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昨日、スーパーで焼き栗を買いました。
その栗に親切に切れ目が入っていて
むきやすくなっていました。
どこかの誰かが、栗の切れ目を入れてくれて
また誰かが、スーパーまで運んでくれて
誰かが、台に並べてくれて・・
そんなことを考えていたら、
栗を拾う人がいて焼く人がいて・・
栗を焼く機械や、入れる袋や、運ぶトラックも・・
さまざまな人の力で成り立っている。
本当にいろんな人の手でここまで来てそれを食べていると思うと
何とも言えない感謝の気持ちが沸いてきました。
お釈迦様は、
「人は自分の人生を自分で作れると思っているがゆえに悩み苦しむ。
人生は自分の思いで出来上がっているのではない、
自分たちの思い以外の、
神仏や周りの人々のおかげで全部が成り立っている」
と言いました。
この焼き栗のことも、私はどこにも参加していない。
そう考えると、「私の人生に私はどこにも参加していない」
ということになります。
私の思いで私の人生を作っているのではないとしたら
自分にできることは、
「私の人生を成り立たせてくださっている
神、仏、友人、知人、家族」に対して
ひたすら感謝をするしかないということになります。
そこにしか自分の人生に参加する方法がないということになります。
自分の思い以外の、大きな力によって人生が成り立っている。
正観さんが気付かせてくれました。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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ごえんの法則 [ 小林正観 ] |