“七度半”志ぶがきや宇平(上) | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

“七度半”志ぶがきや宇平(上)

【志ぶがきや】

古代、鞆の浦がまだ疫隈の浦と呼ばれていた頃、現在の江の浦に17軒の家しかなかった。
スサノオの命はこの浦にやって来て少しばかりの施しを受け、船を二~三艘を借り南海の調査に向かったその時のこと・・・。
スサノオの命は(戸長)村長に世話になったと渋柿から柿渋をとる方法を教え、戸長は代々「志ぶがきや」と名乗ったそうな・・・。(末裔の方は、都内に現存されています)



つづく



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