小澤征爾さん死去 日本を「追い出された」若き才能、世界の巨匠になっても貫いた自己流

2024年2月9日 21時34分
 日本を代表する指揮者で文化勲章受章者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、亡くなった。
  ◇

◆「電話して」気さくに応じてくれたマエストロ

 「坊やピアノを習っているのか。しゃれてるなあ」。ウィーン国立歌劇場の裏手にあった和食店でマエストロは、小学3年生だった記者の長男の頭をなでながらおどけた。そして割り箸入れの紙に番号を書き込み「電話してな」。後日電話すると「リハーサルにきて」と親子ともどもオペラの稽古に招いてくれた。
 
 オペラはチェコの作曲家、ヤナーチェクの「イェヌーファ」。寒村を舞台に男女の愛憎のもつれが招く悲劇を描いた傑作だ。同劇場の音楽監督就任を翌年(2002年)に控えた新演出による演奏で、マエストロにとっても「勝負」がかかっていた。初日、「ブラボー」が延々と続く中、日本人としての誇りに酔いしれた。
 

ボストン交響楽団を指揮する小澤征爾さん=2008年撮影、AP

 ウィーン特派員だった当時行ったインタビューで、表情が険しくなる瞬間があった。「ぼくは若い頃、日本を追い出された。自分から海外に出たわけじゃない」。NHK交響楽団の楽団員と対立して海外に飛び出た。
 
結果としてその行動が世界への扉を開く。
 
 大指揮者のカラヤン、バーンスタイン、ミュンシュ(いずれも故人)。3人を「先生」と呼べる指揮者は他にいない。才能と情熱が融合した魅力的な人柄で気に入られ深い教えを受けた。3巨匠の評価が米国の名門オーケストラ、ボストン交響楽団の音楽監督就任につながったことは間違いない。
 
 ただ本当の師はチェリストで指揮者の故斎藤秀雄氏だった。「斎藤先生はすごく厳しかった」。「日本はクラシック音楽の土台がない。技術で勝負するしかなかった」。厳しい教えは古典から現代楽曲まで自在に操る高度な指揮技術の基礎となった。尊敬する師の名は「サイトウ・キネン・オーケストラ」として残る。

◆音楽史に日本の存在を刻んだ瞬間

 時代の巨匠が毎年指揮台に立つウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登場(02年)したことも、日本の音楽史にとって大きな出来事だった。音楽の聖地に、日本の存在がしっかりと刻み込まれた瞬間ではないか。
 

指揮を終え拍手を浴びる小澤征爾さん=2019年8月、長野県松本市

 

 ニューイヤーで「新年おめでとう」を演奏者が各国語で言うシーンがあった。楽屋で「ドイツ語お上手でした」というと「中国語だ」と叱られた。旧満州生まれにちなんだあいさつだった。マエストロは日本だけではなく東洋人であることを強く意識していたと思う。
 
 晩年は「小澤征爾音楽塾」を主宰し若い音楽家を育てた。「世界中に才能をもった若者がいる。それが日本人だったりするとうれしくてね」。音楽人生の総仕上げは次世代に芸術を託すことだった
 何度も大病に見舞われた後の17年、水戸室内管弦楽団と指揮台にすわりながら「第九」を振った。第3楽章からの登場という異例のコンサート。ベートーベンの魂をゆっくりと味わう至高の芸術が紡ぎ出された。
 
 インタビューの翌日、ウィーンの街中でマエストロに出くわした。「この人は新聞記者さん」と弟子に紹介し「記事、よろしく」。歴史的巨匠でありながら、あくまでカジュアルな自己流を貫いた痛快な音楽人生だった。(富田光)
 

 

ピアニストの江戸京子さん死去、86歳…小沢征爾さんの元妻で若手音楽家の支援に尽力

才能ある若手音楽家の支援に尽くした、ピアニストの江戸京子(えど・きょうこ)さんが1月23日、老衰で死去した。
86歳だった。告別式は近親者で済ませた。

フランス留学を経て欧米で活躍し、ドビュッシーの演奏などで知られた。1985年に若手支援や海外との音楽交流を目的にアリオン音楽財団を設立し、理事長に就任。若手の優れた音楽家に「アリオン賞」を贈って支援したほか、〈東京の夏〉音楽祭を行うなど、幅広く活動した。
 
父は三井不動産会長を務めた江戸英雄さん(97年死去)で、指揮者の小沢征爾さん(88)は元夫

離婚原因=

 

 

天寿を全うされた天命を果たされた~と思います

      謹んでご冥福をお祈り申し上げます

「元旦(門松)は 冥土の旅の 一里塚 

 めでたくもあり めでたくもなし」

  一休宗純(=臨済宗大徳寺派の室町時代の僧侶)=

http://www.zen-essay.com/entry/kadomatsu

    

僕の母の里方も同じ臨済宗

建長寺派~立川市 普済寺http://www.fusaiji.or.jp/

寺の忙しい月は一般と反対に(=二*八月)=寒い*暑い!2月と8月なのです 

~(=その”後の”法事も~)

 

  「有る程の 菊投げ入れよ 棺の中」  (夏目漱石