夜はちょっと涼しく、風も秋を思わせるにおいになってきましたが


まだまだ日中は夏ですね。


大学生最後の夏。


一般的な「大学生最後の夏」らしいことは、


韓国旅行ぐらいしかしてないなー。


でもそれもありだと思います。


今の目的は法科大学院入試なわけで


そのための手段といったら勉強なわけだから。


これが「学生最後の夏」だったら


知見を広めたり、何よりみんなと楽しく過ごすということに主眼を置くんだけど。


みんなそれぞれ、その時々の目的・目標に向かって


自分が信じた手段を目一杯講ずればいいわけだから。


もちろんときにはゆっくり休むことも大事だけど。




目的と手段。


目的にもいろんな種類がある。


たとえば期間で区切って、短期的な目的、中期的な目的、長期的な目的。


自分に当てはめると


短期的な目的:法科大学院入学


中期的な目的:弁護士になる


長期的な目的:自分らしい、いい人生を送る




それに応じて手段もいろいろ。


短期的な目的に対する手段:勉強。ただひたすらに勉強。


中期的な目的に対する手段:勉強。そして社会を知ること。


長期的な目的に対する手段:いっぱい考えること、悩むこと、笑うこと、泣くこと、頑張ること。

                  そして適度に休むこと。




アホな俺は短期的な目的のための試験が目の前でもいっぱい考える。


まぁ短期的な目的が達成される限りそれも許容される


というか、それを達成できる範囲でその先の手段に手を伸ばしていかなきゃいけない。


・・・んだけどね、どうなることやら。笑




目的と手段を考えるのはいわゆるPDCAサイクルにも似ている。


Plan Do Check Action


物事を行うときの4段階。


これを人生に使うと4要素の位置がいれかわったり、時間的に何かすっとばさなきゃいけなかったりで


もー大変。


でもまぁ1つの指針としてはとてもいいものだと思う。




でも目的と手段というとどうしても法律を考える。


去年ゼミでやったディベートも、俺の作る各論は


独禁法だとかWTOの目的にかなう手段かどうかの検討が非常に多かったと思う。


そして、憲法の違憲審査基準もこれ。


侵害される人権とかその規制態様によって


たとえば経済的自由にかかる消極目的規制は、


「目的が正当で、手段と目的の間に実質的関連性があるか」という基準で判断したりする。


あとは刑法の罪数処理。


たとえば住居侵入罪と窃盗罪は、窃盗罪が目的で住居侵入罪はその手段だから


両罪は牽連犯を構成する、みたいなね。




なんかとりとめなくなってきた。


ので、いったん区切って政治関連の話はまた次で。

書き始める前に。。。


今回はやや愚痴入ります。


あんまそういうのは書かないつもりだったけど、


選挙ネタ・政治ネタを書きたいてネタもちょいちょいたまってきた頃だったので


その導入がわりに。笑


・・・と思ってたら、意外と思い出話が長くなって


愚痴る内容とかどーでもよくなったので、今回は思い出話を中心に、マス・メディアについて。




人の評判、他人がある人に下す評価というもの。


これは基本的に「ある人が何かをした。」というような事実に基づきます。


これが人に認識されると客観的事実となります。


ここでは、これは事実と客観的事実は異なるものと定義します。


すなわち、事実は、行為や状態それ自体をさすのに対し、


客観的事実は人から見た事実の姿だとします。


人が客観的事実を仕入れる手段としては、人との会話そしてマス・メディアが


主要なものとして挙げられます。




マス・メディアはそうした客観的事実の報道で飯を食っていて


その飯の量は視聴率というものにかかっているので


どうしても人が食いつきやすいような論調になってしまう方向にバイヤスがかります。


それは中学1年のころ、昔自分が通っていた幼稚園で起きた事件の報道を通じて感じたことです。



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当初こう報道された事件でした。


「ある母親が、自分の娘が小学校受験に落ちたことの腹いせに、


その小学校に合格した娘の同級生の子供を殺害。」


そして翌日の紙面の見出しは以下の通りです。


「加熱しすぎたお受験戦争!」


「事件が起きた幼稚園は都内でも有名なお受験幼稚園!」


マスコミは連日そうした報道を繰り返し、


記者会見で涙ぐむ園長先生の写真が各紙の一面を飾りました。


その先生は姉・兄・俺と三兄弟ともにお世話になった先生でした。




さて、ここでいう客観的事実とは何でしょうか。


①ある母親が、自分の娘が小学校受験に落ちたことの腹いせに、合格した娘の同級生の子供を殺害。


②お受験戦争が過熱していること


③その幼稚園が都内でも有名なお受験幼稚園であること




全部ですね。


そうした報道のもと、社会がそれに従って事件を認識すれば、それが客観的事実となります。





では、上記客観的事実のうち、この事件に係る「事実」であるものは何でしょうか。


①ある母親が、自分の娘が小学校受験に落ちたことの腹いせに、合格した娘の同級生の子供を殺害


②お受験戦争が過熱していること


③その幼稚園が都内でも有名なお受験幼稚園であること




個人的な結論としては、せいぜい②だけです。


それも、「お受験戦争」「過熱」の定義のあいまいさを無視して、


「昔に比べたら子供の受験を気にする親が増えた」という


マス・メディアの報道する客観的事実に基づいての結論ですが。


具体的なデータは調べてないのでひょっとしたらこれも事実ではないかもしれません。




では、以下簡単に①、③が「事実」でない理由を簡単に。




①について


「自分の娘が小学校受験に落ちたことの腹いせに、合格した娘の同級生の子供を殺害」


下線部分が事実と異なります。


これは一部マス・メディアものちに訂正しましたが


殺害の時点では合否は出ていなかったそうです。


とすると、どんな動機をもって殺したのかわからない以上、


②の「過熱するお受験戦争」というタイトルとの結び付きも薄れます。


まぁ娘さんの小学校受験をめぐり精神的に大変だったことがつながっているのかもしれませんが。




③について


「その幼稚園が都内でも有名なお受験幼稚園であること」


下線部分が客観的な事実であると考えられます。


この点を主張するに先立ち「お受験幼稚園」の定義を考えたいと思います。


この単語を聞いた時、ぱっと思い浮かぶのはどんな幼稚園でしょうか。


きたる小学校受験に向けて読み書きをしたり、


IQを伸ばすようなことしたりするんでしょーか。


・・・今、ぐぐってみたら定義はよくわかんなかったけど、


小学校受験じゃなくて、幼稚園受験のポータルサイトやら


幼稚園受験に向けた塾まであるんですね。


こりゃまいった。


まぁいいや、不本意ながら定義は置いときます。


色々書きたいことはあるけど、もうすでに長くなってるので簡潔に。


まず、地元に住んでて、かつ卒園生である俺の知る「事実」を述べます。




①その幼稚園から徒歩15分以内に、有名国立大学の付属小学校が3校存在する。


②その幼稚園では毎日何をするのも自由である。




①は書いたそのままです。


少なくとも俺が通った当時は、幼稚園に通う子供の9割以上が


親の自転車に乗ってくるような距離に住んでいました。


区立の小学校と変わらない距離に、より学費の安い国立の小学校があったら


みんなうけるでしょ、そりゃ。


単純に小学校受験をする人の人数を見たら、普通の幼稚園よりも多いとは思いますが、


こうした地理的要因が寄与していることは、きちんと述べておきたいと思います。




②もかいたまんまです。


一日のスケジュールで決まっていることは3つ。


・8:30~9:00に幼稚園に来ること


・お弁当はみんなそろって食べること


・帰り(時間帯は忘れた)は肝油を1つ食べてから帰ること。


みんな、砂場で遊んだり、鬼ごっこをしたり、本を読んだり、


工作をしたり、花から色水を作ったり、ブロックで遊んだり、


ほんとに気ままに過ごしていました。


俺は毎日野球ばっかしてました。



垣根の隙間から幼稚園を脱走したりもしてました。


ひらがなの練習をさせられたことなんて一度もありません。




もし、ここまで読んでくださった人がいたらぜひ訊きたい。


この幼稚園はお受験幼稚園ですか。




もちろん、子供がいないどころか結婚もしていない俺には


親がどんな思惑で子供を幼稚園に通わせているのかなんてわからない。


少なくとも俺は、父・姉・兄が通っていい幼稚園だったから、通わされただけ。




客観的に見たら確かに教育熱心な親が集まっているかもしれない。


だからといって、1つの不幸な事件にかこつけて


「お受験幼稚園」と報道したことはどうなのか。


自分の母校を世間の批判の的にされ、お世話になった先生の涙を新聞・テレビで見せられた


小学生・中学生を含めた卒園生の気持ちはどう斟酌されるのか。




当時、近所にはカメラを携えたマスコミがよく来ていた。


「今回の事件をどう思われますか。」


「お受験戦争の過熱についてどう思われますか。」




これに対する満点解答はこんな感じだろう。


「いや~怖いわねぇ。やっぱり今は学歴社会っていうの?


いい所に行かせないとこの不景気じゃちゃんとした人生歩めないから


お受験も過熱するのかしらねぇ。」


連日テレビで聞き飽きたセリフだ。




一方、一切報道してもらえない落第解答はこんな感じだ。


「僕はあそこの卒園生ですけど、まったくお受験幼稚園なんかじゃないですよ。


毎日好きなことして遊んでるだけで、勉強させられたことなんかないし、


たまたま近くに国立の小学校が多いから受験する子が多いだけですよ。


今回の事件を受験戦争と結びつけて大々的に報道するのってどうなんですか。」




小学校に入ってからも1ヶ月くらい毎日、


「小学校勉強ばっかでつまんなーい、幼稚園もう1回行きたいー」


なんて言ってたような愛園心の強い子供が、中学1年生のときにこの事件を受けて


マスコミを捕まえてはカメラの前で言っていた内容である。


その度ごとに、局と放送時間帯を聞いてはいたが、1度も報道されることはなかった。


やっぱ、こういうのは視聴率取れないんすかね。なんて。


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もちろん、使命感をもってマス・メディアを生業としている人もいっぱいいると思う。


だから、マス・メディアが悪いなんて全く思わないけど、


報道されるものが「事実」ではないかもしれない、ということだけは気をつけるようになった。




えーと、どう選挙の話につなげようと思ったんだっけ?


ああ、政治家とか芸能人は特に、その発言・態度などの客観的事実によって一般大衆に判断されるから、


「自分がどう見られるか」という点に気をつけなきゃいけない、という話だった。


とても簡単にいえばね。




そしてどんな愚痴だっけ。


あー、名前こそ出してないけど俺のプライベートな話を「客観的事実」として


mixiで書いてる人がいたんだった。


まぁ、本人に対して何も言うつもりはない。


価値判断やら皮肉のついた「客観的事実」を広められることも、


ある集団で役職に就いている人間にはよくあること。


・・・くだらね。笑 勉強しよっと。