昨日ウズベキスタンからの帰国でした。疲れはまだまだ取れませんが今日はNARです。ハイキングはせず町歩きになるので参加しました。新長田集合。よく来る場所なんですが、知らないことがいっぱい。駅前のこんなモニュメントも気がついていないのです。粉もんの町でお好み焼きのコテになってる。

     

この辺りは阪神大震災で焼け野原になりました。立派なビルが建ち並びましたが人は戻って来ず町おこしが進みません。

 

鉄人28号。後ろ姿も凛々しくビルとの対比が面白いですね。

 

映画資料館に入るのは初めて。興味深いですね。

   

双葉小学校は火災に合わず今はふたば学舎として地域に開かれています。

 

素敵な校舎です。昭和4年に建てられた学校。木の廊下や懐かしい机や椅子。

      

資料部屋でこんなのが貼られる時代があったのですね。

  こなもん祭りがもうすぐあります。昼食は阪神球団の選手に食事を作ってたオーナーさん。

     

食後は港の方まで歩きます。寂しい通りですね。

 

大型スーパーアグロの中を通る???二階にこんなコーナーがあったのです。

    

この辺りの地名は駒ヶ林ですが神社は駒林。赤い鳥居の所まで海でした。

   

釘煮発祥の地。明石、垂水もそう言っていますがここが歴史的にも本物の気がします。

 

恵比寿神社により(海の守り神なので鯛を背負ってます。)路地を抜けて腕塚へ。リーダーが歴史を話してくれて明石にも腕塚が有るがここが本家?と自説の説明。 

海泉禅寺。地震で壊れ修復。

 

鐘撞堂は壊れたままです。

  

隣に新しい地蔵堂が出来ていました。

 

町のあちこちに三国志のモニュメントがあります。

 

神戸鉄人プロジェクト館に立ち寄ります。

    

四時散策でしたが用事があり、3時で一足先に失礼。

足元にある町なのに知らなくて、楽しめました。

10月26日 (金曜)

タシケントを出発したのが20:05 日本時間すでに26日の真夜中0:05です。

KIXには07:35到着。機内では食事をしたり、テレビを見たり、ゲームをしたり、勿論寝ましたがウトウトです。

無事に帰国。幾何学模様のタイルなどモスク世界遺産は忘れることはないでしょう。

異文化に触れて、文化は繋がっていると強く思いました。この行事は中国、マレーシア、ロシア インドなどなど食事を含め結婚式などにおいても風習が同じだわと思う事が多かったです。

お留守番組ありがとう。

10月25日(木曜)

朝食を済ませてヒヴァからバス移動で国内線、ウルゲンチ発タシケントに向かいます。1時間半程です。  

  

タシケント市内観光。最後の観光です。

直ぐに昼食です。中華料理になっていますが中国でも韓国でも日本でもないタシケント風。W

     

ナボイ劇場  総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築のオペラハウス。正式名称は「アリシェル・ナボイ劇場」。 建物内部にはいくつかの間やパーティの部屋があり、壁装飾は中央アジアの各地域の特色を生かすよう工夫されている。レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを決定して建築を進めていた。しかし、第二次世界大戦が始まったため、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事が止まっていた。そのため大戦後、日本人捕虜を活用して革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された。ソ連の捕虜になったのは合計60万人とも言われ、満州で捕虜となった日本兵はシベリアなどで森林伐採、道路・鉄道建設に従事しており、この劇場建設の任務は特殊業務であった。歴史を再確認。

     

劇場裏手の記念プレートには以前ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていた。これをみた独立後大統領に就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と指摘し、「捕虜」と使うのはふさわしくないと1996年に新たなプレートに作り変えられた 

ティムール広場まで歩きます。美しい公園で画家達が絵を描き販売しています。ティムール像が中心に立ち、ソ連時代のホテルなども周りのあります。

         

工芸博物館  1937年にオープンした工芸博物館は、現在4000点以上の展覧品があり、博物館の建物自体が最大の美しさを持つ展示品。ウズベキスタン各地の職人によって彫刻された建築装飾は、伝統的な建築工芸のレベルを観覧させる。1907年にロシア公使の私邸として建てられたこの建物は、3度に修復され、1930年までには孤児印、教育センターなど利用。13部屋に広がる19世紀の伝統的な建築工芸、壁が装飾が素晴らしい。

  

結婚式で使われる楽器。絨毯sっや刺繍が素晴らしい。

    

帽子の柄で環境がわかるそうです。独身者、既婚者など。

  

広間では雨乞いの音楽演奏が行われていました。

   

陶器の部屋、家具の部屋など伝統工芸が並んでいます。もちろん御土産店も。

日本人墓地 ソヴィエト時代は土を盛っただけであったがウズベキスタン独立後、遺族関係機関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、敷地内奥にはこれらウズベキスタン各地に点在する13か所の日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されている。 

 

現地のかたで親子代々墓守をしてくれてます。

  

機内食が出るまで時間があるので先ほど昼食でしたが早い夕食をします。

        

お腹は空いていないのに美味しく食べました。2時間前のチェックイン。

 

タシケント発20:05で帰国します。飛行時間は約7時間半。

 

10月23日(火曜)

朝食を早朝に済ませて7:10発で砂漠縦断です。二人分です。

400Km砂漠縦断です。約7時間 朝ごはんが早かったのでおやつにサンドイッチとジュースのお弁当が出ました。昼食が3時ごろになるからです。   

トイレ休憩は男性は青空?政府がトイレ設置に税金を安くする法律を進めかなりトイレ事情が良くなったようです。コーヒー店併設も有ります。

 

 

現地添乗員さんは日本に6年間留学。皆さんが長時間飽きないように工夫されて色々なことを話してくれます。どんな質問にも丁寧に答えて資料など充実。     

白いのは塩で土の塩で食べることは出来ません。

カラカル・パクスタン共和国に入ります。これのビルの壁面に描かれてる旗でわかります。

昼食場所のユルタ(遊牧民の移動用の住居)に行きました。ユルタは羊の皮で外側が覆われ、中は絨毯が敷き詰めてありカラフルです。

  

        

 メインはピーマンにひき肉とお米がつめられています。

食後はアヤズカラはカラカルパクスタンで最も壮観な城塞の1つを見にの砂漠の中歩きます。アヤズカラのキジルクム砂漠からの眺めは素晴らしい。アヤズカラ遺跡は千年もの間、砂で隠されてきましたが、広さ2.7ヘクタールで長方形の形をしています。壁は10mの高さで一定の間隔で塔があり、2層の回廊と矢狭間が備えられています。下の回廊はアーチ型の天井は失われることなく残っており、その回廊を歩くことが出来ます。アヤズカラ1の建設は紀元前4世紀から始まり、このときには回廊のある壁が作られ、そのあと紀元前3世紀に塔が付け加えられました。その後城塞は1世紀まで使用されていたと考えられていますが、中世の初期には地元の人々の避難場所として使われていたようです。

      

登り詰めると第3の遺跡が見られます。

  

トプラカラは2~3世紀に起源をもつ、ホラズム王の宮殿でした。これは5つの部分から成り立っています。
  ・城壁の内部に規則的に設計された道路の部分
  ・テメノスの部分(テメノスとは:神の使用する領域、礼拝の中心となる神の祭壇を囲む神聖な境内を意味する)
  ・宮殿や寺院として考えられている大きな記念碑的な建築物の部分
  ・外交のための宮殿部分
  ・大きく囲まれた土地は王宮の庭園

  

ラクダ草。棘が有るのですが血を流しながら食べるそうです。

      

盛り上がったところが城壁跡です。

    

ヒヴィァ到着 今日の総走行距離は450Km。半分くらいはガタガタ道。

アジアヒヴァホテル ホテルでの夕食です。

 メインのキイマザラフシャャンはヒヴァ料理です。

    

お疲れ様。

10月22日(月曜)

朝食   

ブハラ観光

イスラムは偶像崇拝を禁止しているため、人間や動物をモチーフにすることができません。そのためこのように一定のパターンに従って作図する幾何学模様が高度に発達したのです。整然と、しかし複雑に絡みあう模様と鮮やかな色彩は、いつまで見ていても飽きませんね日干し煉瓦で造られた城壁は、外敵の侵入を防ぐ目的だけではなく、砂漠から押し寄せ る砂をせき止める役割も果たしていました。この城壁からしてすでに個性的な形をしていますね。積み上げられた煉瓦もまるで芸術品のようです。

アルク城  

              玉座  ブハラの町が見降ろせます。 説明を聞きます。 

チャシュマ・アイュブ  カラーンミナレット 1127年に建てられた高さ46mのミナレットは、砂漠を行く隊商の道しるべであり、外敵に対する望楼でもありました。いわゆる「砂漠の灯台」の役割を果たしたのです。

                   カーランミナレットはブハラで最も高いです。

アドゥールアジス・ハーン・メドレッセ

   

昼食 ラブマン 楽器の演奏を楽しみながらの食事です。

    タキ・バザール 独特なドーム状の屋根を持つのは、「タキ」と呼ばれるバザールです。市場兼関所のような役割を果たしていたそうで、16世紀ごろに造られました。新旧織り交ざった建築物が見られるのもブハラの魅力です。

      

    コウノトリのハサミにサインを入れてもらいました。

バラハウザモスク 胡桃の柱が20本建てられてハーン専用の赤い絨毯を敷かれアルク城城から歩いて来られたとか?

  

世界遺産内部のレストランでショウーを見ながらの夕食はウズベク料理 

         プール後のラビハウス。 

ブハラ泊 グランドブハラホテル

10月21日 (日曜)

朝食

サマルカンドからシャフリサブスに向かいます。中央アジアにおける主要都市だった歴史を誇り、今日では、14世紀にトルキスタンを席巻したティムールが誕生した場所として知られています。2004年にシャフリサブス歴史地区として世界遺産に登録されました。今日も世界遺産たっぷり楽しみます。

  

     アクサライ宮殿ティムールにより築かれた巨大な夏の宮殿跡です。ドルッティロヴァット建築群
現在残るアーチは38メートルの高さがあります。(かつては50メートルあったそうですバスに乗ってほんの数分移動します。次はドルティロバット建築群を観光します。コク・グムバズ・モスクの青いドームが見えてきました。ここはウルグベクによって建てられたモスクだそうですコク・グムバズ・モスクの向かいに二つの廟があります。向かって右奥にあるのがグンバズィ・サイーダン廟、手前にあるのがシャムスッディン・クラル廟。コク・グンバズ・モスクの内部。綺麗に修復されています。お隣のグンバズィ・サイーダン廟にも入りました。                  

     50年ほど前は日本も新婚旅行はこんな感じでしたね。

昼食 ディムラマ    肉じゃがのような料理です。

   ブハラに向かいます。

ホテルでの夕食ビストロガノフなど、お昼同様デザートが既に置かれています。   

ブハラ泊 グランドブハラホテル

  

10月20日(土曜)

朝食   

昨夜は遅くの到着でホテルの外観を写していませんでした。

 内庭から 

サマルカンド観光。

グーリ・アミール廟は外から見るとドーム型の屋根が非常に印象的。廟内は金の装飾。繊細な青いモザイク画に黄金の装飾で埋め尽くされている廟内の壁は、驚くほど豪華です。

        
シャーヒズィンダ廟群  アフラシャブの丘に位置。ティムールの親族や王朝関係者の霊廟やモスクなど11棟があつまる遺跡群。青のモザイク画で装飾された壮大なお墓が11棟も並んでいます。
11棟のお墓は全て同時期に建てられたものではなく、最も古いもので6世紀、最も新しいものでは20世紀に建設されており、何度も改修や修復作業が行われています。この遺跡群、イスラム教の預言者ムハンマドのいとこであるアッバスに関する伝説が残っており、イスラム教の巡礼地としても重要な観光地です。ドームや壁の装飾は全て青に見えますが、近くで見ると-模様や色が少しずつ違っていますよ。

                       

ビビハニム・モスク  1404年にティムール朝の創始者ティムールによって建設された、ビービー・ハーヌム・モスク。中央アジアでも最大級のモスク。周辺諸国から建築家を呼び、多くの労働力を使って167m×109mの面積の巨大モスクを5年間で完成。庭園には、巨大な石で作られた説教台があります。昔ここには、この説教台と同じくらいの大きさのコーランが置かれていました。願い事をしながらこの説教台を3周すると願いが叶うというジンクスがあるそうです

           

ジョブ・バザール ビビハニムモスクのすぐ近くにある、サマルカンド最大のバザールで古くから開かれている。アーケードの下では野菜・果物をはじめとして、香辛料や穀物、生活用品などが所狭しと並べられています。

        

昼食はピラフのようなプロフです。

  

 

ウルグベク天文台 チュパンアタの丘にあります。一部分しか残っていませんが、当時この半径46m、高さ30mの建築物によって取り囲まれていました。また、メインホールには、当時にしては非常に珍しい天体を観測するための施設が設置。天頂儀の半径は約40m、円弧は63mあり、メインの6分儀は驚くべき正確さで子午線を指し示していました。
また、ウルグベクの天文表として知られる綿密な天文表は1018もの星の軌跡が記されており、望遠鏡もない時代にこのような正確な観測をしたとは驚きに値します。今日においてもその素晴らしさは色褪せません。ウルグベクは1年間を365日6時間10分8秒と計算しましたが、今日の最新技術で測定したそれは365日6時間10分9.6秒と、誤差は1分未満にびっくり。

        

紙すき工房 絹のような紙です。工程を見ながら手作業が絹のようにさせるのが良くわかります。  8〜9世紀、サマルカンドは、イスラーム世界最大の紙の生産地。絹のような表面の光沢をもつサマルカンド・ペーパーは、その品質の良さを世界中から称えられていたということです。その後、製紙技術は中東やヨーロッパ各地に伝播していきましたが、ヨーロッパの産業革命を経て、機械生産による紙の普及等の影響で、やがてサマルカンドの製紙生産は停滞し、ついに19世紀半ばには、生産活動は途絶えてしまいました。

  

レギスタン広場は目を見張ります。レギスタン広場には、3つマドラサ(イスラム教の高等教育機関)がありますが、想像以上に大きく、迫力満天。広場から見て、左が最も古いウルグ・ベク・マドラサ、正面がティラカリ・マドラサ、そして右側がシェルドル・マドラサと呼ばれています。鮮やかな青いドーム型の屋根や門のモザイク画、そして砂漠の砂の色を思わせるような建物は感動。

            結婚式がいっぱいおこなわれています。シーズンです。世界遺産のモスクの中はお土産屋さん、レストランです。どの世界遺産も同じです。

観迎セレモニー 華やかで私も舞台に上がり踊りましたよ。

           

グルジア料理

    

食事を終えてレギスタン広場で行われるマッピングショウーを見に。0度ぐらいに気温が下がりとても寒かったです。

  

    

ホテル、エミールハン連泊です。

 

 

10月19日(金曜)

友人4人での旅です。同じテレビを見ていて直ぐ話しは決まり申し込みました。キャンセル待ちでしたが行けることになり良かった。関空も平常に戻り一安心。

13:00発チャーター機です。8時間40ぷんフライト。時差ー4時間。通貨はスム。

      機内食 お八つ。

サマルカンド到着。長かった!。疲れた!

 

今夜はサマルカンド泊。ウズベキスタン第二の都市で、かつてシルクロード上で栄華を極めた古都。文化的にとても重要なサマルカンドは、2001年にユネスコ世界文化遺産に登録。現在ではウズベキスタン最大の観光都市となっています。ウズベキスタンは世界に2つしか無い二重内陸国もう一つはリヒテンシュタインであり、海へと出るためには国を2つ越える必要がある。海へと直接つながっている国内河川はなく、領土の10%にも満たない灌漑農業用地や河川流域ので集中的に農業が行われている。残りの領土は広大なキジルクム砂漠。

夕食 ウズベク料理をホテルで。サラダ、ボルシチ、マンティ、カティトチーズケーキ。

    

宿泊 ホテルエミールハン。一見とてもゴージャスにみえますが、、、外観は明日写しましょう。

  

    おやすみなさい🌙日本は夜中a:m2:30です。


 

 

「モリのいる場所」熊谷守一さんの絵の展覧会も見ていたので是非見たいので出かけました。勿論樹木希林さん、山崎努さんの二人のかもし出す夫婦愛も見たかったのです。

樹木希林さんの追悼上映。次回は11月20日から27日までは第2弾でわが母の記&東京タワーも上演されます。

ラッキーも年老いてくる私にも考えさせられるわ。満席です。

神戸の春本監督の上映者募集のパンフもいただきました。自宅で3人以上そろうとDVD をお借りできるのです。

10月の須磨いるウオーキングはJR舞子駅集合で大歳山古墳から垂水マリンピアの予定です。秋晴れで爽やかです。駅から大橋は目の前です。

  

 

 

 

 

 

山田川沿いを歩き舞子駅に。一旦そこで解散。垂水まで歩く方、マリンピアに行く方と色々。私は学園都市までバスに乗りましたが学が丘下車、バスの乗り換えて自宅近くまで。12:40には帰宅していました。