コロナ禍の少し前から始まった、母の子宮体がん闘病をきっかけに、私はいろいろな方のブログを読むようになりました。
そのおかげで、偏った自分の考えを母に押し付けることもなく、フラットに考えられたのではないかと思います。
しかし、思い返してみれば、母ががんになる10年以上前から、父はさまざまな命に関わる病気になっていたんですよね。
大腸がん(直腸だったのでストーマに)、肝臓がん(再発2回、再発の2回は陽子線治療)、胃がん(全摘なので、1日5回に食事を分けるよう言われています)、心臓僧帽弁不全症(人工弁に換えたので身体障害1級に)、……なかなかですよね
でも抗がん剤は、なぜか勧められたことがなかったから未知のものでした。
白血球が常に2000台で上がらないからかな?
C型肝炎の治療でインターフェロンが合わず、白血球が2千くらいになってしまい、その後も結局上がらないのです(その後、肝炎はシメプレビルにて完治)
それらの手術や治療の説明に私も同行しましたし、術前には毎回「こうなったら死ぬかも」みたいな説明を聞いてサインをしていました。
「大したことないです、絶対治ります」とは決して言ってもらえない状況でした。
でも、母が元気でどーーんと構えていたので、なぜか死の不安を感じたことがなかったんですよね
何せ、術後すぐ、麻酔から覚めたばかりの父との面会で、「お父さん!これお父さんの切り取った肝臓やで」と肝臓の写真を見せようとする母と、「アホか!今見せなあかんもんちゃうやろ!今笑ったら腹が文字通り痛いんや!痛!💢」と漫才のようなやり取りをする父
また、もし万が一のことがあっても、母より先に逝ける方が父も幸せだと心のどこかで感じていたからかもしれません。
しかし、今回病に倒れたのは母。
臓器を摘出し、術後イレウスの疑いも起きて絶食期間もあり、3週間近く退院できなかった間に、7キロほど痩せた母。
そして、なぜか父も心労で7キロ減
ただでさえ今は胃がないから若い頃より20キロくらい軽いのに……
(余談ですが、その後父が「体重が増えた」と喜んでいたら、心臓人工弁の経年劣化による心原性肺水腫だった)
いかに、父が母に頼っているかわかった出来事でした。
退院後、抗がん剤をすることになっていた母。
抗がん剤に漠然とした恐怖を抱いていて、否定的な感情だけを持っていた私(と叔母)。
薬嫌いの医者嫌いで自分の免疫力を過信し、行き過ぎた自然派寄りの考え方をしていました。
今もサプリは好きで色々飲んでいますけど
もう老人でステージⅣ、進行の速い、予後の悪いタイプのがんだった母に、果たしてそんなものする意味はあるのか、非常に懐疑的でした。
そんなきちんとした知識を持たない私に、闘病ブログを書いている皆さんが、さまざまなことを教えてくださいました。
がんの性質や個人個人の体質によって効くか効かないかは本当に色々であること、無治療で緩和ケアを選んでも苦しみや痛みを感じず死ねるわけではないこと、結局標準治療を信頼のおける医者の元(ここめっちゃ大事)、まずは試すのが良いこと。
母が幸運だったのは、最終的に紆余曲折の末、信頼できる医師とケアマネさんに出会えたことだと思います
こんなどこにも繋がっていないブログですが、たどり着いた方の何かの参考になるかもしれないので、母の闘病についてもまた少しずつ書いていきたいと思います。(今回父のことしか書いてなかった💦)