今日街中を歩いていたら、40歳くらぃの女性の外国の方が、通りすがりのおじさまに英語で話していました。


通り過ぎる時にちょっと話の内容を聞いてみると

どうやらその方はビックカメラに行きたかったようで。

「ビックカメラ」だけ聞きとれたのでたぶんそうなんだと思います。


そしておじさまはそれに答えていました。日本語で。

ビックカメラ、あっち

みたぃな感じで、その方向を指さして。



すると、その近くを若い外国の方が通り過ぎて行きました。スーツを着た若い男性でした。



それだけです。



だからどぅということでもないんですが。




ただ、おじさまが英語の会話に苦戦していたようだったので、その男性助けてあげれば良かったのになと思ったのです。


もしくは、女性の方がその男性に話しかければいぃのになと。




本人が良ければそれでいぃのですが、なにかこう、その一瞬の風景が矛盾しているように見えて


今日一番の印象に残っています。



そんなこと思い出してる時にふと思い出した言葉が


『傍観者』です。


ゆずの曲でもありましたね♪



こなぃだ「アンビリバボー」でやってました。

人は、誰かが困っている時、その時の目撃者が多ければ多いほど傍観者になりがちみたぃです。


私は、できる限り傍観者にならないように心がけてはいますが、

それでも、大勢の人たちの中で、困っている人に手を差し伸べるのってとても勇気がいることですよね。

実家に帰省していた時のこと。

運よく席に座れた私の前を、お子さん連れのお母さんが通り過ぎて行きました。

その時はすでに車両内は満員で、座る場所がありませんでした。

そして乗っているお客さんはみんな、その人の存在に気付いていました。

そんな中で声をかけるのは、とても勇気のいることでした。

そのお母さんは降りるときにお礼を言ってくれました。

私も「いえいえ」と軽く会釈をしました。


やり遂げるとこんなに気持ちいい事なのに


それをやるまでにどうしてこんなに勇気が必要なんでしょうかね。


あるいはそれは、勇気とは全く違うものなのかもしれません。

もしそうだとしたら、私にはその存在は確認できても、それが何であるかはまだ分かりません。



きっと心の中では、声をかけようか迷っている人もたくさんいるはずです。


本来なら迷う必要のないことのはずなんですけどね。

その"何か"が邪魔をします。



それは決して悪いことではないと思います。

でも、「その"何か"があるから仕方ない」んじゃなく、その存在を認めたうえで、自分にできる事を改めて考え直してみるのも大切な事なんだなって思いました。



なんかめっちゃ偉そうなこと書いてる気がしますが。。。


誰かのひとりごとだと思って聞き流して(読み流して?)くださぃ(笑)





明日も幸せな1日を過ごせますように☆