お客さまより素敵なお花、ギフト、お手紙を頂く‥。

一体これまでどれだけの方に泣いてもらったのだろう‥?

カズが殺された時、私はこの現実に向き合う事に精一杯で、喪主なんて無理無理‥葬儀は静かに家族だけで送りたいと言った。

でも、マスコミ報道されてしまい、瞬く間に広く知れ渡ってしまうことになった。

知らない間に見えない力が働き、私の独りよがりの判断の様には行かなくなった。

お客さまには葬儀が終ってからSNSで報告した。

そうしたら、お店を開ける度に弔問来店の日が続いた。

途切れることなく何かしらが届く毎日が2ヶ月半続いた。

たくさんのお客さまに「先に教えてもらいたかった、葬儀に参列したかった」と言って頂いた。

葬儀のご案内は迷いに迷って伝えなければと思う友に送った。一人一人に事情を説明することが叶わなかったので、案内を送る=葬儀に来てね、みたいになってしまうのが嫌だったから。

でも、お客さまのそんな声を聞くとそれが正しかったのか‥それはわからない。

「棺を蓋いて事定まる」

と言うけれど、彼の評価は私が1番わかっていたつもりだったけれど、本当に本当にそれ以上の人だった。

私は彼以上に何でも知っていて何でも出来る人を知らない。

様々な能力のうち、最も秀でていて、他の人がなかなか真似出来ないことは“人柄とコミュニケーション能力”だと妹は言う。

損得勘定抜きに誰にでも優しく親切で、寄り添ってあげることが普通に出来る人。彼のことを嫌いだと言う人はいないと思う。

本当にそんな人でした。

殺されて一年も経たないけれど、ここまでの間にも色んな変化があって、カズに知らせたかったな、一緒に見たかったな、経験したかったな、と思うことばかり。

失ってしまったものが大き過ぎて呼吸するのですら苦しい毎日。

何とかしなきゃ、何とかなる‥と思って力を注いで対応しても、日に日にこりゃもうムリだ〜と思うことばかり‥。そして益々眠れなくなる。

生前彼は何かをする時、選ぶ時、いつも私が何て言うかな?何て評価するかな?という事が一番気になる‥と言っていた。

対する私は自分の思うままに生きて、彼は私のしたいことを実現してくれる人。

「‥だってその為にあなたはいるんでしょ!」と娘曰く、よく口に出して言っていたらしい。
‥そうだったかな?そうかもね。

私達夫婦の間には誰も入って来れないだろうな、という自信がいつもあった。

それが、こんな形で脆くも赤の他人に因って引き裂かれた。

自分の意のままにだけ生きて来た私が、今は日々「カズだったらどうするかな?」「これはどうしたかったんだろ?」と次々起きる案件と格闘し、ちょっとしたわからないこと、重たい物を持ったとき、独りぼっちの暗い帰り道‥些細な事で不安になり、そして何でこんなことに?
とわからなくなって号泣している。

地元のお客さまは皆優しい。

温かいお言葉に今日もどうにか立っている。

お客さまお一人お一人は彼が遺してくれた大事な財産だと、毎日感謝しております、いつも本当にありがとうございます。