WHOOP HOOPの話その20 トクダ
さて、今日から更新のスムルース創世記もいよいよ最終章です。
スムルースで一番売れた曲は「冬色ガール」なんですね。
この曲が生まれてから、まわりにいろんな大人の人たちが増えました。
何かが始まろうとしているのは、すぐに予感できましたね。
この少し前ぐらいから東京にライブしに行くようにもなり、
成長期で例えると「声変わり」をして毛が生えだすころのような
急にスムルースがプロっぽくなっていくころでもありました。
![$スムルース オフィシャルブログ Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/00/thmlues/f4/87/j/t02200165_0640048011770951431.jpg?caw=800)
(はじめての原宿にて。この若者たちに投資しようという人がいるわけですから、良い曲さえ作れば誰でもチャンスはいただけるということがわかります)
しかし、このころと言うのは、
アルバイトもほとんどできず、かといって音楽での収入もほとんどないので
とても貧乏でした。
月末はマヨネーズをなめながら過ごしましたよ。
深夜、近くのケーキ屋さんがたまに大量のシュークリームを捨てるときがあるので
それを拾いに行って持って帰って食べたりもしていました。
試食ツアーも良かったです。
近くのパン屋さんを5,6軒まわると試食で少しは腹もちするものです。
よく、食と健康は密接な関係があると言われますが、
それは、本当に本当のことだと思います。
このころは原因不明の腹痛や熱がやたらと出ましたからね。
水道が止まる経験まではしたことないのですが、
ガス、電気はすぐとまりました。
夜、真っ暗な部屋の中に、
玄関の覗き穴からもれる一筋の(廊下の)光がとても神々しく思えたものです。
でも、前回の記事と同じで、
こういう環境の中でも、それが当たり前だったものですから、
つらさやみじめさは一切感じてないんですね。
普通は「今に見てろ」とか「見返してやる」とか
そういうハングリーな気持ちがわいてきそうなものなのですが、
なんなのでしょうか、
廃棄処分されたシュークリームやドーナツも十分うまいし、ラッキー
と思っていたという記憶ぐらいしか出てきませんね…。
この15年間、ボクをよく知る人たちは、
ボクを「アホぼん」扱いする傾向がありますが、
たぶん、それはこの辺りが原因なんだろうなと思いました。
しかし、そういうことにきちんと気がつけば、ボクだって腹立ちますよ。
チキショー、さんざんアホぼん扱いしやがって、バカヤロウめが。
…はい。
吐き出して元気になりました。
![$スムルース オフィシャルブログ Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/01/thmlues/36/f8/j/t02200220_0800080011771032927.jpg?caw=800)
(パン屋さんで働いていた友人が持ってきてくれたパンに囲まれて。「ワシのパン。キミのパン」と書かれた謎の札を持っているのは、コイチャンだと思われます)
で、なんの話でしたっけ。
そう、そう、「冬色ガール」の話です。
これを作ったのは確か真夏でしたね。
アルバムのリリースが冬と決まっているものですから、
今でもそうですが、冬の曲は夏に作ることが多いものです。
確かボクの記憶では、座っているだけでも汗が噴き出すような真夏のある日、
実家から荷物が届いたんですね。
中を開けたらいろんな食べ物と1万円札が入ってまして
これは一気に心の余裕がうまれるもんです。
で、電気代を気にせずクーラーをキンキンに冷やしまして、
押入れからクリスマスツリーを出してきまして、
とにかく、部屋を冬っぽくして制作に取りかかったということを
こうして話しているうちに思い出しました。
そこから名曲「冬色ガール」が生まれてくるのですが…
続きはまた次回に。
スムルースで一番売れた曲は「冬色ガール」なんですね。
この曲が生まれてから、まわりにいろんな大人の人たちが増えました。
何かが始まろうとしているのは、すぐに予感できましたね。
この少し前ぐらいから東京にライブしに行くようにもなり、
成長期で例えると「声変わり」をして毛が生えだすころのような
急にスムルースがプロっぽくなっていくころでもありました。
![$スムルース オフィシャルブログ Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/00/thmlues/f4/87/j/t02200165_0640048011770951431.jpg?caw=800)
(はじめての原宿にて。この若者たちに投資しようという人がいるわけですから、良い曲さえ作れば誰でもチャンスはいただけるということがわかります)
しかし、このころと言うのは、
アルバイトもほとんどできず、かといって音楽での収入もほとんどないので
とても貧乏でした。
月末はマヨネーズをなめながら過ごしましたよ。
深夜、近くのケーキ屋さんがたまに大量のシュークリームを捨てるときがあるので
それを拾いに行って持って帰って食べたりもしていました。
試食ツアーも良かったです。
近くのパン屋さんを5,6軒まわると試食で少しは腹もちするものです。
よく、食と健康は密接な関係があると言われますが、
それは、本当に本当のことだと思います。
このころは原因不明の腹痛や熱がやたらと出ましたからね。
水道が止まる経験まではしたことないのですが、
ガス、電気はすぐとまりました。
夜、真っ暗な部屋の中に、
玄関の覗き穴からもれる一筋の(廊下の)光がとても神々しく思えたものです。
でも、前回の記事と同じで、
こういう環境の中でも、それが当たり前だったものですから、
つらさやみじめさは一切感じてないんですね。
普通は「今に見てろ」とか「見返してやる」とか
そういうハングリーな気持ちがわいてきそうなものなのですが、
なんなのでしょうか、
廃棄処分されたシュークリームやドーナツも十分うまいし、ラッキー
と思っていたという記憶ぐらいしか出てきませんね…。
この15年間、ボクをよく知る人たちは、
ボクを「アホぼん」扱いする傾向がありますが、
たぶん、それはこの辺りが原因なんだろうなと思いました。
しかし、そういうことにきちんと気がつけば、ボクだって腹立ちますよ。
チキショー、さんざんアホぼん扱いしやがって、バカヤロウめが。
…はい。
吐き出して元気になりました。
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(パン屋さんで働いていた友人が持ってきてくれたパンに囲まれて。「ワシのパン。キミのパン」と書かれた謎の札を持っているのは、コイチャンだと思われます)
で、なんの話でしたっけ。
そう、そう、「冬色ガール」の話です。
これを作ったのは確か真夏でしたね。
アルバムのリリースが冬と決まっているものですから、
今でもそうですが、冬の曲は夏に作ることが多いものです。
確かボクの記憶では、座っているだけでも汗が噴き出すような真夏のある日、
実家から荷物が届いたんですね。
中を開けたらいろんな食べ物と1万円札が入ってまして
これは一気に心の余裕がうまれるもんです。
で、電気代を気にせずクーラーをキンキンに冷やしまして、
押入れからクリスマスツリーを出してきまして、
とにかく、部屋を冬っぽくして制作に取りかかったということを
こうして話しているうちに思い出しました。
そこから名曲「冬色ガール」が生まれてくるのですが…
続きはまた次回に。