フランス映画 トリコロール赤の愛 | 徒然。気ままな主夫道。

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今日もフランス映画です。最近ネタが無くてね…


ネタばれ注意!




トリコロール三部作の三作目。テーマは赤。赤は衝撃・動揺・怒りで、その抑揚を明りで演出しているように思われた。



 さて問題となったのが最後のシーン。フェリーが転覆し多くの人が犠牲になった。その中で生き残った七人にはどんな意味が隠されているのか。考えてみたいと思う。


 初見での意見は、映画の主人公達はそれぞれなにかしらの愛に生きていたから、その愛が運命の糸をたぐりよせ(たぐりよせたのはバーテンダー)、ラストに6人がめぐり合ったのではないか、である。ただ、赤の愛での生存者オーギュストは、テーマである博愛に生きたのか疑問であるが、博愛を生物にまで範囲を広げ、犬を大事にしていた、と強引にすることで、なんとか納得はできた。


 その後友人と会話していて考えついたのが、次の意見である。

 トリコロール作品が作られた背景には、ヨーロッパの統合がある。したがって、ラストに絶望的な結末を用意したのでは、ヨーロッパ統合の未来に影を落とすことになりかねない。よって各作品の主人公、特に視聴者が最も生存していて欲しいと思ったヴァランティーヌが生還したのではないだろうか。


そしてバーテンダーはこのトリコロール三部作を繋ぎ合わせる(混ぜ合わせる者)として生還したのであろう。トリコロールを締めくくるラストに、自由、平等、博愛を混ぜ合わせたものがフランスである、と示したのではないだろうか。


また、事故現場がドーバー海峡であること、バーテンダーがイギリス人というところもおもしろい。これは歴史上不仲であった2国が、ヨーロッパ統合へ向けて歩み寄るとも考えられたかからだ。


またこの作品の監督であるキェシロフスキ監督は、この作品で引退し、今作品が遺作となっている。つまり、彼の監督人生の締めくくりにもなったラストなのである。そこに視点を置いて考えてみると、人生は偶然の連続であるというメッセージにもとれる。三部作には共通するシーンが二つほどあったが、これを長い人生どこかでいろいろな人と運命が絡み合っているという意味に捉えると、人と人とのめぐり合わせの不思議をラストに表現したのだ、と考えることもできるのだ。


以上のように考えてみたが、いずれにしろラストに三つのテーマの象徴が登場していることには変わりがなく、綺麗なラストであったといえよう。




ついにトリコロール三部作終結!

最後はちょっと面白いよ~。



ではでは。

アヴィアント~。