労者をしみじみ思い出してあげてください。
阪急は十三を中心に、新大阪、なにわ筋線経由で難波にまで至る狂った路線建設計画を発表している まず淡路の工事終わらせてからやれ
大阪の子どもたちが人生で初めて対峙するであろう理不尽な地名
にしてもこの読み方、一体何なのでしょう。
地名自体の由来は、かつて西成郡の十三条目に位置したから説や淀川の13番目の渡しがあったから説などがありますが、気になる読みに関しては調べても出てきません。識者の方々ご教授願います。
もう一つ見ておきたいのが駅そば。
阪急の主要駅に展開しているこの「若菜そば(阪急そば)」なのですが、実は十三駅の店にのみ
「ポテトそば」
たるメニューが存在します。
別々に食べてもいいのですが、ポテトは蕎麦にぶっ込むことを前提に薄味の設定です。僕はポテトが盛られているのがザルである事に気づかず備え付けの塩を振ってしまいテーブルをウユニ塩湖にしました。皆さんくれぐれも気をつけてください。
ちなみに十三でのみ流れる凝った発車メロディは、くるりの岸田繁が手掛けています。
皆さんそろそろ飽きてきた頃でしょうし、
地名の知識でもつけましょう✨
十三だとか、河原町の先斗町だとか知名度の高いものではなく、多少マニアックなものを箸休めにちょくちょく出題していきます。
柴島
千里線の駅に存在するのでご存知の方も多いでしょう。正解は…?
A.くにじま
@淡路駅
淡路駅周辺連続立体交差化工事 通称:アワジダ・ファミリア
最終的にはこの要塞ができるらしい
高校の古典の授業を少し思い出してみてください。「奈良」にかかる枕詞は「あをによし」でしたね。では、「淡路」にかかる枕詞はなんだったでしょう。
そう。正解。
「信号待つ」ですね。
(「みけむかふ」と答えた方、ググった方、ごめんなさい)
京都線もひどいですが、特に千里線ユーザーは淡路での信号待ちにしばしば殺意を覚えるのではないでしょうか。
この信号待ち、そこそこ本数の多い2路線が平面で交差しているので発生するのは仕方ありません。当然、待たないとぶつかります。これをなんとかするべく、淡路駅では立体交差化(高架化)工事が進められているのですが工事の規模がデカすぎて一向に終わる兆しが見えません。2008年に着工したものの用地の買収に手こずり、2020年度末事業完了予定が2031年度末にまでずれ込んだので、もうしばらく風物詩は楽しめそうです。
淡路駅には乗り場が4つあるが、2~5の番号が振られており、1号線が存在しない。これには京都線のけっこう複雑な歴史が関係しているのですが…
コラム 新京阪鉄道と戦時合併について
※興味のない方は読み飛ばして良いセクションです。
ではでは、興味を持ってくださったそこの貴方のためにまずちょっとインパクトのあることを言うと、
阪急京都線って、
もともと京阪だったんです。
…???
そうなんです。変遷を図で解説しましょう。
時は1921年4月、現在の阪急宝塚線、神戸線の前身である阪神急行電鉄(創業時は箕面有馬電気軌道)とは別に、北大阪電気鉄道という会社が、現在の千里線と京都本線にあたる豊津~淡路~十三間を開業させました。この北大阪電気鉄道はさらに、淡路~天神橋(今の天六)の路線敷設免許も既に取得していました。(鉄道の建設には認可が必要)
一方その頃淀川の対岸では、京阪電気鉄道が2つの問題に悩んでいました。
まず1つは、カーブが多くてスピードを出せないことです(当初は路面電車として開業したため)。今でも京阪特急って東福寺とか八幡の辺とかやる気あんのかってくらい遅いですよね。
そんな京阪は、「淀川の対岸にスピードの出せる新路線を敷きたい」と考えるようになります。
もう一つの悩みは、天満橋を起点とする京阪はどうにかして梅田への進出を進めたいものの、大人の事情で実現がほぼ不可能であることです(詳しくは「市営モンロー主義」でググって下さい)。
梅田進出に手こずった京阪は、大阪側の新しいターミナルを模索します。
京阪が梅田に進出しようとしていた名残として、京阪本線とは離れた環状線桜ノ宮駅付近に「京阪電鉄乗越橋」たる高架橋が現存
そこで京阪が目をつけたのが、先程触れた北大阪電気鉄道が持っている淡路~天神橋間の敷設免許です。
「北大阪電気鉄道を免許もろとも買収して、京都~淡路に線路を敷いて、京都~天神橋の高速路線にすればいいのでは?あわよくば十三から梅田まで乗り入れられるのでは?」
というわけで京阪は、「新京阪鉄道」を子会社として設立、1923年4月には、北大阪電気鉄道を買収、1928年には、京都西院(当時、京都市内では昭和天皇即位大典が行われていたため、郊外に仮駅を設けた)まで、現在の阪急京都線にあたる路線を建設したのでした。
さて、ここでやっと先程の淡路駅1号線が登場します。路線網が広がりましたので、淡路~十三間は「十三線」という支線になります。
このときに“十三線内で折り返す運用のための頭端式ホーム”がかつて存在したのです。これが、今はなき淡路駅1号線になります。
ここを往復する運用のために
この写真の西改札口に1号線ホームが存在した
京阪が威信をかけて建設したこの新京阪線はやはり高規格であり、1927年にデビューしたP-6という車両はいかにも速そうな“超特急”たる種別を名乗り、実際に西院~天神橋間を34分で結んでいました。(参考:現在の特急の河原町~梅田間が42分)
で、この新京阪線がどのようにして阪急のものになったのか。
まず、1930年代の昭和恐慌の影響により、新京阪線は京阪に吸収合併されます。(景気が悪化するまでは、なんと新京阪線を名古屋まで延伸する計画まで存在した。詳しくは後編で)
その後、戦時体制に突入すると、国が軍事目的で鉄道をコントロールするため、半ば無理やり私鉄を買収したり、合併の命令をしたりを繰り返しました(例えば、JR阪和線も、もともと南海の路線だったものを国が買収している)。
京阪もまた例に漏れず、阪神急行電鉄(阪急)と合併、“京阪神急行電鉄”が誕生します。
そしてそして時は過ぎ、終戦を迎えた京阪と阪急は再び経営分離することになるのですが、この際に
阪急がどさくさに紛れて新京阪線を持っていってしまいます。
どさくさ、と言うよりかは、京阪側も当然稼ぎ頭になりうる新京阪線は手放したくなかったのですが、役員の中での勢力の差により路線はあっけなく阪急のものに。新京阪鉄道はそれぞれ阪急京都線、千里線、嵐山線となったのです。
こんな歴史をもつ京都線なので、阪急の中でも宝塚線や神戸線(まとめて“神宝線”系統と呼ばれる)と異なる特徴(車体の幅、施設の名称、中津駅の有無など)を持つようになったのです。
@正雀駅
正雀駅にも1号線が存在しないが、真ん中のホームのない線路が1号線となっている ちなみにその隣はA号線
京都線の車両基地がある正雀。なんと車庫の住所は「摂津市阪急正雀1-2」と、企業名が入る大変珍しい例なんです。
みんなも正雀車庫に年賀状を書いてみましょう!そんな正雀車庫には、日本初のスチールカー600系や、前述の新京阪P-6などが静態、動態保存されています。
皆さん気になっているであろうこの阪急の公式チャンネル、広報目的ののほほんチャンネルではなく、とんでもなくマニアックな情報を提供してくれる上級者向けコンテンツです。阪急マニアでも到底知り得ない情報がわんさか流れてきます。そりゃそうだ公式なんだから。
ちなみにこれは、“7000系と、7000系列に編入された旧2200系を車番掲出位置で見分ける方法”を解説する場面
@摂津市駅
「人間基礎教育のまち」らしい
☆阪急沿線難読地名クイズ
難易度…☆☆☆☆
さてここで、休憩がてらクイズです。先ほどの問題は簡単すぎるとの意見が多数寄せられています(いない)ので、地元民にしか分からないレベルのものを。
味舌
A.ました
現在住所として存在する地名ではありませんが、公園やバス停などに残っています。由来としては、かつて質の良い田んぼのことを「ウマシタ(可美田)」と呼び、その当て字として「味舌」が当てられ、その後発音の省略が生まれ、「マシタ」と読むようになったようです。この手の発音の省略や音便化は難読地名が形成される大きな原因となっています。
バス停に地名が残る 読みはマシタシモらしい マシタシタちゃうんかい
@茨木市駅
茨木市駅の東側ロータリーに降り立つと、目の前にこんなものがそびえ立っています。
この詳細不明のモニュメント、京都の方は気づく方もおられるでしょうか。
「お前、工繊におった???」
そうなんです。京都工芸繊維大にも極端に似通ったオブジェクトが。一体どちらがパクったのか。いざ!実地調査!
まずは茨木の塔の詳細から。
・明日への発展と、永遠の浪漫をテーマに、《虹の塔》を制作しました。(中略)開かれた感性と豊かな情感、そして情熱のほとばしりを表現しました。
・デザイン制作 木村光佑
・1992,3,30
・阪急京都線茨木市駅付近単独立体交差事業完成記念
と、あります。デザイナーであり版画家でもある、その道では知られた木村光佑さんという方(紫綬褒章まで受章されている)が茨木市駅の高架化の際の再開発に伴って作られたようですね。
それでは工繊に行ってみましょう。
れっきとした国立大なのに知名度が低い 自己紹介で「京都工繊出身です!」というと「高専?」と言われ大学出ていないと思われてしまう
見つけた(ニチャァ)
・(前略)大学の塔「時を超えて」は、本学の開学100周年・大学創立50周年を記念して制作された記念碑(モニュメント)である。本学の歴史と伝統を踏まえ、未来への展望・人間愛・心と心の対話・科学と芸術の出会いを主題(テーマ)とし、虹を表現することで、そのむこうにあるだろうと思われる我々の理想の観念(イデア)を求めようと創案した。(後略)
・2000年5月27日
・京都工芸繊維大学長 木村光佑
いや学長やったんかい。
☆阪急沿線おいしいラーメン屋
麺屋 一慶
さて突然始まりました阪急沿線おいしいラーメン屋のコーナー。ここでは阪急京都線で行ける、めちゃくちゃ有名って訳でもないけどかなりおいしいラーメン屋を僕の独断と偏見で紹介して行きます。
@富田駅
富田駅に停車するのは普通のみなのでなかなか気づく機会はありませんが、富田駅はこんな構造をしています。
空撮写真だと分かりづらいので、自宅のプラレールで再現しました。なんか不自然ですよね、線路が3本。
複数の種別が運行されている路線では、よく各駅停車が停まっている間に、その横を優等種別が通過できるよう待避線が設けられています。富田駅には、この待避線が京都方面の上り線にしか設置されていません。なぜでしょう。
これには、お隣の高槻市駅が関係しています。高槻市駅も昔は地面にあった訳で、当然上下線ともに待避線が存在していました。
高架化前の高槻市駅(イメージ)
この駅を高架化することになった際、工事用の土地を確保するために、上り線をどうしても一本削らなくてはいけませんでした。
上り線の用地を使い高架化工事を行う高槻市駅(イメージ)
その代わりに阪急は、高架化工事が完了するまでの暫定的な措置として、隣の富田駅に臨時の待避線と仮ホームを作ったのでした。
富田駅で列車の待避が行われる様子(イメージ)
…そして、高架駅が完成して29年が経った今日に至るまで何故か仮ホームが使われ続けています。
臨時のはずだったこの仮ホームは、今もなお平日ラッシュ時に一日計4本の列車待避が行われておりバリバリ現役な上、富田駅の高架化の話も自治体による構想が存在するのみで全く進んでおらず、この仮ホームは少なくともあと30年くらいこき使われることになるでしょう。
工事が完了してもなお仮ホームを使い続けている様子(イメージ)
☆阪急沿線難読地名クイズ
難易度…☆☆☆☆☆
五百住
A.よすみ
…いや何を間違っても「よ」ではないやろ、「ご」やろ、せめて
とはいえ、もともとの発音が「イオスミ」であったといえば納得できなくもないでしょう。
「昔、安閑天皇から屯倉のために水田を差し出すように求められた地元の郡司が、ウソをついてこれを拒んだため、罰として郡司の職を解かれた。そこで郡司は春と秋に五百人の労働者を差し出すので、子孫まで罰しないで欲しいと願い出た。」(大阪 知名の由来を歩く 若一光司 ベスト新書)
その「五百人が住んでいた場所」が、五百住(イオスミ)と呼ばれるようになったのです。
@高槻市駅
さてここで、沿線のおいしいラーメン屋の紹介コーナーです。
☆阪急沿線おいしいラーメン屋
「くそオヤジ最後のひとふり」
ふざけた名前のラーメン屋あるある:おいしい
先程は、言わば塩ラーメンの究極を紹介した訳ですが、今回いただくのは
貝だし醤油です。
出汁を取るのに使われた貝たちの亡骸が人柱よろしく貝柱にされている 嘘です
高槻市駅北口を出てすぐにあるのがここ。
ラーメンのメニューはあさり、しじみ、はまぐりの3種類。僕は一度目に訪れた際はしじみラーメンを注文しました。
メンマがもはや筍の形をしているラーメン屋あるある:おいしい
上品すぎる味。塩味ではない、明確な貝の旨味を堪能することができます。場違いに見えるレアチャーシューによって初めてここがラーメン屋であることを思い出します。
何より良いのが右側の貝めし。炊き込みご飯ですよ炊き込みご飯!!こちらもかなり優しい味なのでラーメンをすする前に一口食べてみて下さい。泣きます。注文時に大葉つけますか?と聞かれますが食べたらアレルギーで鼻血が止まらなくなるとかでない限りつけるべきです。めちゃくちゃいい仕事します。
二度目の来店で注文したのははまぐりラーメン。
なんかスープの色が濃いので、醤油辛いのかなと思い食べてみると
旨味に全振りだった。旨味の暴力。ハマグリに殴られる。眉間を5針縫う大怪我。
府警さーん、この店、店内で暴力が横行してます、どうにかしてください。
このスープの何がすごいって、店出てからも30分程度マスクの中にハマグリが2個ぐらいまだあるんですよね。次はあさりに挑戦してみようと思います。
さてさて、このへんでようやく京都線の営業路線距離45.3kmのちょうど半分あたりですね。ここまで読み進めてくれた人が果たして何人いるのか。誰も興味なくとも後編をぼちぼち書き始めることとしましょう。お楽しみに!