お立ち寄りくださり
有難うございます。
Chieshiです。
心のことオタク
自分探求マニアな私が
学んだこと、セラピスト経験
日常のことを通じて
感じたことや気が付いたことを
綴っていきます。
読んでくださるあなたが
ちょっとでも楽に生きられる
お手伝いが出来たら嬉しいです。
最近、自分はどんな人なのか、について
掘り下げる作業をしていたのですが
やってく中で思い出してしまった。
私って、強い人だった。
強いというのは
単に気が強いとかじゃなくて
生きるための力としなやかさを
合わせもってる、っていう感じ。
これまでの人生の中で
生きる力を培ってきたと思う。
ある時期
すごくお金の苦労をしたり
平日の昼間働いて
休みの日は旦那さんの仕事を手伝ったり。
その他もろもろ大変だったんだけど
そんな中を生き抜いてきたんだよね。
自分、よく頑張ったな~とは
思っていたんだけど。
それなのに、つい最近まで
自分の中に強さがあることは
意識できてなくて、忘れていました。
強さはずっと布で覆われて見えなくて
まるでそれが無いかのように
振舞っていた、って感じ。
なんでそんなことしてたんだ?
と考えてみると
第一に、私達(特に昭和の女性)は
子供の頃から「強い」ことを
あまり善しとされてなかった。
女の子はおとなしく。
女の子はか弱い。
ちょっと前に出ると
「女のくせに」とか言われる。
自分を主張したり意見を言うと
「余計なこと言うんじゃない」と
親から怒られた。
とにかく抑えつけられた気がする。
で、もう自己主張したり前に出ても
いいことないから
言われた通り弱い自分でいようって
方向転換したんだと思う。
そして
自分を「弱い人」に認定した。
大人になって、本当の自分は
強くなっていたにも関わらず
弱い人認定は、貼りついたままで。
私は会社では役員さん達と
関わることが多い仕事なんだけど
ある時、会議中の録音で自分の
声をきいて、はっとした。
いつもなんだか申し訳なさそうに
ちょっとためらいがちな感じで
話していた。
「私、ちょっとよく分からないです」
という体を装っていないといけない、と
勝手に思っていたみたいで
そういう話し方になっていた。
「弱い振り」は
ある時期までは自分を守る術として
有効だった。
自動的な処世術、と言う感じ。
ああ、でももうそれ必要ないじゃん?
誰かに「大人しくしろ」って言われても
「うるせえ」って言える位には
図々しくなってるし。
「弱い人の振り」を続けることで
本当に弱気になって
石橋を叩いて渡る、なんなら
叩いて壊してしまう人生になるとこだった💦
だから、もう弱い振りはやめる!
誰かから押し付けられた弱さは
もういらない。
だって、私達は元々強い存在だから。
私の中にも、どんな人の中にも
自分で立ち上がる力があって
それに気が付けば
弱い人の振りはやめられる。
本当に弱い人は
いないんだと思うよ。
自分の中の強さ、生きる力を
もっと信じよう。
💜最後までお読み頂き有難う
ございました。
今日も小さな幸せを感じる日でありますように
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