スパゲティと欠けた皿 テツロウ | スムルース オフィシャルブログ Powered by Ameba

スパゲティと欠けた皿 テツロウ

 皿のふちを欠いてしまった。

 昨日の夕食であったミートスパゲティのソースがまだ余っていたので、今日の昼食もミートスパゲティを食べることにした。
 僕はカレーやスパゲティや丼などを自宅で食べるときには必ずあらかじめ食器を温める。それでスパゲティが茹であがるすこし前を見計らい、皿を食器棚から出していつものようにお湯を張ろうとしたのだけれど、ふとその表面を見るとかすかにミートソースの洗い残しがあったので、ティッシュで拭き取ることにした。ところがそうして皿をよくよく見てみると、ソースだけでなくスパゲティのぬめりの残骸みたいなものがあちこちにこびりついていることに気がついた。どうやら昨日の食事に使ったあと、洗うまで長時間放置されていたためそれらが頑固にこびりついてしまい、さっと洗っただけでは落ち切らなかったのを気づかずにそのまま棚に戻してしまったらしい。
 単純に皿を洗い直せばそれで済む話のように思えるけれど、じっさいにはそう簡単にいかない。パスタの茹で加減というのはまさに秒を争う世界であり、もし皿を洗い直しているうちにそのたった一瞬のタイミングを逃してしまったなら、これはもう取り返しのつかぬ事態となってしまうのだ。
 鍋のなかのスパゲティはいままさに茹であがろうとしている。もう猶予はない。
 僕は洗い残しのこびりついた皿を流しに放りこむと、棚から新しい皿を出し、それが綺麗に洗われていることを確認したのちお湯を張って温め、茹であがったスパゲッティを間一髪ぎりぎりで鍋から取り出し、しっかりと水を切ってオリーブオイルを絡め、温まった皿からお湯を捨てて布巾で拭きとり、そこにスパゲティを盛り、別コンロで火にかけていたミートソースをかけ、テーブルに載せて、自分は椅子に座り、残念ながら仕上げにふるバジルは切らしていたけれど、結句、いいともを観ながらおいしくそれを食べた。
 ちなみに、2008年5月30日「ミートスパゲチ食べました」の記事では写真うつりや料理としての完成度のために粉チーズをふったけれど、本来は僕は粉チーズはふらない。さらにちなみに、今回のミートソースは僕ではなく、母の手による(⇒2008年5月29日「ミートソースを作りました」)。

 さて、食事をしたならばそのあとに洗い物を片付けるという家事が待っているのは当然のことであり、しかもほかに誰もいない自宅でひとり食べた昼食の後始末を自分以外のいったい誰がやってくれるのかという問いに対するその答えは明らかであるので、あわよくばこのまま放置しておけばひょっとして夕食後にまとめて誰かが洗ってくれるのではないかという淡い期待と誘惑に心を奪われそうになりながらも、僕は観念して鍋やら食器やらを洗うことにした。
 ところがそのとき事件が起こった。例の洗い残しのある皿に取りかかってまもなく、思った以上に頑固なその汚れについ力が入りすぎてしまったのか、皿が僕の手からつるりとすべり落ちた。その下には今日使用したもう一枚の皿があり、はたして、二枚の皿は大きな音をたててぶつかり合った。

 かくて、皿は欠けた。
 欠けたのは一枚だけで、もう一枚は無傷であったのがせめてもの救いではあるけれど、猫の柄の入ったこの皿は母のお気に入りに違いない。
 ああ、取り返しのつかぬ事をしてしまった。この事態に比べたらパスタの茹で加減など、どう取り返しがつかぬというのか。あのとき新しい皿を出さずに汚れた皿を洗い直していれば、たとえ僕が手をすべらすことがあったとしても二枚の皿がぶつかり合うことはなかったのだ。スパゲティなど、のびたいだけのびさせておけばよかったのだ。小学校時代、給食で出されるあののびきってぶよぶよのスパゲティを、はじめはなにひとつ疑いもせず「おいしい、おいしい」と食べていたのは僕ではないか。それが「ミスター味っ子」でアルデンテというものを知って以来、その純粋な心を失ってしまったのだ。
 僕は馬鹿だ。愚かだ。浅はかだ。
 ごめんなさい、母上。
 ごめんなさい、皿上。
 一番悪いのは「ミスター味っ子」です。

 というわけなのです、お母さん。いま台所に置いてある欠けた皿の物語です。直接に言うのはつらいので、どうかつぎに僕と会うまえにこの記事を読んで事態を把握しておいてください。