いろは丸の絵、長崎で発見される | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

いろは丸の絵、長崎で発見される

今までは、資料を元に描いた想像上の「いろは丸」だったが、
長崎市歴史民俗資料館で8月31日まで公開されたこの資料には、

以下抜粋
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見開きで200ほどの船の彩色画が記録され、
いろは丸とみられる船が煙を上げて航行する姿が含まれている。
絵の前ページには「四国船」との記述がある。
同資料館は、冊子内の記述から1866年の記録と判断。
いろは丸は現在の愛媛県大洲市を中心とする伊予大洲藩が当時所有しており、同時期に長崎に寄港したとする記述が他の文献にあることなどから、いろは丸の可能性が高いとしている。
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抜粋以上

山陽新聞http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/d/2010072701000409/

とある。

というわけで、これを元に鞆の浦検定ブログの次のトップページは
「いろは丸」に決定しました。