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こんにちは、新境地。改めてよろしく、好きなもの。

人生迷子に陥った三十路手前!!悩みに悩んだ末にたどり着いた”やりたいこと”を目指してがんばる人の備忘録です

 

自分の好きとは何か

 

会社って…と、本当疑問が多かった。 

 

一族みんなその職業。

亡き祖母にも「貴方はおじいさんみたいになるのよ」と言われていた。

子どもの頃からその職業にかかわる、所謂”英才教育”を父から受けていたし

私も「そうなる」と思っていたし

「夢」だったし

「好き」でもあった。

 

そして「好き」が何か、非常に考えるようになった。

 

「好き」って何だろうか。

 

そして「好き」を仕事にするとは何なのか。

 

 

うんざりした「夢の業界」

 

昔から絵を描くのは大好きでした。

子どもの頃から、漫画も見よう見まねで描いていましたし、画材も持っていました。

しかし、夢は「技術者」でした。

 

高校はプログラミングを学ぶ学科へ。バイトしながら学費を賄い、卒業後は整備学校に4年。

車が大好きでした。同性がいなかったけど、割と楽しかったです。

 

”今の私になるまでは”

 

 

スキルをあげたいからとかで辞めたわけでは無い、卒業後に入った1社目。

本当は開発をやりたかったが就職の関係で整備士になった。

しかし1年足らずで適応障害

 

2社目、夢の開発業。しかし先に身体が壊れた。

杖付のヘルニアに、胃腸炎、視力低下、眼精疲労。

毎日凝り過ぎたデータ解析資料を作って毎日トライ&エラーのよく分からない仕事。

何の因果か、事務仕事の部署に異動。

新人教育と体制見直しに力を入れる、入社して3年が経った春だった。

 

しかし身体は壊れ続ける。

以前よりあった不眠、食欲不振に悩まされ続けた。

経歴4年、休職して1年=会社在籍5年。

昨年の夏の終わり、旦那が病院に連れてってくれた。

中等度うつ解離性障害

 

 

先輩や同僚が去りやすい、この会社。とても人の出入りが激しかった。

先月入社かと思ったら違う部署、退職も珍しくは無かった。

 

でも不思議でしょうがなかった。

 

先輩は愚痴を言っていたし、同僚も仕方ない、みたいな感じで仕事してた。

 

でも垣間見える”闇”が気になった。

 

あるとき、改善案出しても白紙にされる上司が嫌になった。

理由は「この案は部長決済だから、別の方法を」と突っ返された。

「どうしてですか?」と聞くとだんまりする上司。

次々と改善案を出したが、すべて最終的には白紙。

しまいには「若手が口を出すな、命令だ」と言われる。

 

段々と見える”闇”。会社って…と考えるようになったのは入社して2年がたつ頃。

とてもモチベーション維持にはならない。

 

杖付に、疲れやすく、異常が増えた身体。

 

「いつか、立派に技術者を」と思っていたが、毎日あるのは資料作成と改善案の提出の仕事。

毎日、何かあるたびに資料、資料、資料、資料。

 

よく相談しあっていた後輩が辞めることになった。

馬鹿真面目にやってると馬鹿をみるんですよ、この会社」と言い残して去った。

 

そして謎の異動後に、起こる「新人イビリ」に、急に始まるいい歳したおじさんたちの喧嘩。

 

ウンザリした。

私は何をされているのか。

私は

何を目標に、何を夢に、やっていたのか分からなくなった。

 

 

おじさんとの思い出から思い出す、「好きな事」

 

 

昨年の夏の終わり、旦那が病院に連れてってくれた。

中等度うつ解離性障害

 

2か月の休息を言い渡された。無心だった。

トイレ以外、ベッドから降りずにただじっと…寝ていた…

処方された薬を飲んで、ひたすら寝ていた。こんなにも寝たのはいつぶりだろうみたいな。

 

3か月目もひたすらじっと、寝ていた。

4ヶ月目、入社してから親しくしてくれていた、前職場のおじさんが急逝した。

前日の夕方、連絡を取り合っていたというのに。

ショックが大きく、コロナもあり葬儀には行けなかった。

 

そのショックからか、毎日、おじさんの言った言葉や出来事が次々と出てきた。

「やさしさ!」(テープの端を折っておく)

おじさんは、”好きなもの”をきちんと、”ずっと”好きだった。

アニメに戦車、薪割り、フチ子さん、時計…何でも知っていてなんでも拾ってくる。

捨てられていた長い定規、腕時計の本体、カレンダー…何でも私に渡してきた。

「いらないです」と毎回突っ返して、「え~~?使えない?」と毎日なにかしら出てくる。

 

そんなおじさんとの思い出から、”好きなもの”が一体自分は何だったのか、改めて考え始めた。

 

 

目に留まったのは卒業アルバム、卒業文集、何故か残っている小~中学時代の年賀状の束、

そして自分のイラストの紙の山だった。

 

 

 

長くなったので続く…

 

STEP.2開業届と屋号と私~補助金ってあるの???

 

 

 

朝からぐらりぐらりと開業に向けて、来月のWebデザインスクール入学に向けて色々考えてました。

まさしくぐらりぐらり、頭ぐわんぐわんとしていました。

 

 

開業についてはともかく、せっかくなら自治体や県の「補助金や助成金相談窓口」を利用したいものです…と考えた私。

 

なにせ本格的にデザイナーとして、地方創生を目指し動くんだったら…PC買い替えたり仕事のための自宅の改築も考えています。

 

使える事業は使っていくスタイルってワケです(新築の際もあの手この手でやりましたね…)

 

 

とりあえず先日のマイナンバー6桁を再設定しに出張所へ行くがてら聞きに行きました!!!

 

まぁ…あの田舎の出張所なので小さい窓口なのですが、電話で担当部署さんにつなげてくれました。

 

 

しかしながら、市には開業に関する補助金等は無いという回答。

 

ベンチャーボロ泣きやないですか…!!!?????

(路面電車作ってる場合やないわ)

 

代わりに中小企業診断士さんがいる相談窓口を紹介してくれました。

 

ベンチャーズ…

よろず…

銀行に創業サポート窓口…

 

チャレンジャーを応援する街!!!!!!と謳ってるのに!!

チャレンジしようとしてるのに!!!

 

 

思わず血の涙を流す

 

 

グゥ・・・グゥウウウウウ…(大汗)って感じで

出張所から自宅に帰りPCを前に調べつつ…

唸りながらとりあえずベンチャーズさんに相談のメールを入れ、

銀行(住宅ローン融資してくれた地元銀行)さんの窓口を予約。

 

 

ついでに開業届は…

マイナンバーの暗証番号を再設定すると使えるようになるのは翌日と言われましたので今日は不可!!!!!!!

 

とりあえず…まぁ…えっと…

ポートフォリオでも…作ろうかな!!!!!(大汗)

 

 

 

大丈夫か???????

無事に開業届を出せるのか!!!!!

 

 

あ!!

Twitterのアイコンとヘッダーと名前変えました!!

これが代表です!!!恥ずかし!!!!!

写真下手すぎて大泣きしました…

いつかちゃんと撮ってもらいたい…

 

STEP.1開業届と屋号と私 ①

 

 

 

 

さて、8月も終盤、前回の通り、私は7月からひょんなことからWebデザインを学ぶ機会を得まして。

 

8月の1か月間無料講座を受けました(あと一個残ってはいるけども)

 

先日、スクールの方とzoom面談をし、引き続き2か月目以降もお世話になることを決めました

(33万円~~~~~~~~~~!!!)

 

そしてフリーランス(個人事業主)として活動するので

 

開業届を出します

出さないといけません、ぶたれます

 

そして結構悩んでいたのが「屋号」です

あの屋号とか個人事業主だし別に絶対的に必要ではないんですよ正直

でもあったほうがインパクトあるかなっていう漠然としたもので…

 

今現在(仮)で「国内博覧会保存研究所」という堅苦しい名前を冠しています

 

正直堅苦しいです、凄く、だって漢字しか無いし…

 

というわけでちょっと前から屋号を考えていましたがしびれを切らした沖野

 

昔会社持ちしていたオトンに聞きました…

 

私「ね~~~屋号考えてほぢな~~~」

父「俺が付けるとセンスないんだよな~」

私「それは思ってた~~~ダサそう~~~」

 

などとギャグをかましていましたが、オトン、割と真剣だった…

 

父「ルミエールサウンドとか昔作ったな」

(※ルミエール=フランス語で光)

 

私「ダサ…じゃなくてフランス語はいいわ、イタリア語とか良いな~~」

 

と、いろいろ模索しているなかで私は何か面白けりゃいいや~~~!!くらいで思っていた…

 

 

 

 

出てきました

 

 

Boffo Creation

 

 

ブォッフォ クリエイションという屋号が!!!!!!!

 

 

イタリア語で面白い(ウケるーw)という意味のBoffo

創作を意味するCreationを掛け合わせましたとさ…

 

 

最初はDesignとか国内の博覧会を保存研究するのでLocal Expoとか出ましたけどなんだか長くなってもげそう()だったので…

いやDesignとかみんな使ってるし無難すぎて面白くないかも…とか考えちゃったりしたので…

(そういうところは謎にこだわりが出てしまう性分)

 

 

というわけで屋号が決まりました

 

次は開業届…スクールでおすすめしていたfreeeで出そうかなと思い進めていましたが

 

 

 

なんとですね

 

 

 

マイナンバーの6桁パスワードが分からんという面白いことが起きました

(4桁は出てきたんですけど)

 

 

さてどうする沖野、どうしよう!!!!!!

 

 

とりあえず、出張所に行こう!!!!!(大汗)

 

 

 

人生迷子になったのはいつからだか。

 

好きなもの、車とバイクとレトロ。

目指していたのは、技術者。

 

車の開発者になりたかった。

でも身体がぶっ壊れ続けた。ヘルニア、胃腸炎、視力低下。仲間が辞めていくのも見ていられなかった。

違う場所へ事務をやった。PCはもともとできるほう。しかし待ち受けていたのは新人いびり。

 

「何をしたかったんだろう」と考えてから

 

殻に籠ってしまった。

 

「好きなものは何だっけ」

 

「何のためにしたかったんだっけ」

 

「私はなんだっけ」

 

と思ってたらメンタルが崩壊しました。

 

約1年、考え続けた。最初はやる気ゼロ。もはやベッドから出ない。

3か月くらい過ぎたころ、職場の仲が良かった人が急に亡くなった。お世話になった人だった故、ショックが大きく…

半年くらい過ぎたころ、やっと何がしたいのか、何をするべきか、今後…「仕事」をどうするのか、考え始めた。

車は見たくない。乗りたくない。あんなに好きだったのに。

 

 

そうだ、自分を見返そうと思って見始めたのは卒業アルバム。

見返して、見返して、本棚の奥にそっとあったらくがきの紙の束を見つける。

 

「卒業アルバム、小学校中学校は観光…」小さく技術者と書いてあった。

大量に見つかったらくがきやPCの中にあった10年以上前のイラスト。

 

そして本棚のど真ん中に置かれていた、大事にしていた3冊の本がある。

「太陽の塔からのメッセージ」

「愛・地球博の記録」

「’85つくば 芙蓉ロボットシアター出展の記録」

 

これは…と色々思い出した。

 

 

そうか…忘れていたけど、絵が描けたんだ。

忘れてたけど、旅行とか、観光、好きだった。

忘れてた、小学生の頃から博覧会が大好きだったこと。

 

忘れていた記憶を頼りに、イラストを描き始める。

眠っていた15年前の板タブ。忘れられていたソフト。年季の入ったシャーペン、そして新たな紙に描いていく。

 

 

 

 

思いつく限りの好きなキャラクターたちを描いていく。

SNSにも投稿し始める。ぽつぽつといいねが増えていく。

 

 

忘れていた「創作」の世界がまた、開かれた。

 

同時期に博覧会の資料を集め始める。

オークションで100円だった銅板レリーフを落札したのをきっかけにどんどん集まっていった。

忘れ去られた地元の地方博覧会。譲り受けた資料やグッズに目を通し、「こんなに凄いイベントだったのか」と感心した。

 

 

これを観光資源に出来ないかな、と思った矢先に思いついたのが

 

「地方創生」

 

調べていくうちに出てきたのが「Webデザイン」

 

これらを組み合わせて…仕事にしたらどうか?

うまくいくか分からない。ただコロナで景気の谷にいた地元を見てきた。自分も谷にいた。

 

とりあえず始めたクラウドワークスにココナラ。

名刺入力作業から始まり画像編集、イラスト練習、少しずつ。

少しずつ、見えてきたかもしれない。

 

まるで今まで蓋をしていたものを一気に解放したかのように、うまくいくか不安だけど、一人の挑戦だけど

やってみる価値はある。

 

 

7月。クラウドワークスで引き受けた数10円のWebデザイン講座のモニター。

8月。無料体験レッスン、1か月。SNSで活動を発信するようになる。半分が過ぎた。

 

   

 

三十路手前、28歳になったばかり。

生きがいを探して新境地に降り立った瞬間だった。