毎年あげていた
母の日のプレゼントをあげるの、やめました。
理由は、あげたくないからです。
ネガティブ発言しますので
閲覧注意でお願いします。
毎年5月が近づくとそこらじゅうに溢れる
「母の日
ギフトを贈りましょう
」ってやつ・・・
ぶっちゃけますがわたし、
あれをみて憂鬱で仕方なかったんです。
「あー・・・母の日か・・・」
「なんかあげなきゃ・・・・」
「面倒くさい・・・」
「何あげればいいのかな・・・」
「まあ結局あげても一緒だしな・・・・」
「あー・・・・・あげたくない。」
本音を言うならばあげたくなかった。

これまで母にプレゼントは何十回としてきました。
でも、なんか気持ちよくなかったのです。
本来プレゼントは贈った人が気持ちの良いものであるはず。
なのに、母へのプレゼントは
こちらが嬉しい気分になったことがない。
何か、もや〜っとするだけ。
心のことを学ぶに従って
その「もや〜っ」を無視できなくなりました。
純粋に「あげたい」って気持ちはなくて
「あげなきゃ」っていう義務感でしかないな、
って思ったからです。
ちなみにそう思うようになった
「きっかけ」みたいなのはいくつかあります。
これを言うと愚痴みたくなるけど
母が「悪い」と言ってるわけではないです。
何をあげても同じ反応で
その場では喜ぶフリはするけど
後から感想をくれたことはない。
あげたものが後から母が嫌いなものだったと知ったこともあった。
妹のプレゼントに文句言ってるのを見たこともあった。
産後2週間でわたしが外にも出られなかった時に
母の日のプレゼントがなかったからって影で文句を言ってたこともあった。
そういうのが積み重なって
母はプレゼントそのものや
あげたいと思う人の気持ちを
純粋に喜んでくれていると
思えなくなってしまったからです。
相手が喜んでくれないのなら
形式だけの物はあげたくないと思ったからです。

(母の日に息子が初めて書いた「パパ」
)
「母親には感謝しなきゃいけない」
「親孝行しなきゃいけない」
「母親を大事にできない人は幼稚でダサい。」
「だから母の日は何かプレゼントしなくてはならない」
わたしにはそんな思い込みがありました。
だから、この頭の声に従っていました。
(ハピちゃんでいうエゴキンマン、さきこさんでいう低脳ゴッド、かな?)
今までうるさい思考に支配され
本音に反して行動してたので
まずはこいつを黙らせました。
そして、
母の日のプレゼントを止めました。
ドキドキしました。
罪悪感を感じました。
でも解放感も同時に感じました。
そして、思いました。
本当は母を大事にしたいし喜ばせたい。
多分、
このまま形式的に誕生日や母の日のプレゼントとして
喜ぶんだか影で文句言われるんだか分からないような
どうでもいいものをあげ続けたとしても
純粋に何かをしてあげたいと思えなかったと思う。
「親孝行したい時に親はなし」って言葉もあるけど、
娘が幸せに生きていくのが何よりの親孝行なのだから
まずは自分で好きに行動します。
そして何かをしてあげたくなったら、
その時にすればいいなって思います。
今は特に何もあげたくないです。
自己中かもしれないけどそれでもいいです。
わたしが幸せでいます。