フランス映画 トリコロール青の愛 | 徒然。気ままな主夫道。

徒然。気ままな主夫道。

日々思ったことと、日々の新婚生活を垂れ流していきます。


以前、語学の授業で書いたレポートをそのまま転載します。


若干ネタばれがありますので、それが嫌な人は見ないほうが良いかも。

映画自体は、授業で見せられた映画にしては良かったので、みることをオススメします。




トリコロール三部作の一作目。テーマは青。青は自由を意味している。この作品は、ジュリエット・ビノシュ演ずる、主人公ジュリーが本当の自由を手に入れるまでの過程を描ききった作品だと思う。



 ジュリーは事故後、回復した後は、過去の思い出を忘れるために、屋敷や財産を全て処分し、夫の遺品さえ受け取らずに、新たな生活を始め、自由を手に入れようとした。しかし、それは本当の自由とは程遠いものであったのではないだろうか。彼女が断ち切りたかったもの。それは愛と音楽。この二つであったと思う。この二つから逃げていた彼女は、自由を手に入れることはできなかった。



 作品中では何度か彼女の頭の中に夫の曲が脳裏によぎることがあった。また、街角から時折聞こえるリコーダーの音色に耳を傾けたりもしている。夫が、そして音楽が彼女を縛っていたのである。長く身に染みてきたいたものからは逃げられなかったのである。



 そして、皮肉にもこの二つから彼女を解放へと導くきっかけになったのは、夫の愛人の存在を知った時ではないだろうか。ここから、彼女は弱弱しさを感じなせなくなった気がする。逃げずに自分自身と向き合い、愛と音楽に立ち向かう。彼女が、夫の曲を完成させたとき、そのときに彼女は本当の自由になったのであろう。愛と音楽から逃げずに、それに立ち向かうことで、その境地にたどり着いたのである。



 また、この作品には、テーマである青色がいたるところに出てくる。冒頭の青い暗闇の中を走り抜ける車のシーン、キャンディーの青い包み紙、青いガラス細工の飾り、プールの青い水、テレビの青い画面、夫の曲が甦る瞬間に現われる青い光。この青色が表しているものはなにか。それはジュリーの心の模様を象徴していたのではないだろうか。冷たく、静かに、そして感傷的な彼女のイメージがこの色からは伝わってきている。



 さて、授業中にも問題となったジュリーの顔の当たる光と、テレビ画面の映像。これの意味するものはなんだったのであろうか。



 まず、ジュリーの顔に当たる光はなんだったのか。夫と娘を失った彼女を照らす光。これは、彼女に生まれた新しい光だったのではないだろうか。絶望により、全てを失った彼女に、新たな道へと導く光。それを象徴しているのではないだろうか。



 次に、テレビ画面の映像の意味はなんだったのか。思うに、最初のバンジージャンプは、死の象徴であったのではないだろうか。老人が落下する。紐があるから言っても、そこから死をイメージするのは難しくない。そして、次の綱渡りの映像は、危うくも、自由への道へと進んでいる、ということを表していたのだと思う。一歩一歩慎重に。彼女が今まで長く葛藤してきただけに、自由への道は簡単ではないと言わんばかりに。






うーん…今読むとなんだか恥ずかしいですね。日本語的にwww

まぁいいやいいや。


ではでは。

アヴィアント~。