6月6日死去、81歳。葬儀などの詳細は不明。

 

福島県出身。東京芸大付属高から東京芸大に進学。

1954年全日本学生音楽コンクール高校の部で優勝。

その後留学し、ベルリン芸大を卒業した。

 

ベルリンを拠点にヨーロッパ各地で演奏活動を行い、日本でも多くのオーケストラと共演した。

 

とくにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協演は高い評価を得、国際的ピアニストとしての地位を確立した。

 

日本では、大阪芸大や京都市立芸大などで後進の指導に努めた。

 

生涯、ベルリンを愛し、渡独後は故郷の日本に住居を移すことはなかった。

 

出典「文化的な日々」


写真

 

 

 

 

 

 

 

 

福島県相馬市で生まれる。東京芸術大学付属高校、東京芸術大学に学ぶ。田村 宏、永井 進の各氏に師事。

 

1954年全日本学生音楽コンクール高校の部第1位。

 

'63年東京交響楽団との協演でデビュー。又、東京でデビューリサイタルの後、渡独し、国立ベルリン芸術大学に学びヘルムート・ロロフ氏に師事。

 

'66年ベルリン放送交響楽団と協演しドイツデビューを行ない、その成功によりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協演、ベルリン・フィルハーモニーホールにおけるリサイタルが続き、これらの演奏会はドイツの高名な批評家ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミットに認められ、高い評価を得て国際ピアニストとしての地位を確立した。

 

その後はベルリン・フィル、チェコ・フィルをはじめとする欧州各国のオーケストラとの協演、及び数多くのリサイタル、又、国内でもN響、大阪フィル等すべての主要オーケストラとの協演、会国各地におけるリサイタルを行っている。

 

これまでにゲルト・アルブレヒト、シャル・デュトワ、アラン・フランシス、ツデニェック・コシュラー、朝比奈 隆、外山雄三等第一級の指揮者との協演も数多い。

 

又、室内楽奏者としても意欲的で、'78年にはベルリンフィルの二人の首席奏者トーマス・ブランディス(ヴァイオリン)、オットマール・ボルヴィツキー(チェロ)と共にベルリン・フィルハーモニー・ピアノトリオ(現ベルリンピアノトリオ-'94年からチェロがヴォルフガング・ベッチャーに交代)を結成し、ベルリンフィルハーモニーホールにおけるデビューコンサートの後、共に来日して成功を収めている

 

 

天寿を全うされた&天命を果たされた~と思います

   謹んでご冥福をお祈り申し上げます

 

「元旦(門松)は 冥土の旅の 一里塚 

 めでたくもあり めでたくもなし」

  一休宗純(=臨済宗大徳寺派の室町時代の僧侶)=

http://www.zen-essay.com/entry/kadomatsu

    

僕の母の里方も同じ臨済宗

建長寺派~立川市 普済寺=http://www.fusaiji.or.jp/

 

寺の忙しい月は一般と反対に(=二*八月)

=寒い*暑い!2月と8月なのです 

~(=その”後の”法事も~)

 

  「有る程の 菊投げ入れよ 棺の中」  (夏目漱石)

                     END