自分の好きとは何か
会社って…と、本当疑問が多かった。
一族みんなその職業。
亡き祖母にも「貴方はおじいさんみたいになるのよ」と言われていた。
子どもの頃からその職業にかかわる、所謂”英才教育”を父から受けていたし
私も「そうなる」と思っていたし
「夢」だったし
「好き」でもあった。
そして「好き」が何か、非常に考えるようになった。
「好き」って何だろうか。
そして「好き」を仕事にするとは何なのか。
うんざりした「夢の業界」
昔から絵を描くのは大好きでした。
子どもの頃から、漫画も見よう見まねで描いていましたし、画材も持っていました。
しかし、夢は「技術者」でした。
高校はプログラミングを学ぶ学科へ。バイトしながら学費を賄い、卒業後は整備学校に4年。
車が大好きでした。同性がいなかったけど、割と楽しかったです。
”今の私になるまでは”。
スキルをあげたいからとかで辞めたわけでは無い、卒業後に入った1社目。
本当は開発をやりたかったが就職の関係で整備士になった。
しかし1年足らずで適応障害。
2社目、夢の開発業。しかし先に身体が壊れた。
杖付のヘルニアに、胃腸炎、視力低下、眼精疲労。
毎日凝り過ぎたデータ解析資料を作って毎日トライ&エラーのよく分からない仕事。
何の因果か、事務仕事の部署に異動。
新人教育と体制見直しに力を入れる、入社して3年が経った春だった。
しかし身体は壊れ続ける。
以前よりあった不眠、食欲不振に悩まされ続けた。
経歴4年、休職して1年=会社在籍5年。
昨年の夏の終わり、旦那が病院に連れてってくれた。
中等度うつ。解離性障害。
先輩や同僚が去りやすい、この会社。とても人の出入りが激しかった。
先月入社かと思ったら違う部署、退職も珍しくは無かった。
でも不思議でしょうがなかった。
先輩は愚痴を言っていたし、同僚も仕方ない、みたいな感じで仕事してた。
でも垣間見える”闇”が気になった。
あるとき、改善案出しても白紙にされる上司が嫌になった。
理由は「この案は部長決済だから、別の方法を」と突っ返された。
「どうしてですか?」と聞くとだんまりする上司。
次々と改善案を出したが、すべて最終的には白紙。
しまいには「若手が口を出すな、命令だ」と言われる。
段々と見える”闇”。会社って…と考えるようになったのは入社して2年がたつ頃。
とてもモチベーション維持にはならない。
杖付に、疲れやすく、異常が増えた身体。
「いつか、立派に技術者を」と思っていたが、毎日あるのは資料作成と改善案の提出の仕事。
毎日、何かあるたびに資料、資料、資料、資料。
よく相談しあっていた後輩が辞めることになった。
「馬鹿真面目にやってると馬鹿をみるんですよ、この会社」と言い残して去った。
そして謎の異動後に、起こる「新人イビリ」に、急に始まるいい歳したおじさんたちの喧嘩。
ウンザリした。
私は何をされているのか。
私は
何を目標に、何を夢に、やっていたのか分からなくなった。
おじさんとの思い出から思い出す、「好きな事」
昨年の夏の終わり、旦那が病院に連れてってくれた。
中等度うつ。解離性障害。
2か月の休息を言い渡された。無心だった。
トイレ以外、ベッドから降りずにただじっと…寝ていた…
処方された薬を飲んで、ひたすら寝ていた。こんなにも寝たのはいつぶりだろうみたいな。
3か月目もひたすらじっと、寝ていた。
4ヶ月目、入社してから親しくしてくれていた、前職場のおじさんが急逝した。
前日の夕方、連絡を取り合っていたというのに。
ショックが大きく、コロナもあり葬儀には行けなかった。
そのショックからか、毎日、おじさんの言った言葉や出来事が次々と出てきた。
「やさしさ!」(テープの端を折っておく)
おじさんは、”好きなもの”をきちんと、”ずっと”好きだった。
アニメに戦車、薪割り、フチ子さん、時計…何でも知っていてなんでも拾ってくる。
捨てられていた長い定規、腕時計の本体、カレンダー…何でも私に渡してきた。
「いらないです」と毎回突っ返して、「え~~?使えない?」と毎日なにかしら出てくる。
そんなおじさんとの思い出から、”好きなもの”が一体自分は何だったのか、改めて考え始めた。
目に留まったのは卒業アルバム、卒業文集、何故か残っている小~中学時代の年賀状の束、
そして自分のイラストの紙の山だった。
長くなったので続く…











