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Chieshiです。

 

心のことオタク

自分探求マニアな私が

学んだこと、セラピスト経験

日常のことを通じて

感じたことや気が付いたことを

綴っていきます。

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ドキドキBTSが好き過ぎて別ブログ書いてます

 

 

「なんであの人はこんなことするんだろう?」

「普通はこんなことしないのに」

「だからあの人はダメなのよね」

 

 

誰かを非難してしまう時、

そこにはジャッジが働いています。

 

私は、ジャッジというのは

・判断、評価

・それに基づく非難

そして

・「私が正しい」という自分自身の正義、

だと思っています。

 

 

 

正直に言えば、私も

今でも無意識にジャッジが

沸いてしまうことがあります。

 

 

ただ、以前と違うなと思うのは

ジャッジしている自分に

すぐ気づけるようになったこと。

 

 

 

 

 

以前、弟と話していた時

母のことが話題になりました。

 

母はまあ、ちょっと強烈キャラな

部分があり(^^; 

色々な事情の末

弟家族との同居を辞めて、私の家の近くに

移転したという経緯がありました。

 

 

弟が

「なんでかあちゃんは、

○○さん(近所の母の友人)に

あんなキツい言葉を言うんだろう。」

みたいなことを言いました。

 

昔は私も弟に共感して

「そうだよね~、あり得ないよね~」

なんて言ってました。

 

 

でも、弟のジャッジに気が付き

「まあ、本人同士に信頼関係が

あったんだからいいんじゃない?」

と返しました。

 

そして、心の中で思いました。

 

「なんで弟はいつまでも

母の欠点を責めているのかな?

そんなこともう流せばいいのに

いい年して子供だなあ・・」

 

 

はっ!!

 

 

私は

ジャッジしている弟を

ジャッジしていたのでしたガーン

 

弟が母をジャッジする

母をジャッジする弟を私がジャッジする

弟をジャッジする私を私がジャッジする

=私が私を責める

 

と、ジャッジの逆マトリョーシカ人形を

やってたんですよね〜😅

(伝わたれ〜)

 

 

 

結局ジャッジあるところには

責める人・責められる人という

対立構造しかない・・

と身を以て実感する体験となったわけです。

 

 

おそらく、こういうジャッジって

ほとんどの人が無意識にしてますよね。

それも、全然悪気なく。

 


なぜなら

ジャッジは「私は正しい」という

ところから

生まれてるるからです。

正しい私が、間違った相手を

非難しているのは正しい、

という思考です。

 

 

それはそれですごく分かるし

人間的に見たら共感しかないのですが

 


視点を変えると

実はすごく不毛だったりする。

 

なぜなら、いくら私が正いと思っても

相手は相手で「私が正しい」と

思っているので

 

「正しい」と「正しい」の

ぶつかり合いにしか

ならないんです。

 

 

実は母が弟家族との同居を辞めたのも

これが原因でした…

なんなら、世界で起きている

争いの元も同じです。

 

(いきなりスケールアップしちゃいましたが)

 

 

 

 

 

 

じゃあ、それを止めたいなら

まず自分が

「ジャッジしてること」

に気づくことから始まります。

 

あ、やっちゃった💦って思ったら

「正しい、正しくない」を手放して

 

「あなたの目線からはそう見えるんだね」

「あなたはそう思っているんだね」

「あなたはそう感じるんだね」

 

と、なんの判断もなく、透明に

受け入れる。

 


そうすることで、そこには、

お互いの意見の違いだけが

あるんだ、と分かります。

 

今は考えが違う、ただそれだけ。

 


そこを受け入れると

とてもフラットで穏やかな

気持ちに戻るのです。

 

 

ジャッジの気持ちが沸いたら

「私が正しい」目線になっていないか

ちょっと立ち止まってみてくださいね。

 

 

 

 

💜最後までお読み頂き有難う

ございました。

 

 

 

 

てんびん座今日も小さな幸せを感じる日でありますように

 

 

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