備後鞆派/鞆の浦の鍛冶 | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

備後鞆派/鞆の浦の鍛冶

04小烏神社
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【備後鞆派】

古代吉備地方その他の圏域、備中・美作、そして備後にも優れた鍛刀地があった。

まず備中地域であるが、平安時代末期ごろ万寿荘青江(倉敷市)に名匠安次が現れて以来、後鳥羽院御番鍛冶にも貞次・恒次・次家など、備前刀工につぐ人数が選ばれるなど、平安・鎌倉・南北朝各時代にわたって備中青江鍛冶の名を上げる。特に鎌倉時代中期ごろでのものを古青江と呼び、名刀が多く伝世する。

備後国では鎌倉時代末期三原に正家が出て、以後室町時代中期にかけて正清・正広などが活躍する。このうち南北朝時代までのものを古三原、室町時代のものを末三原と呼ぶ。またもう一派、二代正家の子で日蓮宗に入ったため法華派と称される一乗とその子孫・門人たちが、室町時代前期にかけて作刀する。同時期尾道では、重光を祖とする辰房派と呼ばれる一派がいて、鞆でも貞家・貞次・貞広・家次・貞国などが鍛刀する。


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