前回の日記に書いたようにとても忙しい。


というか忙しいと言うのが好き。笑


そんな中、会計学に続き財政論も切ってしまった俺は


明日のEU法に向け猛勉強・・・といきたいとこですが


小説一冊よんじゃいました。


友達んちにあってまだ読んでなかったらしいけど「いいよ」っていうから


遠慮もせずに借りてきた本。


ジャンプ(佐藤正午・光文社文庫)


まずは恒例のAmazonの作品紹介。


ジャンプ (光文社文庫)/佐藤 正午

¥620
Amazon.co.jp

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内容紹介

つきあって半年になるガールフレンドが、泥酔した自分のためにコンビニへリンゴを買いにいったまま、翌日もその次の日も戻ってこなかった。主人公の会社員三谷は、彼女の姉と協力しながら、消えた恋人の行方を追う。彼女は事件に巻き込まれたのか、「失踪」したのか? 彼女の足跡が少しずつ明らかになり、手がかりをつかむために失踪後の足どりをたどる。それにしても三谷にはなぜ彼女がいなくなったのか、自分の元を去る理由がまったくわからない。果たして、その真相とは…。

表紙の帯には「本書のテーマは失踪である」と書かれているが、失踪した側に立った描写は皆無であり、失踪された側からの描写に終始している。むしろ人は自分の前に現れた不可解な出来事とどのように折り合いをつけ、やがてそれを受容するに至るのか、その過程を描いた小説といえよう。

おもしろい箇所がある。一人称で小説を語る三谷が、読者に対してある隠しごとをする。ひとりの人物について述べるとき、彼の語り口調は途端に歯切れが悪くなり、いかにも描写をあいまいにしたがっているのが明らかだ。もちろん著者の意図的な仕掛けで、ぼかす理由は後に判明する。彼の隠しごとは、ガールフレンドの失踪と大きく関係していた。その判明が小説のクライマックスだ。緻密なミステリーとは言い難いが、読者の興味を途切れさせることはない。意図的に隠ごと事をする三谷は、実は失踪の理由を半ばわかっていたのではないか…。読後、そんな三谷を滑稽に思うかもしれないが、読んで身につまされる男性も決して少なくないだろう。(岡田工猿)

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いや~自分的には結構当たりでした。


確かに失踪がテーマなんだけど、それに起因する人の心情変化の描写が


なんとなく受け入れやすかった。


この作品を読んでまず思ったのが、これを23歳で読んでよかった、ということ。




山本文緒が解説を書いてるんだけど、そこで主人公の三谷は


「平凡で優柔不断な鈍感男」呼ばわりされている。


あーそれ俺っす・・・的な感じだったから多分この作品を受け入れやすかったのかな、とも思う。


裏表紙の書評には「失踪をテーマに現代女性の「意志」を描き、絶賛を呼んだ傑作!」


って書かれてるんだけどこっちはあんまりピンとこない。


単にそういう切り口は今の自分にはなじまなかっただけだと思うけど。




この作品の軸のひとつとして「事実の捉え方」があるんじゃないかと思う。


それも過去における事実。


主人公の三谷は恋人南雲みはるの失踪後、「なぜだ?」を多用する。


そして、紆余曲折の後再開することになるんだけど、


そこでも謎解きをしたがる。


そしてそこに行き着くまで、「もしもアブジンスキーを飲まなかったら」という


「もしも」論に囚われる。つまりは過去の事実を受け入れられない。




「わからない」ということがわかっても、それをどう受け入れるか


つまり答えを求め続けるのか、それを一事実として(平坦に)受け入れるのか。


答えを得たところで、過去の事実なんだから、それに積極的な意味はないのに


この主人公は答えを求め続けてしまう。失踪の事実から5年がたっても。




男女でカテゴライズするのはばかげてるかもしれないけど、


やっぱ男は答えを求め続けてしまう傾向にあると思う。


論理が通らないとすっきりしないというか。


まぁかくいう俺もそんな「平凡で優柔不断な鈍感男」だからそう思うのかもしれないけど。




ジャンプを呼んで一番印象に残った台詞。


失踪していた南雲みはるが全てを話した後、三谷に言った言葉。


「全部は話さないほうがよかった?」


やっぱ人は事実全体の中から自分に都合のいいとこだけを切り取って


自分の納得するようにゆがめて受け入れるというプロセスを踏むとして、


「全部を話すこと」は、ようやく受け入れた事実を足元から崩しかねないから


そういったのだろうか。




うーん、何だろう、この感じ・・・


そんな台詞言われたことないのに、


思わず一人の女性が頭に浮かんでしまいました。




最後に南雲みはるはこういう。


「でも、あたしはいまこうなって良かったと思っている。あのとき可能性のあった未来の中から、


いまこの未来を手に入れられたのは良かったと思っている」


さらに言外に主人公は南雲みはるの切り返しの質問を読み取る。


「あなたは自分自身のいまを、これで良かったとは思っていないの?」


さっき男女のカテゴライズの話をしたけど、この割り切り方は女性に多いんじゃないかな、


と「平凡で優柔不断な鈍感男」の俺は勝手に思う。


今度は自分が過去に言われた台詞を思い出しながら。




最初に、これを23歳で読んでよかったって書いたけど、


読んだからって「平凡で優柔不断な鈍感男」からそう簡単に脱却はできない。


ただ、事実の捉え方にいささかの変化をもって明日からを生きていけたらな、と思います。




さて、EU法!!・・・寝坊しそう。笑

久々の更新になりますが、


いい映画をみたのでその紹介でも。


またもや作品紹介はアマゾンより。笑


12人の怒れる男(原題:12 Angry Men)


十二人の怒れる男 [DVD]
¥1,750
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内容紹介
殺人事件の審議を巡る陪審員達の手に汗握る法廷劇の傑作!

<キャスト&スタッフ>
8番陪審員…ヘンリー・フォンダ(内田 稔)
1番陪審員…マーティン・バルサム(峰 恵研)
3番陪審員…リー・J・コップ(宮川洋一)
10番陪審員…エド・ベグリー(金井 大)
4番陪審員…E・G・マーシャル(鈴木瑞穂)

監督:シドニー・ルメット
製作:ヘンリー・フォンダ/レジナルド・ローズ
脚本:レジナルド・ローズ
●字幕翻訳:進藤光太 ●吹替翻訳:平田勝茂

<ストーリー>
17歳の少年が起こした殺人事件に関する陪審員の審議が始まった。誰が見ても彼の有罪は決定的であったが、一人の陪審員は無罪を主張。そして物語は思わぬ展開に!

<ポイント>
●社会派シドニー・ルメットが放つ、法廷サスペンスの代表作。
●「細部にいたるまで完ぺき」と絶賛された、主演のヘンリー・フォンダをはじめとするキャスト陣の演技が見もの。
●日本語吹替音声も収録
(※日本語吹替音声は現存するテレビ放送当時のものをそのまま収録しております。そのため一部音源のない部分は字幕スーパーとなっております。)

<特典>
●オリジナル劇場予告編

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17歳の少年による殺人事件の裁判で、12人の陪審員中11人は有罪に投票するが、ひとりだけ証拠に疑問を持ち無罪を主張。白熱する議論と説得の中、ひとり、またひとりと無罪の方へ心が傾いていく…。
レジナルド・ローズのTVドラマの映画化で、テレビ版を演出した社会派の名匠シドニー・ルメットが監督。密室の中、決して名前が明かされることのない12人が、それぞれの心理状態や家庭環境によって評決が二転三転していくさまが実にスリリング。会話劇であるにも関わらず、ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、ジャック・ウォーデンなどなど、いぶし銀のような名優たちの言葉による戦いは、まさに映画的で必見である。なお、この映画に感銘を受けた三谷幸喜が、後に記した戯曲が『12人の優しい日本人』で、こちらは日本に陪審員制度が設けられたという設定の下、やはり殺人事件の審議を行う密室コメディ劇であった。(的田也寸志)

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<感想>


いや~いい映画でした。

3日も延滞してたのでさっさとみようと思ってましたが、惹きつけられました。


上の作品紹介でもわかるように舞台はアメリカの裁判所。

日当3ドルで集められた12人の男たちが第一級殺人事件の陪審員となって議論するというストーリー。

陪審員の会議室から舞台を一切動かさずとも、約95分まったく飽きさせられなかった。

見事な脚本、そして俳優陣の演技だったように思う。


内容について少々。


人の思い込み、そして偏見というのは恐ろしい。

刑事裁判は人を裁き、その権利の根源たる生命までも奪いうるもので、

だからこそ被告人には、適正な裁判を受ける権利だとか弁護人依頼権だとかが

憲法や刑事訴訟法で認められている。


自分はちょいちょい法律を学んではいるが、

実際に陪審員や裁判員になる人は法律の知識など普通はないわけで

いくら事前に基本的なことを教わろうとも危険性が残る。

というか、法律の知識なんて関係ないとも思える。

陪審員や裁判員になったらその判断のキーはなんと言っても事実認定。


あくまで証拠により有罪の事実を立証する責任を負うのは検察側で、

裁判官や映画で言う陪審員が納得すれば有罪、疑問を持てば無罪。


ここで大事なのは「疑問を持てば無罪」ということ。

「こいつが間違いなくやった!」と思えるならともかく、

「きっとこいつがやったんだろう」じゃ有罪にできないということ。


今の日本では、検察が証拠によって事実を証明しようとするとき、

「合理的な疑いを入れない程度の証明」ができればその事実は認定される。

仮に検察側の証明に穴があったとしても、「こいつがやったんだろう」と

思って聞いていたら、その穴に気づかず有罪認定してしまうことになる。

これって本当に怖いことなんだけど、

人は生きていく中でさまざまな価値観や偏見を持つ。

そういうものが無罪の推定ではなく有罪の推定を働かせることになる。


この映画もその恐ろしさを描いていた。

人の偏見、そして集団の論理。

そういったものは排除しようとしてなかなかしきれるものではない。



日本でも裁判員制度が始まるけど、

他国のように試験期間もなしにいきなり導入することは、正直かなりの危険を伴うと思う。

この映画と違って陪審員制度ではなく裁判員制度で、

原則6名の裁判員に3名の裁判官の合議体で事実認定、有罪・無罪の判断、有罪の場合の量刑を

決めることになる。

有罪認定の際は裁判官1名以上の有罪認定が要件になっているなど一定の歯止めはあるものの、

そもそも裁判員制度の目的である「国民の司法に対する理解の増進と信頼の向上」っていうのを

達成するために、手段として相当か合理的かって言ったらはなはだ疑問。


日本人は、日ごろから各種メディアを通じて重大事件に慣れ親しんでいるけど

あくまでそれは有罪認定されたから大きく取り上げられているだけであって、

報道されないような「被告人だったけど無罪になった人」もいることは忘れてはならない。

まぁ、裁判員制度の対象となるような容疑で起訴までされて、

無罪判決勝ち取ったらニュースにもなるか。

なんいせよ、あくまで有罪判決が出るまでは無罪の推定が働くということだけは、

もっと広く国民の知るところとすべきだと思う。




はー熱く語ったら疲れた。

こんな書くんだったら、こういう内容のあるレポートがある授業とっとくんだった。笑

まぁなんにせよお勧めの映画です。


今日・明日とまたロー目指す友達と3人で合宿してきます!