タカキHDRの三題噺
三題噺とは、落語 の形態の一つで寄席 で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、
そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。
元来、トリを取れるような真打ちだけがやったもので、
客席から3つ「お題」を出してもらい即席で演じた。(フリー百科事典Wikipedia
より)
に挑戦しようと思う。こんな事をやって何になるんだと思う人もいるかもしれない。
ただ、ハードルをあげても、それを飛び越えようとする姿に何かを感じてもらいたい。
できるなら飛び越えられたか、飛び越えてられていないかの判断はあなた達に任せたい。
具体的にはコメントが欲しい。
3つのお題はこれだ
【ボブスレー】 【ひな祭り】 【シャンプー】
男はため息をついた。
毎朝毎朝同じ電車にのる。それも同じ時刻の同じ車両。
そんな、ループするような毎日の唯一の生きる糧は家族の笑顔だった。
ただ、彼の唯一の生きる目的にも、うまくいかない事があった。
男の子しか生まれないのだ。
次は女の子がほしいねという会話を何度したことか。
最初は笑っていられたが、今になっては、それが大きな家族の問題となっていた。
長男がうまれたのが20年前。次男、三男、四男まではギリギリ笑っていられたが、
十二男が生まれサッカーチームが作れる人数を超えてからは夫婦の会話はなくなっていた。
男が最後に妻の声を聞いたのは「女の子を生んで、ひな祭りをしたい」の一言だった。
十二児も育てる家庭に、金銭的な余裕はなく、冷め切った空気の夫婦とは逆に家計は火の車であった。
もう成人になった長男から物心ついた八男までは、よく家庭の環境を理解していた。
そんな家庭状況のなか、シャンプーは2ポンプまでという決まりが暗黙のルールだった。
まだ状況が読み込めない十男が5ポンプしてしまった時、声をあらげた次男の姿を見て、男は涙を流した。
どちらからも会話を求めない夫婦間。ただ、その殺伐とした空間に、怒りという感情を生んだ十男は家庭における子供の役割を果たしただろう。
少子化という名の不毛な流れに図らずとも逆らっている大家庭のなかで、
無垢に育っていく子供たちだけが男の希望の光だった。
そんな毎日を繰り返し、家に帰っていると、普段は子供らしく騒いでいる九男・十男・十一男・十二男が一列になりTVの前で座っている。
何をそんな真剣に見ているのかと覗いてみると「クール・ランニング」を見ていた。
ジャマイカの青年がボブスレーという競技でオリンピックを目指す名作。
最初は4人並んだ子供たちの姿が珍しくなんとなく目をやっていたが、いつの間にやら男はTVにうつる青年たちに心を奪われていた。
TVが終わる。男は何か思い立ったように寝室に向かった。
「おい」
男は明日のパートのため、早くから就寝している妻を起こす。
ここ数年、なにも会話してない夫から自分へと向かう2文字の言葉に妻は戸惑った。
なにも状況が飲み込めない妻を押し倒し、男は性交を始めた。
会話のない数年を埋めるように、その晩二人は何回も求めあった。
翌日、昨日の夜の事がなかったかのように、もとの夫婦に戻っていた。
それが一週間・二週間・一か月・二か月が過ぎたころ。
会社に向かうため玄関で靴を履く男の背中に妻はこう言った。
「つぎも男の子だって」
その言葉を聞き、なにも答えず男はドアを開け会社に向かった。
また、あの同じ時刻の同じ車両の電車に乗る。
そんなループする毎日の始まりだった。