中国ではホテルのチェックイン時に顔写真の撮影が始まっている
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7月上旬から8月にかけて約1カ月間、中国の東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)の都市や辺境エリアを訪ねる機会があった。北京や上海、深圳など、メディアによく取り上げられる大都市圏ではなく、名も知れぬ地方の小都市(といっても中国ではたいてい日本の県庁所在地くらいの人口はいるのだが)を訪れて見えてきたことがある。
それは、中国では、もはや大都市圏より地方のほうが暮らしやすいのではないか、という実感だ。
なぜなら、衣食住のコストは安く、競争やプレッシャーもゆるいし、人々も日々の生活に困っている様子はうかがえないからだ。鄧小平が言った「小康社会(衣食に困らず、経済的に比較的余裕のある生活)」は、少数民族エリアや一部の貧困地区を除くと、すでに実現されているのではないかと感じざるを得ないのである。
しかも、スマホによる決済システムと、それに連動したさまざまな生活サポートアプリが普及し、サービスを競い合っている。
・・・中国はすでにQRコード社会
この種のサービスが日本より進んでいることを改めて実感するのは、中国のオンライン旅行大手Ctripが提供するTrip.comを使用するときだ。このアプリをダウンロードしておけば、中国のホテルや航空券、鉄道の予約が簡単にでき、その場でモバイル決済もできる。食事や打ち合わせが長引き、何時の列車に乗ればいいか決められないときでも、駅に向かうタクシーの中で最速の便を予約できる。
こうした移動手段のお手軽なスマホ予約・決済は、中国ではいまや常識となっている。大都市圏だけでなく、地方の町や農村でもそうだ。実際、トウモロコシ畑に囲まれた人里離れた村でも、人々はタクシーや飲食店の支払いにモバイル決済を利用していた。
いまの中国はQRコード社会でもある。現地の人が手渡してくれるホテルやレストランなどのビジネスカードや名刺には、当たり前のようにQRコードが付いている。それをスマホでスキャンすると、アプリが立ち上がり、それぞれの施設や企業の情報が公開される。
ホテルのフロントで手渡されたカードを、出先からタクシーの運転手に渡し、スマホでQRコードを読み込んでもらうと、GPS機能を通じて自動的にホテルまでナビしてくれるというサービスもあった。日々の生活を快適で便利にするために何ができるかを常に考えている未来志向の社会に、中国が進化していることに気づかされる。
なかでもいちばん感激した体験は、遼寧省の葫芦島という地方都市のタクシー運転手との出会いだった。
葫芦島は、敗戦後の昭和21年(1946年)、中国大陸に住んでいた105万人もの日本人が引き揚げ船に乗った場所として知られる町である。数年前、この地に日本の有志が記念碑を建てた。その碑を訪ねたいと思ったが、駅の案内所や町行く人に尋ねたものの、どこにあるか誰も知らなかった。その碑を訪ねるような地元の人はいないからだ。
仕方なく、駅前で拾った若いタクシー運転手に、知人にもらった碑の写真を見せたところ、彼はそれをスマホで撮影して、複数の同業の運転手たちにWeChatで送るのだった。数分後、彼らから次々と情報が届き、結局、1時間後に見つかった。碑は海の見える小高い丘の上にあった。
日本人引き揚げ記念碑は、実際に当時葫芦島から日本に帰国した人たちによって建立された
中国ではタクシーの支払いでも、モバイル決済が普及している。料金メーターの脇にGPS代わりにスマホを置いている運転手も多い。記念碑を探してくれた彼もそうだった。
驚いたのは、ごく普通の地元の青年にすぎない彼が、見知らぬ外国客のために仲間同士で助け合い、誰も知らない場所を探し当ててくれたことである。それが可能となるのも、彼らがグループSNSを日常のツールとして活用しているからだ。いかにもいまの中国を象徴する出来事だった。
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進行する監視社会の強化
こうした民間社会の表向きの明るさと対照的なのが、深く進行する監視社会の強化である。数年前から高速鉄道や郊外バスに乗車する際の「実名登録制」が徹底され、乗客は個人身分証やパスポートを提示しなければチケットが購入できなくなった。
これが何を意味するかというと、中国に入国したとたん、移動のすべてが当局に捕捉されてしまうという現実である。その外国人がどの日の何時何分発の列車に乗っているか、入国時のパスポートチェックのとき提供した顔写真と指紋がひも付き、座席ナンバーまで追跡できるということだ。
そして、ついにここまできたのかという事態も起きている。今秋以降、中国ではホテルのチェックイン時にゲストの顔写真の撮影が義務付けられるというのだ。
中国出張の多い友人によると、IT先進地の広東省では、すでに今年初めから始まっていたという。上海では11月から完全義務化されるとのこと。開始時期は地方によって遅れはあるものの、今後、各地で徹底されていくという。
ある現地ホテルの関係者は「お客様がパスポートや身分証を提示された後、フロントに設置されたウェブカメラで撮影し、管轄の警察署に写真が送信されます。中国では身分証の持ち主と実際の宿泊客が違うケースが時折見られ、それを取り締まるのが目的のようです。このルール自体は以前から存在しており、これまで厳格に実行されていなかったのですが、今秋から義務化されました」と話す。
日本をはじめ国際社会では、ホテルが個人情報の開示や提供に制限を設ける、プライバシーポリシーを掲げるのは常識である。大学のホテル経営論のテキストにも書かれていることで、ホテルの信用に関わる問題だ。ところが、中国では当局によってあっさり無視されてしまう。
お忍びで利用する人も多いのがホテルである。それでも、中国側は、プライバシーとは安全と天秤にかけても肩肘張って守らなければならないものなのかと主張するかもしれない。
彼らが人権やプライバシーなどを一顧だにしない冷徹な姿勢を見せるとき、強い違和感のみならず、人間の底が抜けてしまうような気の遠くなるものを覚えるときがある。些細な話のようだが、ホテルのゲスト撮影問題は、我々と彼らの価値観の違いを突きつけてくる。
ここまでくると、一部のメディアが報じる、「中国人はプライバシー侵害に寛容で、利便性のために個人情報の提供も許容している」との内容に、疑問符が付くのではないか。これだけ多くの中国人が海外に出かける時代である。むしろ、物言えぬ社会ゆえに、最初から諦めているというのが実情だろう。
選挙による政権選択のない中国のような国をみるとき、原則とすべきは、為政者や当局と一般国民を区別して考えることだ。そして、今日ほど両者の意識の乖離が著しい時代はないように思う。
先頃の米中貿易摩擦と厳しさを増す米国の対中姿勢の変化の背景に、「経済成長すればやがて民主化するだろう」というこれまでの中国に対する好意的関与の姿勢が裏切られたことへの反動があるとの指摘もあるが、今回の話もそれに似た失望がある。
それにしても、なぜそこまでするのだろうか。これではかえって国際社会にそうしなければならない事情が内部にあると勘ぐられかねないことに、彼らはどこまで気づいているのだろうか。
こんな状態で好き好んで旅行へ行きたいとは思いませんね。