「何を、考えているの?」
K大学文学部の食堂で、
4回生の小暮諒は、その後輩を見つけて、声をかけた。
カウンター席に座っていたその後輩が、
ゆっくりと彼の方へ向く。
「あ…小暮先輩…、こんにちは」
榛名結木は、ぺこりと頭を下げた。
「何を…考えていたの?」
小暮はゆったりとした動作で、結木の隣の椅子を引きながら、
もう一度、そう言った。
「…どうして…ですか?
どうして、そんなことを聞くんですか?」
結木が、少し微笑みながら、
しかし小暮の眼をしっかりと見据えて、
逆に聞き返す。
「遠い眼を、していたから」
小暮もまた、結木の眼をしっかりととらえて離さなかった。
「君が、どこか遠くを…いや…
遠くの景色を通り越して、その向こう側の何かを見ているような眼を
していたから…」
その言葉を聞いて、結木はふっと微笑んだ。
小暮が、戸惑う。
「おれ…何か変なこと、言った?」
結木は首を横に振り、
しかしその笑みを絶やすことはなかった。
「言い当てられたので、びっくりしただけです」
とおどけて返事する。
まるで話題をそらしたがっているかのように。
「好きな人のことでも、考えてたの?
あ、その懐中時計も、その人からの贈り物だったりして」
小暮も、わざと明るく話した。
話題を広げようと思ったのか、カウンターの上に結木が置いてあった
懐中時計を、そっと取り上げる。
どこかの森を描いたのだろうか、
草木が模様として、細かく彫られている。
草木の間に一頭の雄鹿も彫られている、その銀色の懐中時計は、
鈍い光を放っていた。
「好きな人、というか…
忘れられない人…ですね…」
結木は徐に口を開いた。
結木が、こういうふうに喋ることを、予想していなかったのか、
小暮が少し、驚いた顔をする。
「恋をしているとか、愛しているとか、
そういうのではないと思うんです
だけど…きっと、一生、忘れられない人です」
小暮は何も言わず、結木の眼を、じっと見つめた。
そして、少しして、
「すみません、こんな話…」
と結木が言いかけたのを遮って、彼はこう言った。
「今日は…午後から授業はないよね?
どこか、遠出しないか、静かで二人きりになれる場所に
もし、君さえ良ければ、おれ…
君の忘れられない人についての話、聞いてみたいって思ったんだ
君が、そこまで思っている人は、どんな人なのか…って…」
それを聞いて、結木はまた、柔らかく微笑んだ。
「つまらない話…ですよ…?」